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(初版2002.8.7;微修正2014.10.16;更新2013.10.25)

原爆慰霊碑の言葉は自虐ではない




日本語は省略表現を多用する言語です。 外国人を外人と省略します。差別用語と誤解する外国人もいるようですが、 これには人ではないという意味はなく、差別用語ではありません。

音要素だけでなく主語などの単語もよく省略します。 これは、文脈や背景についてみんなが共通する認識をもっていることを前堤としてい る表現方法です。

しかし、最近はどうも共通認識が成立していないらしくて、 日本語の省略表現が通じなくなっているようです。

以前、原爆慰霊碑にペンキがかけられる事件がありました。 なぜ、そんなことをするのか見当がつかなかったが、産経新聞の 『主張』(2002年8月6日)をみて判りました。

産経新聞の『主張』では慰霊碑の『安らかに眠って下さい。 過ちは繰返しませぬから』という言葉を原爆投下容認論として批判しています。 この筆者は、日本語の省略表現を理解していません。まるで外国人のように。

インターネットで原爆慰霊碑を検索すると、同じような誤解をしている人は多いようです。 アシストという会社のホームページでビル・トッテン氏はこの言葉を自虐的と書いています。

わたしは慰霊碑の建立当時の事情はよく知りません。 しかし、日本人だし、原爆に関する資料や報道を目にすることは何回もあったから 言葉の省略の背景にある認識や心情は理解しているつもりです。

この慰霊碑は、日本の侵略や戦争を反省するためのものではないと思います。 核兵器の異様な破壊力と非人道性に直面して、慰霊とともに、核兵器の廃絶を世界 にうったえる決意を表現しているものだと思います。

省略されている主語は『日本国』や『日本人』ではありません。 『世界』や『人類』が主語だと確信しています。 戦争慰霊碑ではなく原爆慰霊碑なのだから、文中の『過ち』は あきらかに原爆投下を示しているからです。

原爆投下はどの国であっても、 どんな事情があっても、決してしてはならないという認識が背景にあります。

核兵器は単なる大きな爆弾ではありません。 アメリカ人のなかには日本軍によるパールハーバー攻撃への報復として 日本への原爆投下を納得しようとする人もいるようですが、それは無理です。 戦争終結を早めたなどという理屈で納得しようとしたって無理です。 もし、そんな理屈を認めるなら、これからも原爆を使うという意志表示となります。

核兵器の出現で人類の世界はまったく変わってしまいました。 核兵器の出現は歴史的な意味がとても重い出来事なのです。 指一本で数十万人、数百万人を殺害できるのようになってしまったのですから。 その上、放射線は生き残った人類の遺伝子にまで傷を残すことになります。 世界はこの核兵器の非人道性を認識しなければならないし、日本は、そのために 努力すべきなのです。

核兵器に関連することでは、アメリカとソ連による、即時エスカレート報復戦略は とても悪質だと思います。キューバ危機など冷戦の厳しいころ、わたしは小学生でした。 夜寝るときに、頭上をミサイルが飛び交う事態を想像して恐れたものです。 即座にエスカレートした報復をするなどということは狂気としか言いようがありません。

核兵器は槍や棍棒や単なる大きめの爆弾ではないのです。 誤爆だった場合とか考えないのでしょうか。たとえ、誤爆でなかったとしても世界を破滅さ せるような核兵器での報復は無責任であり、すべきでないというのが被爆国日本が主張す べきことです。

そして、被爆の結果について多少でも見聞きした日本人なら、どのような場 合でも核兵器を使用すべきではないという考えに同意してくれるのではないかと思います。

ところが、日本の外務官僚は違うようなのです。国連や国際司法裁判所で、 核兵器の非人道性、違法性が追及されたときに、日本政府はそれを妨害する ような動きをしたのです。あきれた話です。

その理由は安保条約にあるようです。彼らは日本がアメリカの核の傘に入っていると 考えているようです。しかし、それは本当でしょうか。

アメリカはテロ支援国家とみなして機会があれば攻撃したいと思っている国が、 アメリカの前に日本に核攻撃したら、喜んで核を使うかもしれません。 しかし、直接アメリカに危険がなければ、安保条約があるからといって、 アメリカの利害を考えずに、ただちに核兵器を使うとは思えません。

そもそも、日本国民は核攻撃を受けた場合に即座に核で報復することを 望んでいるのでしょうか。そうならば、原爆慰霊碑の碑文はあのように書かれなかった でしょう。『必ずアメリカに原爆で報復を!』とでも書かれたはずです。

これは外務官僚がかってに決めていいような問題ではありません。 本当に核の傘を信じているなら、国民の意識を調査するべきです。 核攻撃をうけたら日本は即座に核で反撃するべきなのかどうか。

もちろん広島・長崎の被爆の資料を国民に十分に示すのが条件です。 しかし、日本では検定で教科書からヒロシマ・ナガサキの原爆の 被害の記述が薄められてきたのです。異常なことです。 どんな国だって戦争で自国がどんな被害を受けたか歴史を教えるのは 当然のことでしょうに。

もし日本が核での反撃を望むなら、アメリカの核の傘に入るのではなく、 核兵器を自前で持つべきでしょう。今なら簡単にできることです。 核兵器でなければ国を防衛できないと考えるなら、ほかの国が核武装する ことも認めるべきです。それでいいのですか。

日本・日本政府はもっと原爆の被爆の実態について世界に知らせる努力を すべきなのです。例えば、日本でおこなわれる国際会議なら必らず 広島・長崎で開催するような気概が必要です。 世界に被爆者が描いた絵などの資料をどんどん送り続けるべきなのです。

あまりにも馬鹿馬鹿しいのですが、原爆慰霊碑には主語がなんであるか、 解説した看板をつけるべきかもしれません。


追記(2002.9.18):
広島の高校のwebページには原爆慰霊碑についての論争が古くからあったことが記され ています。
http://www.hi.hkg.ac.jp/pease/jp/


追記(2004.5.17):
稲垣武は『正論』(2002年10月)で、『慰霊碑の主語が人類なら最初から明記すれば いい』と書いています。省略表現の多用が日本語の特徴です。それを理解できない のは右翼だろうが左翼だろうが日本語読解力に問題があるのです。

左翼勢力に主語が日本だという認識があるから、主語が人類だという解釈が なりたたないと稲垣は主張しています。これは変です。日本語表現の基準は まるで左翼にあるみたいじゃないですか。


追記(2005.1.6):
図書館で『原爆モニュメント物語』 (広島市歴史教育者協議会編著/汐文社/平和文化/1984年)という本を見つけ ました。広島に多数あるモニュメントのうち13カ所について紹介しています。 原爆慰霊碑(正式名は広島平和都市記念碑)の設立の由来や論争についても書かれて います。

この論争のきっかけになったのは、1952年にインド人のパール博士が慰霊碑に ついて発言したことらしいです。

1983年に広島市が原爆慰霊碑のわきに説明板を設置すると発表したので 『主語は人類全体』で決着がついたと書かれています。

私は長崎には行ったことがあるが、広島には行っていないので 説明板がこの本の通りに書かれたかどうか知りません。もし本のままの文章ならば、 少し意味が原爆被害から拡散してるかなとは思います。 この慰霊碑が原爆にたいするものである一方で、広島平和都市建設法という法律の 枠組の中に位置していることも関係があるのでしょうか。

再追記(2014.1.5):
原爆慰霊碑とパール判事に関しては中島岳志『パール判事 東京裁判と絶対平和主義』(白水uブックス、2012年)、 中里成章『パル判事 −インド・ナショナリズムと東京裁判』(岩波新書、2011年) が参考になります。


追記(2005.1.7):
何年か前、本屋で中国人の書いた本(莫邦富『これは私が愛した日本なのか』 岩波書店、2002年)をちょっと立ち読みしました。長崎と広島の原爆資料館を訪問 した感想が書かれていました。長崎と違って広島には軍事都市であったことについて の反省が感じられず、違和感を持ったと書かれていました。この慰霊碑をめぐる論争 を考えると皮肉な話です。

広島平和記念資料館WEB SITE

長崎市|平和・原爆|長崎原爆資料館


追記(2005.7.27):
東京新聞(2005年7月27日夕刊)によると、 右翼の男(27歳)が原爆慰霊碑の言葉が気にいらないと言って、 ハンマーとノミで傷つけたといいます。

この慰霊碑の下には遺骨の代わりに原爆死没者名簿 (被爆死した朝鮮人や米兵捕虜も含む)が納められています。 つまり、お墓に準じるものです。違う解釈があることを承知しているにもかかわらず、 それを破損して被爆者の気持を傷つけて構わないという精神は愚劣です。

パフォーマンスしたいなら、なぜアメリカに行って核兵器開発のモニュメントを 破壊しないのでしょう。そういえば、右翼の大物はアメリカから資金をもらい、 自民党は左翼に対抗する目的でアメリカの資金で作られたそうです (徳本栄一郎『角栄失脚歪められた真実』 光文社、2004年)。

ロッキード事件の時、アメリカ側では、自民党がアメリカの金で作られたと 日本国民に知られると騒ぎになると心配していました。しかし、先日、TVでこの件の アメリカの公文書が紹介されても、全く何の反応も生じなかったのです。 日本の自称ナショナリストは本当にナショナリストなのでしょうか?

自民党は日本国憲法がアメリカによって押し付けられたから改憲する なんていってきたが、アメリカのあやつり人形・自民党を解党するのが 先でしょう。


追記(2006.10.27):
北朝鮮の核実験報道をきっかけにして、一部の右派の政治家、学者、評論家が 日本の核武装を論じていました。愚かです。

被爆国の日本が核武装するということは、核兵器の使用が『人類に対する罪』 などではなく、単なる軍事オプションであると日本自身で認めることです。 つまりアメリカが日本に核兵器を使ったことは軍事戦略としてありうることだった と認めることになるのです。

広島・長崎のあとで、核兵器が実戦で使われていないから、抑止力として 有効だと主張している学者がいます(東京新聞、2006年10月27日)。 これは全く違います。 今までアメリカもソ連も何度か、核兵器の実戦での使用を検討したことがあるのです。 たまたま状況判断の結果、あるいは運よく使わなかっただけです。キューバ危機 では際どいところまでいきました。その危機が去ったあとでさえ、 核戦争は避けられないと思っていたルメイ将軍は優位なうちに(核兵器で)ソ連を たたけと主張したのです。

これだけは強調しておきたい。核戦争に至らなかったのは、ただ運が良かったからだ。 実際、我々は瀬戸際まで行った。皆、理性的な人間だ。ケネディーも、フルシチョフ も、カストロもだ。なのに破滅の寸前まで行った。その危険は今もある(マクナマラ元米国防長官)
アメリカは報復だけではなく、核兵器での先制攻撃のオプションを捨てていない のです(DVD版『フォッグ・オブ・ウォー:マクナマラ元米国防長官の告白』 SONY PICTURES CLASSICS)

核兵器を持つこと、核の傘に入るということは、核兵器の使用可能性と一体なのです。 やられたら、やりかえすという思想の有効性は、通常兵器までで限界です。 核兵器でやり合うということが何を意味するか、一番理解できるはずの日本で 核武装論がでてくるのにはガッカリします。

日本は核兵器を所有する諸国にその非人道性を追及すべきだったのだが、 できませんでした。

日本は敗戦前の権力と戦後の権力が連続していたし、 アメリカのあやつり人形となった自民党が政権を取り続けたからです。

右派政治家は日本の侵略や、戦争での日本の残虐行為を否定する言論を繰り返して きました。 そんな彼らが、仮に、核兵器の非人道性を訴えたとしても世界に説得力などある はずがないのです。

もし日本が核武装し、やられたらやり返すという思想で防衛するというならば、 核兵器が完成したら最初にアメリカに撃ち込むべきです。 そうでなければ筋が通りません。


追記(2008.12.24):
佐藤栄作首相が1965年1月、マクナマラ国防長官との会談で、 中国との戦争になった場合には「米国が直ちに核による報復を行うことを期待して いる」と、先制使用も含めた即時報復を要請していたことが外務省が 公開した文書で明らかになりました(東京新聞、2008年12月22日)。

国民の合意なしに、このような政策を行うことは許されないことです。


追記(2009.8.12):
『ヒバクシャからの手紙』(NHK総合テレビ、2009年8月8日)という番組で、 原爆体験者の手紙を朗読していました。その番組に参加した作家の 井上ひさしが次のように話しました;
ヒロシマ・ナガサキは手記が膨大に残っている珍しい大事件なんですね。いつも感動する のは、これをやったのは誰だとか、仕返ししようとか、復讐しようとか、そういうことを 書いてあるのがほとんどないんですね。むしろ、こんな苦しみをちがう人達に与えては いけないというほうへ被爆者の方の気持ちが動いていくわけですね。これは世界史で 珍しい新しい思想ですね。「目には目を」とか、すぐ仕返しとか、復讐を積み重ねてきた 人類史の中に、それを許して、ほかの人に同じことがあっては困るという、新しい思想が この二つの町から、苦しんでいる方々から、浮かびあがってきたのはすごいことだと 思いますね。これが、これからの世界の、それを守らないと生きて行けないところへ来て いるような気がしますね。
井上ひさしの話は原爆慰霊碑の言葉の背景にある心情を示しています。しかし、 外務官僚や、慰霊碑を攻撃する右翼や、佐藤栄作のような自民党の政治家や、 慰霊の日に核武装を主張する田母神俊雄・前空幕長は、被爆者の心情に寄り添っては いないのです。


追記(2010.8.12):
秋葉忠利・広島市長は平和宣言で政府に「核の傘」からの 離脱を要請したが、菅直人首相は記者会見で「核抑止力はわが国にとって引き続き 必要」と指摘しました(東京新聞、2010年8月7日)。

どの国だって国防の権利はあります。国防に関して核抑止力という概念が本当に正当なら ば、北朝鮮こそ核武装の権利があると言えます。過去に日本に植民地にされたうえ、 米国と戦争したのですから。イランだって、核を持つ攻撃的な国(イスラエルや米国) と対立しているのだから核武装の権利があるでしょう。核抑止力という概念が正当な らば、すべての国は核武装すべきです。

犯罪小説をたくさん書いた佐木隆三は、菅直人の「核抑止力は必要だ」という発言 について、大量殺人を肯定するに等しく、まさしく犯罪的である、 と述べました(東京新聞、2010年8月9日)。私は佐木の見解に同感です。

核抑止力という概念は、人間が理性的な判断をするという仮定に依存しているのです。 人間が常に理性的な判断をすると考えるのは現実が見えない人だけです。 政治家には向かないでしょう。

アメリカやロシアは核兵器を使うことを本気で考えていたのであり、抑止力なんて 口実であることは、核弾頭を何千発、何万発も作ったことで分かります。

※朝鮮戦争の時、マッカーサー国連軍総司令官は核兵器の使用を望みました。

※最近の話ですが、ブッシュ前大統領はイランに対する核攻撃を考えました。 閣僚が反対したので、実行されなかっただけです(週刊金曜日、2010年8月6日)。


追記(2011.11.12):
東京新聞(2011年11月10日)によれば、1995年北欧から打ち上げられた 人工衛星をロシアがミサイルと勘違いし、核兵器のボタンが押される寸前に 進んだ、ということです。この記事は米国科学者連合などの資料から2012年 現在の核兵器の数も載せています:
各国の核戦力(解体待ち含めた合計、単位は発)
ロシア:10000
米国:8000
フランス:300
中国:240
英国:225
イスラエル:80
パキスタン:90〜110
インド:80〜100
北朝鮮:10未満
※ 現時点で北朝鮮が本当に核兵器を完成させているか私は疑っています。 爆発の映像さえ公表されていませんから。


追記(2013.6.3):
米核問題学術誌『原子力科学者会報』が2006年、米国政府内資料を基に発表した 調査では、米軍は1950年と53年、76年、そして94年の4回にわたり、対「北朝鮮」 核攻撃を計画したと言います(週刊金曜日、2013年5月17日)。
追記(2013.10.25):
核兵器の非人道性と不使用を訴える国連の共同声明に日本政府が初参加しました (東京新聞、2013年10月23日;ほかの報道も参照)。今まで参加しなかったのは、 米国の核の傘に依存している日本は「いかなる状況下でも核兵器が二度と使われる べきでない」との文言を受け入れられないからだと言うのです。今回は声明の文言の 一部の言葉いじり(核兵器を大量破壊兵器にした)を要求した上で参加しました。 追い詰められて嫌々ながらの参加と見えます。

著:佐藤信太郎
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