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■HP蜘蛛夢■


(初版2001.7.2;微修正2014.11.1;更新2015.1.8)

歴史修正主義は大東亜戦争と同様に勝目がない戦いだ



●幼児は自分の狭い経験を元にしていることを自覚しないで自分が常に正しいと思いたが ることがあります。 自分の言動が正しくないと指摘されると悔しがって涙したりすることがあります。 これは成長の過程であるから仕方ないです。

しかし、大人がこういうことをや っているのは欝陶しい話です。これまでの歴史教科書がマルクス史観による自虐的な もので、日本に誇りを持てないからと、新しい歴史教科書をつくる会が書いた中学歴史 教科書が検定を通りました。

もしあなたの親戚が強盗をしたとしても、何もあなたに罪があるわけではないです。 だが、あなたが、親戚は何もしてないとか、あるいは押し入ることで被害者にも良いこ とがあったのだと言い張れば、部分的にそういうことがあったとしても、 あなたは親戚の罪を自分に引き寄せたというべきです。

日本の国民の誇りを口にする彼らがやっているのは日本の社会の幼児性を国際的に 際だたせ、現代の多数の日本人には直接的な関係のない罪を引き寄せてしまって いるのです。恥の上塗りをしていることに気が付かないのは欝陶しい皮肉です。 なぜ相手の立場になって考えてみないのでしょう。

少しでも国のことを考えているなら、自分の国の過去の失敗を学ぶべきです。 誇りだ、誇りだと、失敗を認めなければ、同じ間違いをくり返すだけです。

国家権力と個人の責任は違うし、過去の国家権力と現在の国家権力も違うのだから、 もっとクールに歴史を見るべきです。

● わたしが子どものときには植民地の独立がナショナリズムと結び付いていたのでナショ ナリズムにはプラスのイメージがありました。しかし、その後を見ると、すでに独立し ている国家におけるナショナリズムは病気としか思えません。おそらく、ヒトが血縁小 集団で暮らしていた時代には意味があったかもしれない心理傾向が過去にはなかった国 家というミスマッチなレベルで不適切に発露されてしまってるのではないかと想像しま す。

血縁、地縁など自分に身近な組織に対する親近感は教育しなければ育たないようなもの ではありません。逆にあおれば簡単に燃え上るような性質のものだから、むしろ抑制す る方向に教育はあるべきなのです。同じ民族だからといって、個人個人をみたら嫌な奴 もいます。逆に、違う民族でも、職業などが同じ人間のほうが同じ民族の違うコミュニ ティの人間よりも理解しあえる場合もあるのです。

● 戦後、ずっと政権を持ち続けたのは自民党です。いいことも悪いことも先ず帰される とすれば自民党です。日教組や共産党の影響なんて微小なものです。

かつて左翼の影響がとても強かったなどという人は自分自身が左翼活動にどっぷり 浸かってから右翼に転向したので、そのように感じているにすぎません。

わたしが、かつて 教育実習をした地方の公立中学校では朝礼では日の丸、君が代でした(国歌国旗の法制 化以前です)。教師もどこで何していようと直立不動を強制されていて驚きました。朝 礼の行進曲は軍歌と思われる曲でした。彼らの思想の拠点がどこにあるかよく示していま した。私はタイムスリップでもしたような気分でした。体育に熱心で図書室が貧弱だっ たのも印象的でした。

右派勢力は、戦後教育を敵視して、日教組や共産党のせいで教育が悪くなったといいま す。そんなに日教組や共産党の力があったなら、自民党政権が長期間継続す ることはなかったでしょう(追記:2009年に、長く続いた自民党政権が自己崩壊して、 ようやく選挙による政権交代が実現しました)。

日教組が教育政策を作ったわけではないし、共産党が政権を持っていたわけでは ありません。右派が敵視する教育基本法や憲法も共産党が作ったわけではありません。 戦前にリベラルなものをアカと呼んで迫害したのと似ています。

憲法や教育基本法を反米のいわゆる左翼がかたくなに支持するのも皮肉です。

● 反米ナショナリズムというのもあります。在日米軍基地の問題やイラク問題 などで見えてくるアメリカの犯罪性など、もっともな点もあるだけにやっかいです。 しかし日本の反米ナショナリストの精神構造もまた偏狭な排外主義の傾向が強いので、 それが蔓延すれば日本の未来は暗いでしょう。

例えば現在アメリカがこれだけ影響力を持っているのはなぜでしょう。軍事力か?核兵 器か?経済か?日本がそういうものを持てば強く、影響力を持つようになれるのか。核兵 器を持っていてもアメリカのような影響力がない国があります。日本の経済はかなりの ところまで行ったはずですが影響力はあまりありませんでした。

私はアメリカの諸々の 力の根底には科学の強さがあると思います。そしてアメリカの科学の繁栄の影には、世 界から集まった優秀な学者がいるのです。大リーグだって世界から優秀な選手を集めて いるでしょう。逆に日本は国立大学の教授を国家公務員という理由で外国人にはさせな かったのです。こういう偏狭な国家観は結局、日本をジリ貧の道に進ませると思うので す。

異質なものが入るとなんらかのトラブルが生じるかもしれません。だが、それを排除し たらどうなるか、過去の日本の経験でも、現在の排他的な政策をとっている他国の例を みても明らかです。

● ナショナリストは日本は歴史があり、伝統があるのが誇りだと言います。こういうのは 相対化してみるべきです。私が道を歩いていると高校生が20年ほど前のことを大昔のよ うに話していました。私にしてみれば、つい先日のことで、感覚的にはなんの変化もあ りません。同じように、となりには中国という本当に歴史のある国があるのです。その 国のとなりで伝統とか歴史を誇ってもしょうがないでしょう。

ナショナリストの中には いわゆる魏志倭人伝を否定する人もいるようだが、当時の日本が中国に匹敵する文明を もっていたなんてどうしたって言えないのです。

誇るとするならば、遅れたり、敗けたりした状態から素早く対応できたことでしょう。 いやいや、自分の所属する国家の過去の全ての為政者などに自分を一体化して自分の 誇りを確保しようなんてのは、やはり止めておいたほういがいいのです。

● 教育勅語に執着して、 教育基本法を改正したいという人のなかには伝統文化を強調する主張があります。

伝統 文化というものを過剰に神聖化するのはダメだと思います。ナショナリストが重視す る伝統文化なるものはたいてい、せいぜい百年以内のことがらのように思います。なぜ 、江戸時代のでないのでしょう。なぜ縄文時代でないのでしょう。合理的理由のない伝 統なら、自然になくなるものは無くなってもいいのではないかと思います。必要ならば 伝統という問答無用の権威ではなく、理由を示せばいいじゃないですか。

伝統主義は結局、権威主義なのです。 ちょっと前のことならなんでも伝統と言えるわけですが、誰もが採用している伝統につ いては、わざわざ護れとか言わないでしょう。皆が採用しないことを強いて、採用させ ようという訳です。誰が、それを選択するのか。皆ではないのです。そういう権威主義 の社会では自然科学などは発展しませんから、ナショナリストの希望とは逆に、国は ジリ貧状態になってしまうのです。

伝統主義・権威主義の社会は上層部になるほど責任をとることができません。 失敗から学ぶことが出来ないから、最終的に社会に崩壊をもたらしてしまうのです。

伝統主義を憲法や教育基本法に入れようとしている自民党は戦後日本をほぼ一貫して 政権党として支配してきました。しかし土建政治家の彼等がやってきたのは、 伝統の基礎である山、川、湖、海を破壊したり、古い伝統的な建物を潰したり、 地名を改変して歴史的連続性を破壊したりしてきたのです。

彼等が執着する敗戦前の日本の社会システムは、明治維新から始まったものですが、 明治維新こそは、伝統破壊そのものであったはずです。

● 新聞の日曜版の投稿欄に、トイレットペーパーの三角折りがエチケットとして、いい か悪いかという論争がでたことがあります。

そのあとで、デパートかホテルの掃除をし てる人からの投稿があったのです。あれは、ペーパーの交換が既にすんだかどうか、わ かるように掃除の人がやっていたもので、利用者が三角折りなんかすると迷惑だという ことでした。

昨日今日の三角折りのような事でさえ誤解があるんですから伝統文化なん てもののなかには相当の誤解があるのではありませんか。

1999年に十分な審議なしに自民党・自由党・公明党を中心にして日の丸・君が代が国旗・国歌として法制化されました。

強制しないと言って法制化したのに、東京都知事の石原慎太郎は 都立高校などで、それを強制して従わないものを大量に処分したりしています。

しかし、明治初期の文部省の保守派官僚は君が代を国歌にしたくなかったようなのです。 それで当時は法制化しなかった。しかし定着してしまったので 当時の教員には君が代の由来を詮索するなという指示を出したのです。

当時の官僚が法制化したくなかった理由は、 日の丸が賊軍(徳川)の旗であることや、君が代が江戸時代には徳川将軍賛歌 として使われたり、乞食が物ごいする時に使われたり、また「岩(男性器)、 ほと(女性器)、なりて(結合)」に性的な意味がつけられたこともあり、 天皇賛歌には相応しくないことを知っていたからだと言われています (『検証・東京都の「教育改革」』柿沼昌芳・永野恒雄、批評社、2004年)。

日本民族という単一のものがあるというのも幻想です。頭の骨の形だけみても西と東で 違うそうです。百年少し前には命をかけて内戦してたのです。終ってからだって憎しみ あっていたのです。沖縄は独立していたのです。アイヌだって独自の文化圏を持ってい たのです。朝鮮や中国から何度も、人が来ているのです。名前を変えているから気づか ないだけで、現在の日本の文化に貢献してる在日コリアンの人もたくさんいるはずで す。

外国人労働者の受け入れで、日本政府は、日系であることを特別扱いにしました。これ によって、日系ブラジル人などが来るようになったのだが、皮肉なことに、ある面では 韓国人や中国人より彼らの文化は日本の文化と縁遠いような気がします。ペルーのフジ モリ氏が大統領になった際に、日本はペルーを特別扱いしたようだが、これもまた血縁 を過剰に重視した無原則な外交ではないでしょうか。


追記:

2003年5月3日の朝日新聞に、公立小学校6年生の通信表で生徒の愛国心を成績評価する 動きが拡がっていると報道されました。狂気の沙汰です。

愛国心の評価が低い生徒をどうする つもりでしょう。非国民として苛めるのか、矯正施設に収容するのか。 やがては政治的、思想的見解に対する踏み絵を強いるようにもなるでしょう。 それは忠誠心による評価で支配したフセインや金正日などの独裁国家のやることと同じで す。

民主主義の観念は人間に元々そなわったものではないので放置すれば民主制は崩壊する こともあります。この国は政権交代がおこなわれないから、どんどん強権的な国家に 変化しつつあるように見えます。


追記(2004.5.17):

戦乱時にはどの国でも、いつの時代でも軍隊による非人間的な行為は 起こりうるものです。最近では、旧ユーゴスラビアの崩壊時の犯罪行為や、 イラクでのアメリカ兵によるイラク人の虐殺や拷問などがいい例でしょう。

だから、日本軍は朝鮮や中国で何も非人道的なことをしなかったという 主張は、日本人は人類のなかでは特殊な、高潔で道徳的な民族であると傲慢な 主張をするようなものです。

日本軍が過去に非人道的行為をしたと認めたから といって日本人が人類の中で特別に悪辣だということにはなりません。 日本が過去に侵略行為をしたと認めることは自虐なんかではないのです。

一方で、中国の最近のナショナリズムから日本が行なったと主張 されている残虐行為には中国古典文学に出てきそうな話もあるので、 本当かどうか疑問に思うものもあります。しかし、非人道的なことを 何もしなかったと言い張るばかりでは、調査も訂正も不可能でしょう。

他国の土地に足を踏み入れたのは日本であり、証拠書類を廃棄したのも 日本ですから、日本の過去の過ちの指摘に対して反日とか自虐とか言っても 事態は何もよくはならないでしょう。


追記(2005.7.27A-1):

この文章のはじめの方で戦争責任とナショナリズムを、強盗と親戚に 対比したのは、単なる比喩として書いたものですが、最近、 似た話がマスコミに出ていました。

東京新聞(2005年7月15日)に出た東條英機の孫の 東條由布子66歳(本名:岩浪淑枝)の話:

兄は転入した小学校で担任のなり手がなく、弟は小学校の入学式の日に、 担任から「東條君のおじいさんは泥棒より悪いことをした人です」と 言われました。
東條由布子は、東條英機は悪くなかった、 大東亜戦争は侵略戦争ではない、と主張しています。

東京裁判は勝者の敗者に対する裁きであり、事後法である平和や人道に対する 罪を適用するのは国際法違反だと否定します。

祖父は「自存自衛のための戦争だった」と無罪を主張しました。でも、 遺書では政治責任を全面的に認めています。

「償えないほど大きな罪を犯した」とはっきり書き、・・・

「A級戦犯の分祀」に応じるつもりはない。新たな国立追悼施設は必要ない。 もしつくるというなら、差し止め運動を始めますよ。

東條英機の孫に対する教師のイジメがあったなら、それは間違いです。 でも、東條英機に罪がなかったと主張する東條由布子は彼の罪を自らに 引き寄せてしまっています。

「自存自衛のための戦争だった」というのはあの戦争の極々一面的な解釈に 過ぎません。 そう主張するならば、これからも状況しだいで、自衛のためという言葉で ああいう戦争を繰り返すという意志表示になってしまいます。

日本国内に限定して言えば、東條英機は、全般的なことでは“憲兵政治”で 国民を抑圧(監視、逮捕、懲罰召集)し、また陸軍内でも反対する者を追放して 太平洋戦争を強行して日本を崩壊させた責任があります。

細かいことを指摘するなら、東條による戦陣訓の問題があります。 『生きて慮囚の辱めを受けず』と教育したために、 捕虜の虐殺や、日本の民間人まで玉砕するなど悲劇の元になりました。

捕虜になる事を禁じた東條英機自身は自殺に失敗して捕まりました。 悪人だったか否かが問題なのではありません。責任があったか否かです。 一億総慚悔(いちおくそうざんげ)なんて間違ってます。 明らかに東條は責任を負うべき人物の一人です。


追記(2006.9.6):

東条英機は「自存自衛のための戦争だった」と主張しました。 一見、それは防衛を意味するように見えるが、実は、そうではありません。

筒井清忠の『昭和期日本の構造(2.26事件とその時代)』(講談社学術文庫、1996) には、満州事変の3年前の1928年3月1日に東条英機などが参加した陸軍内の グループ(木曜会)での発言が分析されています。

この会で「帝国自存のため」という言葉が既に使われています。それによれば 自存自衛の意味は、日本の人口問題の「はけ口」として「満蒙」に軍事的に 進出するというのです。

普通、こういうのを侵略というのです。日本人は言葉を見かけだけ反対に言いかえる のが得意です(例:退却→転進、売春→援助交際、強制労働→ボランティア※)。

1928年12月6日の木曜会では、「満蒙」を取るというのは領土的野心が「暴露」 されるので、内外に宣明する標語を作ろう、という話までしています。

※ボランティアとは自発的な行為を意味します。しかし自衛隊で不祥事が起きたときに 罰としての労働を課した際に、ボランティアをさせると言っていたことがありました。 政治家が強制的な労働をボランティアと言いかえた例が『機会不平等』斎藤貴雄 /2004年/文春文庫の348ページにあります。


追記(2005.7.27A-2):

たとえばソ連だって捕虜の扱いは酷かったのですが、 それで日本軍の残虐行為が免罪されるわけではありません。

参考:
『アルバム・シベリアの日本人捕虜収容所』朝日新聞社編、1990
捕虜約60万人。2〜4年の強制労働(長い場合は10年)。死者5万5千人(厚生省)。
つまりソ連の捕虜になった日本人の死亡率=10%

『週刊金曜日2005年8月12/19日合併号』「検証皇軍の捕虜(内海愛子)」
日本国内での捕虜の死亡率=10%
国外の収容所の死亡率=27%(泰緬鉄道を含む)
輸送中の遭難も含めると死亡率=30%を越える

NHK総合テレビ『特集平和アーカイブス』(2005年8月9日)ジョン・ダワー(歴史学者)の話
ドイツの捕虜になった連合軍(英米人)の死亡率=4%
日本の捕虜になった人(国籍の言及なし)の死亡率=30%

同番組によれば、スミソニアン博物館で予定された原爆展では、 捕虜の虐待などに対する復讐心が原爆投下の一因になったと展示する計画だったが、 もっと正当な理由があったと主張する退役軍人の反対で中止された。

中国やアメリカの捕虜になった日本人は、自分たちが中国でやったような 酷いことをされると教えられて恐れていたのに、そうでなかったことに驚いたと いう証言はたくさんTVなどでみました。

日露戦争や第一次大戦(対ドイツ)では日本は1899年のハーグ陸戦規則を守り 交戦国の捕虜を人道的に取扱ったそうです。

東京裁判のようなものは普通の意味の裁判ではありません。勝ったほうが “矛を納める”ための儀式という側面があります。無条件降服したほうが、 そのような儀式を不当だというなら絶滅するまで戦争を続けるしかありません。 仮に日本が勝った場合に連合国よりもましな儀式ができたでしょうか?

東京裁判を国際法違反だと言って批判するのは恥しい。戦争で最初に国際法・国際条約を 無視したのはドイツと日本ですから。


追記(2006.7.7):

もちろん、米兵や中国兵が常にまともな行動をとったと言うわけではないでしょう。 東京新聞(2006年6月30日)の記事によれば、

沖縄の米兵による性暴力の歴史は1945年3月末の沖縄戦に始まっている。 島に上陸した米兵たちは、山や海辺で女性への乱暴や拉致を重ねた。

追記(2005.7.27B):

東京新聞(2005年7月17日)で池部良(元陸軍中尉)の話:

天皇陛下のために戦い、潔く死んで靖国神社に行こう、というスローガンの ようなものがあった。個人がそう思ったかは別として、軍の強い宣伝力があった。

でも、僕は五年間の兵隊生活で靖国神社のことは頭の中になかった。そういう 話をしたこともなかった。戦後、毎年、初年兵や衛生隊の会合があり 靖国神社に参拝してきた。 戦死した人たちのことを「大変だったな」と思ってお参りしてきた。 極めてプリミティブ(素朴)な心情です。

靖国神社は国の伝統だといって神道の儀式をやっている。 戦死したら神道でおはらいしてもらう必要があるのか疑問もある。

東京裁判は戦勝国が烙印を押したものだという前堤を忘れてはいけない。 日本人自身の手で、戦争責任者を摘出しなくてはいけなかった。

でも職業軍人というのは戦闘技術を学び、命を捧げて天皇陛下 と国を守りますという契約をした人たち。戦争を起こし、失敗した責任は 否めない。職業軍人全員を戦犯の対象として考えてもいいんじゃないですか。

わたしは池部氏の見解は妥当だと思います。


追記(2005.7.27C):

東京新聞(2005年7月23日)には、戦友会以外で話さなかった戦争体験を ようやく話し始めたという人の記事があります:

初年兵にまず命じられたのは、中国人を銃剣で 刺し殺す訓練だった。同じ部隊の古年兵は山間の集落で若い女性を探し、集団で 性的暴行を繰り返した。・・・母親が抱いていた赤ん坊を谷底に投げ捨てた。

幼いころから大和民族は優秀だと教え込まれ、劣等民族の中国人には 何をしてもいいと思っていた。

証言者本人も中国人を尋問した後で、小銃一発で何人貫通するか試した ことがあるというのです。死体は豚の飼育場に放り込んだと。 おそらくこういう事件は公式に記録もされていないようなものでしょう。 戦後60周年で、マスコミにもこの手の話がたくさん出てきました。 語らぬままの人も多くいたでしょう。 これが、右翼が執着する敗戦前までの日本の教育の結果なのです。


追記(2006.4.5):

戦争当時でさえ、中国での日本兵の残虐行為の噂は国内に洩れ出ていたようです。 たとえば永井荷風の日記『断腸亭日乗』の昭和16年6月18日に記録されています。


追記(2006.9.8):

敗戦前の日本は発狂していたと言われます (なだいなだ著『神、この人間的なもの−宗教をめぐる精神科医の対話−』岩波新書)。 今、再び右翼メディアが発狂しています。 日本語空間に汚い言葉をまき散らしているのです。

売国、自虐、貶(おとし)める、国賊、反日、媚中、嫌中、嫌韓、ナメられる、 黙らせる、などという攻撃的・煽動的(せんどうてき)な右翼メディアの言葉に 影響されている若い人もいるようです。

小泉首相の靖国参拝に関するNHKのTV番組で、インタビューを受けた若い女性が 『中国にナメられないように』などという無恥な発言をしていました。

日中戦争で相手をナメて、泥沼に突込み、中国人に 残虐行為をしたあげく、自滅への道をたどったのは日本なのに。

日本の過去の戦争を正当化したい人々が、再び、相手のナショナリズムをナメた言動を しています。だが、日中戦争がらみで中国と対立すれば日本に味方する国は いないでしょう。そして現在の中国は北朝鮮など問題外の核兵器を持っているのです。

煽動的な発言をしている右派は、ナショナリズムの狂気は相手に伝染しうる ことも想像できない人々らしい。防衛は総合的なものです。周辺諸国に 敵意を振りまいては、いくら武器を抱えても安心など出来やしないのです。

若い人の中にはいつまで謝罪しなきゃならないのかと逆ギレみたいな 感情を持つ人もいるようです。

しかし、日本は一応は謝罪したことになっているが、いつも相手の足もとを見て 、謝罪の言葉さえ曖昧に値切ってきたし、中国などには賠償金を払わずに すませたのです。

その上に閣僚などが、侵略を否定するような発言をするのを 繰り返したり、右派により歴史教科書や靖国神社で戦争を正当化する動きが 続けられたことを若い人たちは知るべきです。 一応、話が結着したことを、誇りだとか、ナメられるなと言って蒸し返した のは日本の右派なのです。

補足(2006.10.17):1972年の日中国交正常化の際の賠償問題や、謝罪問題に関係する 国際情勢については週刊金曜日(2006年9月22日)の記事に解説されています。


追記(2006.9.8):

『南京虐殺』の否定は右派のテーマの1つです。 NHKスペシャル『日中戦争』(2006年8月14日放送)は 興味深い資料を紹介していました。

1937年12月13日、南京が陥落すると、中国軍の兵は軍服や兵器を捨てて 民間人の服で逃げました。それに対して日本軍の当初の命令は、
『青壮年は全て敗残兵または便衣隊と見なし、全てこれを逮捕・監禁すべし』
でした(自衛隊に保管されている第九師団歩兵第7連隊戦闘詳報による)。

しかし、皇族が南京に来るというので、15日、難民区についての歩兵第7連隊に 対する命令は、『徹底的に捕捉・殲滅(せんめつ)』に変わったのです。

判りやすく言うと
『難民区の青壮年は全て兵と見なして、捕まえ皆殺しにしろ』
という命令なのだ!偶発的な殺害ではありません。

戦闘詳報では歩兵第7連隊だけでも12日間の掃討で 敗残兵(と見なした人)を6670人殺しています。 しかも南京に送られた日本兵は第九師団歩兵第7連隊だけではないのです。

第十六師団の中島今朝吾陸軍中将の陣中日記によれば、 日本軍は「大体捕虜はせぬ方針」で、捕捉した捕虜は「片端よりこれを片づけ」 てしまったのであり、12月13日の一日だけでも2万5000人くらいの捕虜を 「片づけ」た、とあります(内田雅敏『「戦後補償」を考える』講談社現代新書)。

なお、一般的には、連隊は2000人余の規模で、師団になると1万人規模になります (保坂正康『あの戦争は何だったのか』新潮社)

南京に送られた日本兵は20万人以上。

しかも、意図的に補給を節約して現地での物資調達に 依存する軍隊だったのです。この調達が掠奪となり、暴行・殺人が日常経験 として蓄積され、日本の軍隊の基本的性格を形成したといいます (古屋哲夫『日中戦争』岩波新書)。

「占領地の日本軍は現地で自活できるようにしなければならない」、 「日本内地より一厘(いちりん)も金を出さないという方針の下に戦争をするべき である」というのは石原莞爾(いしはらかんじ)が1928年に陸軍内のグループ (木曜会)で妄想的な日米最終決戦論・世界最終戦争論を発表した時の発言です (既出の『昭和期日本の構造』)。 つまり日本には補給しない戦争というアイデアは以前からあったのです。

ところで、大量虐殺の原因は皇族が南京に来たためばかりではありません。 日本は戦争のための物資をアメリカに依存していたのです。 アメリカには戦争当事国に戦略物資の輸出を禁止する『アメリカ中立法』 がありました。だから日本は中国との戦いを戦争ではないことにする必要が あったのです。

それで中国に宣戦布告をしないで攻撃しました。 また、同じ理由から、陸軍省が現地参謀長に、ハーグ陸戦法規を適用しないように 通達を出したのです。ハーグ陸戦法規では俘慮(捕虜)の人道的扱いが求めれて います。戦争と見なされるから、俘慮(捕虜)という言葉も使うなと指示しました。

しかし、実際には捕虜がどんどん捕まる。それを捕虜として存在させられない ので現地では殺して処分したのです。

自分達の食料さえあまり補給されない軍隊ですから、捕虜のまともな管理など できるはずがないのです。

世界では南京虐殺は発生した時から報道されていました。 しかし、多くの日本人は南京虐殺を東京裁判で知りました (古屋哲夫『日中戦争』岩波新書)。

こうした事件の死亡者数の推計は困難でしょう。 だから数字には議論の余地はあるでしょう。 だが、前出の陸軍省通達や戦闘詳報に残っているような命令で大量虐殺がなされない 訳がないのです。それを否定するのは不健康で、不道徳なことです。 日本の加害を認めなければ、日本の被害を訴えることなんてできないのです。


追記(2006.9.8):

内田雅敏は『「戦後補償」を考える』講談社現代新書(1994)に、 南京大虐殺事件がなかったとする「まぼろし派」は、今日ではほとんど 論破されたといってよい、と書いています。

右派歴史家・秦郁彦の『南京事件』中公新書(1986)でさえ、 次のように書いています。

日本が満州事変いらい十数年にわたって中国を侵略し、南京事件をふくめ 中国国民に多大の苦痛と損害を与えたのは、厳たる歴史的事実である。 それにもかかわらず、中国は第二次世界大戦終結後、百万を越える敗戦 の日本兵と在留邦人にあえて報復せず、故国への引きあげを許した。

昭和47年の日中国交回復に際し、日本側が予期していた賠償も要求しなかった。 当時を知る日本人なら、この二つの負い目を決して忘れていないはずである。

それを失念してか、第一次史料を改竄(かいざん)してまで、 「南京“大虐殺”はなかった」といい張り、中国政府が堅持する 「三十万人」や「四十万人」という象徴的数字をあげつらう心ない人々 がいる。

日本側の証言や史料に限定しても、ひどい虐殺が行なわれたのは明らかです。 それなのに、それを否定する櫻井よしこ(『諸君!』2006/2)のような 右派言論人が繰り返し出現しています。

彼らは発狂しているのでしょうか? 彼らによって日本の社会の精神状態がとても不健康になって来たと思います。

参考:『完全にデマゴーグと化した櫻井よしこ氏』


追記(2006.9.11):

南京では強姦殺人もひどかったのです。 秦郁彦の『南京事件』中公新書(1986)には次のような記述があります。

昭和の日本軍は一段と悪質だった。建前では、強姦が発覚すると処罰される ことになっていたので、証拠滅失のため、ついでに殺害、放火してしまう 例が多かったからである。さすがに頭を痛めた日本軍は、慰安婦を大量に 戦地へ投入する奇策を採用したが、クーニャン(姑娘)狩りを趣味とする 兵士がいたので、根絶はできなかった。
わざわざ慰安所が作られたということ自体が、 南京で相当にひどいことが行なわれただろう事を示しています。


追記(2006.9.13):

初年兵の訓練で中国人捕虜を刺殺させたというのはよく聞きます。 元・日本兵の戦場での体験証言を録画している人のNTVのドキュメント(2006/9/10) で、兵隊の捕虜ではなく近所のふつうの農民を捕まえて殺していたと 証言した人もいました。


追記(2006.9.13):

歴史家の加来耕三がTBSラジオ(2006/9/9)で田中義一について 日本の軍国主義への傾斜を進めた人物として話していました。

日露戦争のときにも日本はたくさん失敗したのに国民には 知らされなかった。そのため田中義一は失敗もしたのに 日露戦争の大立者として出世した。
やはり、国民は国の失敗をちゃんと知らねば、もっと大きな失敗を もたらすことになるのです。


追記(2006.11.27):

軍組織の幹部は官僚でもあります。日本の官僚の得意技は責任回避です。 一度責任を認めたようであっても、後から実質的に責任回避することもよくあります。 東條英機が強行した太平洋戦争が、やむを得なかったなどと言い張るのは ナショナリズムを利用して、官僚は常に正しいと主張する官僚無謬論(かんりょうむびゅうろん)です。 実際には当時、反対した軍人だっていたのに。

日本テレビのNNNドキュメント'06『敗北外交』(2006/11/19)によれば、 今も、日本の経済外交は負け続けています。 OECDでは日本に不利なルール変更で、ODA関連事業の日本企業の落札率は下がり 続けています。

経済産業省の前田充浩が過去の日本の経済外交をヨーロッパで調べて 次のように話しました。

(日本国内には)過去、自分たちがやった政策の記録が残されていない。 外部の研究者に公開されない。1回負けたら同じ失敗を繰りかえす。 残すと恥かくからね。特に負けたときの資料が潰滅的、すぐ捨てるのでしょうね。 組織として昨日より今日のほうが賢くなるという仕組ができていない。 失敗したらどこが悪かったか国民皆でチェックしていくようにしなければ無理です。

追記(2007.11.7):

NHK教育テレビ(2007年11月3日)「サイエンスZERO」によれば、 ミトコンドリアDNAの分析により日本人の起源がある程度分かるようになってきました。ミトコンドリアDNAは母親だけから子どもに伝わります。世界中には80ほどのタイプがあります。日本人は大半は16タイプのうちに入ります。16タイプの中で、日本だけに存在するタイプは1つのみで、その割合は小さい。

つまり、日本人同士よりも外国人とのほうが近い組み合わせも多いのです。人類はアフリカから出たのだが、日本人の中にはアフリカの祖先までたどらないと他の日本人のタイプと共通祖先が見つからない組み合わせもあります。最近帰化したような人ではなく、古くから日本にいるタイプでもです。日本人は単一民族なんていうのは妄想です。


追記(2008.2.3):

『科学、2008年1月』岩波書店/篠田謙一「遺伝子と人骨が語る日本人の成り立ち」によれば、

人類が旅立ったアフリカとの地理的関係をみれば、東アジアへのルートが複雑なものになるのは当然である。日本人のミトコンドリアDNAのハプログループ(DNAのタイプ)は種類も多く、系統の離れたものが混在しているが、それは多様なルートをたどって日本に到達したことを反映しているのだろう。日本人の由来はヨーロッパなどに比べてはるかに複雑で、全体像を描くにはまだしばらく時間がかかりそうである。
DNAと民族は違う概念ですが、民族という意識は集団に固有の生物学的差異があるということを想定しているでしょう。もし日本人が単一民族だというなら、ヨーロッパ全体も単一民族と言わねばならないです。

文化的側面で見ても日本列島には多様な社会がありました(放送大学『考古学と歴史('04)』第15回、藤本強)。

民族国家という妄念を廃棄すべきです。国家という集団レベルは基本的に多民族だと認識すべきです。そうでないと抑圧による文化破壊や、民族浄化が起きてしまいます。沖縄やアイヌの文化をこんなにも破壊したのはもったいなかった。特に言葉を禁止したのは罪深いと思います。


追記(2008.4.14):

日本テレビ(2008年4月6日)のNNNドキュメント「兵士たちが記録した 南京大虐殺」は、歩兵第六十五連隊の兵士の陣中日記を20年間かけて探している人を 取り上げていました。

探し出された三十数冊の陣中日記には、1937年の南京郊外の揚子江沿岸で、 12月16日、17日だけで約2万人の捕虜をこの連隊が虐殺したことについて 書かれていたのです。しかし、帰国してから虐殺について語った人は ほとんどいないそうです。該当するページが廃棄されていた日記もあったのです。

TBSテレビ(2008年4月7日)の「NEWS23」は、右翼活動家(21歳)を 取材していました。彼は、週刊誌(週刊新潮)や国会議員(稲田朋美)などと 連動して、ドキュメンタリー映画「靖国YASUKUNI」が 反日だから上映するな、と映画館に街宣活動したのです。この映画は 10年間も取材して作られたそうです。

彼は、映画の中に「南京大虐殺」の写真が出てくるが、実際にあったかどうかも 分からないと批判していました。しかし彼は、この映画を見てもいないのです。


追記(2008.6.2):

東京新聞(2008年5月28日)の匿名コラム「大波小波」(日の下開山)によれば、

大相撲でかつて将来を嘱望されながら、いきなりプロレスの世界に身を投じて 国民的ヒーローになった力道山は今の北朝鮮の出身だ。その力道山が街頭テレビで 闘ったアメリカのシャープ兄弟の国籍は実はカナダ。北朝鮮対カナダの闘いを、 多くの日本人たちはアメリカを負かす大和魂として見て興奮した。 得意技を原爆頭突きと命名されて、広島長崎の敵を討てとばかりに応援された 大木金太郎は、実は韓国からの密入国者だった。ナショナリズムの本質など 実はこのレベル。でもこのレベルから、時には取り返しのつかない事態が起きる。


追記(2008.6.2):

朝日新聞(2008年5月31日)はテルアビブ大学のシュロモ・サンド教授(歴史学)の 著書「ユダヤ人はいつ、どうやって発明されたか」を紹介しています。

今のユダヤ人の祖先は別の地域でユダヤ教に改宗した人々であり、古代ユダヤ人 の子孫は実はパレスチナ人だ。 教授によると、古代ユダヤ人は大部分が追放されず農民として残り、キリスト教 やイスラム教に改宗して今のパレスチナ人へと連なる。イスラエル初代首相 ベングリオンらが建国前に著した本の中で、パレスチナ人たちをユダヤ人の子孫と 指摘していた。ユダヤ人入植で対立が深まる中で、パレスチナ人を子孫とは言わなく なったという。
※日本語版『ユダヤ人の起源』ランダムハウス講談社


追記(2008.6.6):

川田順造は『現代思想、2008年4月号』で、国民国家や民族の概念について書いています。

現在の人類学の研究成果では、人種、民族は、境目のはっきりした実体ではなく、生物としての特徴、文化の特徴のさまざまな要素が、連続しながら差異を生みだしていると見るべきだと考えられている。これは、私も委員の一人として参加した「人種・民族の概念を検討する小委員会」という、日本人類学会・日本民族学会合同の研究組織が、何年も会合を重ね、さまざまな地域での経験をもつ学会員多数の質問表への回答結果も検討したのちに、1999年に結論として明らかにしたことだ。

民族を定義するのに、かつては客観的規準、つまり言語、宗教、衣食住など生活の基本的営みの構成要素を共有していることと、「我々意識」を共有しているという主観的規準が挙げられていた。だが現実には、言語、宗教、衣食住などのすべてが、ある集団だけに共通し、他の集団とは異なっているなどということはありえない。

ただ、いくら学問上は有境の社会集団として「人種」も「民族」も存在しないと言ってみても、現実に社会的な差別・被差別の結果、「人種」「民族」がレッテルとしてある範囲の人々(よく見ればきわめて曖昧にでしかないのだが)を指して用いられることは多い。

「民族」はなくても、「人種問題」「民族問題」は存在するのだ。


追記(2008.8.15):

自分が所属する国家による残虐行為を見ようとしない人々は日本だけにいるわけでは ありません。どこの国だろうと、こういう人々は愚かだと思います。

アメリカには広島・長崎への原爆投下を正しかったと言い張り、それでいながら 被爆者の写真などを見ようとしない人々がいます(NHKスペシャル「解かれた封印」2008/8/7)。

占領軍として9月22日長崎に入り、原爆の(建物などに対する)破壊力を記録する ことを命令されたジョー・オダネル軍曹。彼は軍の命令にそむき私的に30枚の 被爆者などの写真を撮影して秘匿していました。

1990年オダネルは長崎の写真を公表しました。しかし、写真展を開こうとしても 原爆の写真を受け入れる施設はほとんどなかったのです。本に掲載してもらおうと して35社の出版社をまわったが断わられました。 1995年、スミソニアン航空宇宙博物館で決まった写真の展示も退役軍人の反対で 中止になりました。家には嫌がらせの手紙がくるようになり、 新聞にはオダネルを批判する投書が出ました。妻は離婚しました。

誤解しないでほしい。私はアメリカ人だ。アメリカを愛しているし、国のために 戦った。しかし母国の過ちをなかったことにできなかった。
韓国はベトナム戦争に参加して、かなり残虐行為をしたが、自国民がそれを指摘 するとすごい圧力がかかるそうです(TBSラジオ、吉永小百合と姜尚中の対談、 2008/8/10)。

現在のトルコ政府はアルメニア人虐殺(第一次大戦中)を否定する立場をとって います。2005年、トルコの文学者オルハン・パムクが「100万人のアルメニア人が 殺されたが、私以外にだれも語ろうとしない」と発言すると、暗殺をほのめかす 脅迫が相次ぎ、国外に身を潜めざるを得なかったのです (歴史学研究「南京事件70年の日本と世界」笠原十九司、2007/12)


追記(2008.11.16):

ホテル業のアパ・グループが募集した懸賞論文「真の近現代史観」に 自衛隊員が多数応募して、空幕長・田母神俊雄(60歳)が最優秀賞を受賞しました。 これが問題になり国会で参考人質疑が行なわれました。その田母神俊雄の論理が 幼稚です。

論文で田母神俊雄は日本は過去に侵略国家ではなかったと主張しました。 国会質疑では、「日本はいい国だった(つまり侵略国家ではなかった)と言ったら解任 された」、「日本の国をいい国だと思わなければ頑張る気になれない」と発言し ました。

同じ論理を他の国に当てはめてみればその幼稚さは明白になります。西洋諸国は過去に 他国を侵略して植民地化した歴史を持ちます。一度でも侵略した歴史をもつ国家は 永遠に悪い国だということになるのなら、西洋諸国の軍隊は自分の国をいい国だと 思えないから頑張れないことになります。西洋諸国も侵略・植民した歴史を否定した ら、世界史から侵略が全てなかったことになります。変でしょう。

旧日本軍の指導者は、希望的観測や妄想を膨らませて、日本を破滅に導びきました。 『国家の拳』の役割を担うべき軍隊や自衛隊の幹部が、『国家の頭脳』の役割を 果たそうとするから国は危うくなるのです。

(参考:NHK総合テレビのニュース、2008年11月11日)


追記(2008.11.29):

大量虐殺について、スティーヴン・オッペンハイマーは『人類の足跡10万年全史』(草思社)という本で、現生人類の誕生に伴う他の人類の消失に関連して、こんな風に書いています。

つまり近代史の記録によれば、わたしたちには同属の隣人を殺す用意があり、意欲があり、能力があるのだ。
人類が、どのような性質を持つ生物であるのか、その実像を認めなければ、その虐殺行為を抑えるための方策を考えることなどできないのです。


追記(2009.2.5):

戦争に参加して加害を行なった当人が、その記憶を自ずから消してしまうこともあります。

映画『バシールとワルツを』(監督:アリ・フォルマン/2008年/イスラエル)は1982年にイスラエル軍がレバノンに侵攻しパレスチナ難民を虐殺したことに関する作品です。

この映画の監督は、19歳の時に現場に送られた軍の一員でしたが、記憶はキレイに消えていました。四半世紀後、友人の言葉から「もしや自分も現場にいたのでは」と考えだして記憶を掘り起こす旅を始めたのです(中村富美子『週刊金曜日』2009/1/23より)。

派遣されたイスラエル兵の一人一人は、自分が何故、どこに行ったかもよく分かっていなかったといいます。監督が友達にインタビューすると、「上陸してすぐ目の前に出てきた車を撃ったじゃないか。怖いからずっと撃ち続けた。誰が乗っているのか見にいったら、普通のお父さんとお母さんと子どもたちだったね」自分が何をやったか友達に聞くと、ほとんどが虐殺行為だったのです(町山智浩『コラムの花道』TBSラジオ/2009/1/27より)。

この映画を紹介した町山智浩の発言から:

他の国に入った軍隊って必ず虐殺やってますから。回りが全部、敵だって分かっていて、自分たちが侵略者だってこと分かっていているから怖くてやっちゃうんですよ。他人の国に土足で入っているわけですから。昔からやってますから。


※(邦題は『戦場でワルツを』となりました)


追記(2009.6.29):

日本では、ナショナリストとして発言している人達の背景には、ナショナリストとしてあるまじきものが隠れています。毎日新聞(2009年6月22日)は戦後保守派について特集しています。

保守派が力を付けたのは、アメリカの財政的後押しがあったからだ。1956年、戦後初の本格的な保守系知識人団体として結成された「日本文化フォーラム」は、CIAが支援した反共知識人の国際組織「文化自由会議」の事実上の日本支部だった。アメリカのソフトパワー戦略を担ったフォード財団は、同フォーラムに年間約2000万円の活動費を出していた。同フォーラムの雑誌「自由」は59年創刊で、10年後に「諸君!」ができると、執筆陣の多くがそちらへ移った。
こんな人達の言論はまともに聞くことはできません。


追記(2009.8.24):

NHKスペシャル(2009年8月11日)の「日本海軍400時間の証言/第3回」は戦後、秘密裏に行なわれていた海軍の指導者たちの反省会の録音テープを紹介していました。大井篤(元大佐)は次のように発言しました:

わたしはもっと前に、たとえば『三そう島事件』。昭和13年、三そう島事件というのがあって。わたしはその後で行ったんですけど臭くて、死臭が。あの三そう島に海軍の飛行場をつくったんです。飛行場をつくるのに住民がいるもんだから全部殺しちゃったんですよ。何百人か殺した。要するに支那事変(日中戦争)のころから人間なんて、どんどん…。作戦が第一なんだ。勝てばいいんだ。そういう空気でしたよあのころの空気は。
我々は捕虜と言っておったんですが、そういう者の人権なんていうものは全く無視してるんですよ。ことに捕虜どころじゃない市民にまでひどいことをしてるわけですね。わたしは満州だとか日中戦争、あのころがね、あの癖がついたんじゃないかという気が非常にするんですよ。太平洋戦争になると…。そして何であんなにね、日本の人たちが残酷になったかと…。
番組の関連取材に応じた元・上等水兵は捕虜殺害について話しました。
人を殺す処刑なんて気色のいいもんじゃなかった。そこで拒否でもしたら(兵舎に)帰った晩は、たたかれたり、小突かれたりじゃもん。それが一人ならいいけど、同年兵が全部やられるんですよ。その当時の兵隊のあれからいって…。
この人は処刑現場には艦隊司令部からの命令があったことを窺わせる法務官がいたと証言していました。だが艦隊司令部は責任から逃げました。BC級裁判では、(司令部の命令を受けて)捕虜の処刑を実行させたことを認めた現地部隊の大佐のみが有罪となり、処刑されたのです。BC級裁判の弁護方針のメモには、「天皇に累を及ぼさず」とあり、中央部に責任がないようにするため、最高でも現地司令官までに責任を負わせる、とあったのです。責任者が責任をとらない国、それが日本です。その原因の中心が天皇制なのです。 こんな風に、道理が通らない権威主義の国がまともな国になるはずがありません。


追記(2009.8.24):

NHK総合テレビ(2009年8月8日)「従軍看護婦が見た戦争」で、重傷の患者を日本に送り返す病院船に勤務した看護婦が証言していました。500〜600人の傷病兵のうち1割近くが精神疾患にかかっていたといいます。

「俺は殺した、俺は殺した」としょっちゅう言ってた患者さんが非常に凶暴性があって暴れるので個室に鍵をかけて入れるんですけど、全身でぶつかって鍵を壊すんです。
単なる戦闘ではなく、無抵抗の人間を命令で突き殺さねばならないから発狂する人も出た のでしょう。永井荷風の日記『断腸亭日乗』には、精神病院が狂った兵隊で満杯になっているという噂が記録されています。


※(1945年の精神病院での死亡率は40%を越えたといいます。栄養失調です。NHK教育テレビ/2009年12月6日)


追記(2010.3.16):週刊金曜日(2010年3月5日)「ベトナム戦争から見えた戦争の本質」(報道写真家石川文洋氏に聞く)から抜粋:
(成澤宗男):米国は、ベトナムで枯葉剤を使っていますね。戦争が終って随分経ちますが、まだ障がいを持って生まれてくる赤ちゃんがいる。この国の残虐性を強く感じるのですが。

(石川):いや、そもそも人間を人間と思わないのが戦争なのです。なぜそんなに残虐なことができるのかといえば、戦争だからです。日本人も、南京などで同じことをしている。戦場に行けば、私でも誰でも、そうなるということです。ベトナムを取材したころ、「人間は戦争だから残虐になるのか、もともと残虐な性質を持っているのか」を考えました。結局、「もともと残虐なのではないか」と考えざるをえませんでした。日常生活では、それが隠れているのだと思いました。

(成澤宗男):本質的に残虐性を秘めていると。

(石川):そうでないとアウシュビッツでもカンボジアでもあれだけの人を殺すことはできないはずです。ボスニアでも「民族浄化」をしています。

ほかの国もやったというのは、事実なら言ってもいいでしょう。しかし、自分の国がやったことを否定したり、数字を値切ったりするのはもう止めるべきです。
追記(2011.1.20):南京虐殺の数字が大きすぎると値切る人がいますが、人間がいかに 短期間に大量殺人を簡単に行なうか、他国の事例も学ぶべきです。

NHK教育テレビ(2011年1月15日) 『Qわたしの思考探求(なぜ戦争はなくならないのか)』で伊勢崎賢治は、 ルワンダ内戦(1990〜94)について、「農具の山刀で100日間に80万人殺された」と 話しました。


再追記(2014.5.6):インドネシアに関するドキュメンタリー映画 『アクト・オブ・キリング』に関する紹介記事がたくさん出ています。 例えば『東京新聞』(2014/4/10)によれば、
1965年9月30日、スカルノ大統領の親衛隊の一部がクーデターを起こそうとした。 その後、スハルトが権力を掌握。事件の黒幕は共産党だとして大弾圧を行った。 100万人もの人々が殺害されたとされる。
この映画では、加害者が証言・実演しているそうです。殺人に加わったのは 軍に加え、ヤクザ者、一般の民衆でした。
追記(2013.1.28):日本では、金持優遇税制が進み、かつて75%であった高額所得者 の所得税の最高税率は40%にまで減税されています。現在、相続税を納めているのは4% のみだそうです。一方では税収が減って財政赤字が巨額になっています。 世界中で新自由主義(市場主義)が失敗して、金持増税の必要性が認識されて きています。

民主党政権の自壊で自民党と連立与党になった公明党が富裕層の所得税の最高税率を 50%にしようと提案したが、自民党の支持者には比較的、富裕層が多く、所得税増税 に反発する声は根強い、というのです(『東京新聞』2013/1/11)。

他のメディアの報道によれば、富裕層増税をすれば金持が外国に逃げるという反対論が 自民党から出たそうです。自民党や右派勢力は愛国心教育を主張してきましたが、 納税の義務すら嫌がるのが、彼等の愛国心の正体です。『君が代』を歌えば愛国者だ とは言えません。彼等の『愛国心教育』は支配の手段です。国家上層部に国民が 逆らわないようにしたいのです。それを可能にするためには、過去の戦争での失敗も 認めるわけにはいかないのです。


追記(2014.5.6): NHK教育テレビ(2013年12月7日)のETV特集 『戦場で書く〜作家 火野葦平の戦争〜』には作家・石川達三のこと も取り上げられています。

石川は南京攻略戦に参加した兵士から聞き取りをして 小説『生きている兵隊』を書きました。掲載雑誌は検閲で発売前に発禁になり、 石川は裁判にかけられました。番組では石川の長男が当時の公判調書を読み上げました。

国民は我軍の軍規の厳粛なることを信じて居るのであって斯様(かよう)な事を 書いたら日本軍人に対する信頼を傷付ける結果にならぬか。
当時、石川は事実に反することを書いたから取り調べを受けたのではなく、 官僚にとって「不都合な事実」を書いたから有罪にされたのです。

不都合な歴史について自虐だなどと言って否定するのは、官僚の責任回避を助ける ものです。彼らは反省せず過去から学ばないから、現在も失敗を繰り返すのです。

大島堅一(経済学者)は次のように発言しています。

環境に関する政策研究を続けていて痛感するのは、日本は歴史がない国だ ということだ。行政の歴史が次々廃棄され、検証することが非常に難しい。 公害問題を国がどう扱ったかという資料も捨てられている。国がどんなに誤った 環境行政を行っていたのか、今は分からない。国家が間違うはずがないという 無謬性に、役所はとらわれている(『東京新聞』2014/1/7)。

追記(2014.6.1):『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』(祥伝社新書)で、 日本軍による「『南京虐殺』はなかった」と主張した部分は、著者に無断で翻訳者が 書き加えていたことが明らかになりました(『東京新聞』2014/5/9)。
著者ヘンリー・ストークス氏は共同通信に「後から付け加えられた。修正する必要がある」 と述べた。翻訳者の藤田裕行氏は加筆を認め「2人の間で解釈に違いがあると思う。 誤解が生じたとすれば私に責任がある」と語った。同書は昨年12月に発売、 約10万部が売れた。ストークス氏単独の著書という体裁だが、大部分はインタビュー を基に藤田氏が日本語で書き下ろしたという。
行政が資料を廃棄して、メディアで右派言論人がウソをまき散らしてきました。 その結果、日本の空気が悪化してきてヘイトスピーチなどが表に出てきました。
追記(2015.1.8):在特会が池袋でデモをしてヘイトスピーチを行っている時の 写真が『東京新聞』(2014/12/28)に出ていました。 デモのプラカードには「韓国人は神様の失敗作です。容姿も内面も世界一醜い」と 書いてありました。

現代の日本人の頭骨の形は地域により異なります。近畿地方は短頭型で、他の地方 の人よりも朝鮮半島の人の頭骨の型に近いのです。世界を視界に入れるならば 疑いなく韓国人は日本人の近親者なので、彼らを侮辱するのは日本人を侮辱するのと 同じです。

弥生時代以降、日本には何回も渡来人がきて多様化しました。現在は7〜8割が渡来系です。 完全には混血していません。古くから日本にいるのはアイヌや沖縄の人の系統です (放送大学アーカイブ・特別講義 『日本人の起源』2014/12/13)。



(旧題:ナショナリズムと教育)

著:佐藤信太郎
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