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■HP蜘蛛夢■


(初版2000.11.27;微修正2015.12.13;更新2019.8.15)

専門家の意見に分裂があるときに役立つ補助的な視点




この時代の最大の特徴は自然科学(サイエンス)が爆発的に拡大している点にあります。

そして、拡大している科学や科学技術が社会に大きな関与をしているので、一般人もま た専門家(科学者)の言動を判断する目を持っていることが望ましいと思います。

身近なことで言うなら、あなたが癌になった場合、癌と闘うなという本もあれば、闘え という本もあるのです。公害が問題になったときには、工場排水が原因だという学者も いましたが、別の原因を主張した専門家もいて、厚生省などは、専門家の見解の分裂 を根拠に使って対策を先送りにしたという過去があるのです。エネルギー問題では原子 力を安全だという学者と危険だという学者がいるのです。

専門家の言動をいかに判断すべきか、完璧な方法はないのですが、わたしが考えている 補助的な判断基準について書きます。

◆科学者でない専門家の場合

科学者とは、簡単にいうと専門教育を受けて、専門学会で同じ専門の研究者に何段階か のチェックを受けて学術雑誌に論文を発表している人です。しかし、科学者ではないが 専門的な知識を持っている人はいます。

そういう人の言動を判断する視点は、まず慎重 な主張かどうかということです。また根拠が具体的かどうかも見なければなりません。 ほかに専門家がいるなら、その意見とも比較する必要があります。
(旧石器捏造の人物の事件発覚前の発言は、慎重とはかけ離れたものでした)

◆科学者の場合

科学者個人は科学を代表しないことに注意しなければなりません。とくに専門領域でな いことについては科学者でも一般人とかわりないのです。専門領域でさえ、あるテーマ について正しい見解をもっていても、他についても信頼できるとは限らないのです。

自然認識の方法として科学がほかの方法より多少なりとも信用できる根拠は個人ではな く科学全体のメカニズムにあるのです。

◆専門家に意見の分裂があるとき

素人は大多数の専門家が認めていないような、少数派の新説に飛び付かない ほうがいいと思います。保守的と思うかもしれませんが、そうでないのです。大多数の 専門家よりも素人のほうが天才を理解できると思うのは変でしょう。

それまでの定説を 覆すような発見を受け入れるのは、大多数の専門家が認めてからでも素人にとっては遅 くないのです。マスコミにのるような新発見や新療法は、少し様子を見ておくくらいに すべきです。

多数の専門家が認めていないような新説を一般向けの書籍だけで主張する人は、それ以 前に科学的な業績があったとしても警戒してみたほうがいいでしょう。

◆少数派の説を受け入れるべきとき

ただし、大多数の専門家が少数派を批判する理由に専門家自身の利害がかかわっていそ うなときは、少数派の意見でも採用したほうがいいことはありうるのです。

例えば、近藤誠という医師が、がん検診について、リスクの割には益がないと論じ ていました。それに対して多数の批判的な医師もいて論争になったのです。

こういう場 合の批判は彼らの利害にかかわっているから割り引いて見る必要があります。近藤医師 に対する批判はヒステリックでしたし、近藤医師の主張は検診以外の問題についても日 本の医学の変化に先行していた点も考慮すべきです。近藤医師の説の一部を批判しなが ら、ほかの問題については賛同していた医者もいたことも参考になります。

そのころ私自身、痔の症状が大腸癌の症状に似ていたので検診を受けて、ポリープ を取る内視鏡手術を受けました。近藤医師の批判があることは少しは知っていましたが 著書はまだ読んでいませんでした。本屋で立ち読みした医学書には下腹部へのX線はリ スクが高いとあったのに内視鏡検査の前に注腸X線検査をされました。

後でX線は省略 するのが普通になってるとTVでやってるのを見ましたが、この地域の検診を引き受て いる専門の施設ですから、スタッフや機材を稼働させないわけにはいかないだろうと想 像しました。ただし、近藤医師の本には、いきなり内視鏡検診を受けるのも危険だとか いてあるのですが。

原子力発電の安全性についても開発に関与している学者の見解は割り引いてみる必 要があります。原子力の専門家のほとんどは開発に関与していますから少数派の専門家 である故高木仁三郎の見解は重視するべきです。

専門家の利害とは金銭的利害だけではありません。 何とか委員なんていうものを国家権力から依託されるような学者には 御用学者意識の強烈な人物も多いようです。そういう専門家にとっては 自分の権威やメンツや国家の無謬性を保つことが自分の利益と感じられる ようなのです。

◆専門家が自分たちの技術について安全という場合や宣伝する場合

自分たちの技術について安全だと専門家がいう場合に信用するには根拠が必要です。

日本の技術なら安全とか、日本は他の国とは違う(特別に優れた国だ)というのは 根拠になりません。信用すべきではありません。ロス地震のあと日本の高速道路の 建設技術なら安全だと言った専門家の言葉の無意味さは阪神地震で明らかになりました。

スリーマイル島やチェルノブイリでの原子力事故について日本ではありえないと専 門家は言っていましたが、もんじゅの事故やJCOの臨界事故や福島第一原発事故など が繰り返されています。

バイオテクノロジーの専門家が、人口増加による食糧不足を自分たちの技術で解決 するなどと言うことがありますが、貧困や人口問題についてまともに考えたこともない のだろうと思います。

◆専門家が自分たちの技術について危険だという場合

「どんな分野でもそうだが、その道の専門家が自分がかかわっている方法に関して否定 的な発言をするときには、額面通りに受けとっていい」(近藤誠 ,1999)

◆専門家が予測する場合

「予測値はあくまでも条件つき予測であり、前提条件や拘束条件が変われば答えも違う 。また、断定的な答えほど疑ってかからねばならない。ある人が人間に関する出来事に ついて、何が起こるかの予想を無条件に立てた場合、彼が自分の予測に自信をもてば持 つほど、その予想を信用してはいけない」(ジョエル・E・コーエン、1995)

◆孤立した天才

以前、詐欺師が日本では新しいアイデアが認められないからとか言って、融資と称し て金を集めて騙し取った事件がありました。メンデルのように何十年も孤立した天才 が認められないなんていう状況は現在はほとんどありえないです。

短期的には新しいアイデアがすぐに認められないことはあるが(例;プリオン)、 優れたアイデアならそのうち認められます。認められない学説とか無視される仮説とい うのは普通にたくさんあるのです。それは魅力がなかったり、それを使って論文を生産 する可能性が低かったりするからです。

◆比較

他の専門家、他の国での見解と比較することは重要です。エイズの研究はアメリカで進 んでるのは明白なのにアメリカで採用した加熱製剤を使わずにアメリカでやめた非加熱 製剤を使い続けた日本の厚生省の判断は大間違いです。

C型肝炎ウイルスを発見したのはアメリカの学者ですが、日本はC型肝炎患者がア メリカより多いので治療に関して研究が進んでいた時もあったようです(※2014年の 時点では欧米に遅れています)。

「医者からもらった薬がわかる本」(木村繁)には各種の薬の欧米での使用度が出 ています。著者は、日本だけで使われてる薬を処方されたら注意したほうがいいと書い ています。

日本ではハンセン病の専門医が確信犯的に隔離政策を推進しました。その結果、 らい予防法で患者が強制隔離され、優生保護法で強制的に避妊手術がされました。 国際的にハンセン病(らい病)は薬でなおることが認識され、世界では日本のような 隔離制度をつくらない国もありました。日本で、らい予防法が廃止されたのは1996年です。

※ 欧米の社会にも、日本と同様の欠陥が存在するかもしれないので、 欧米や国際機関の判断が常に正しいわけではありません。

◆権威

日本の学者の世界は狭いから、そこに強い権威者がいるような場合には注意が必要 です。議論が十分になされずに大勢が権威者に引きずられる場合があります。そのよう な場合には少数派の見解も考慮すべき場合があるし、外国の状況も比較すべきです。

◆評論家

評論はその時その時の問題についてされることが多いから、ちょっと時間がたてば、そ の評論家の見解の信用度はなんとなくわかるようになるのではないでしょうか。できれ ば評論の評論みたいのがあるべきと思います。

同じ系統の専門家でもちょっと自分の領 域をはずれる分野のことだと、教科書や論文を一つ二つ読んだだけでは変な誤解をする ことはよくあるように思います。だから、その分野の専門の経験のない評論家は注意し ないといけません。

自然科学出身でないある評論家が自然科学に関して評論をしていますが、わたしは 以前から、あまり信用していませんでした。だから、彼の本は読んでいないのですが、 最近、彼の自然科学評論について専門家が批判する本が出版されたようです。その批判 が妥当かどうか、まえがきや後書き(ちょっとヒステリック)くらいしか読んでいない のでわかりませんが、批判の存在は必要なことです。

わたしが信用しなかったのは、彼が、神秘主義的なことを許容する言動が少しある ように感じたからです。

◆自然についての説が社会的な意味合いを含んでいる場合の判定

「われわれを気持ちよくさせたり、われわれの偏見を煽ったりするような 特性を自然のなかにもちこんでしまうような主張は、くれぐれも疑って かかるべし。私がとくに警戒しているのは、やさしさとか、相互性、協働性、 調和といった事柄、つまりわれわれが自分たち自身の生活で実現したいと強く 願っているのだが失敗することの多い事柄が、自然の内におのずと具わって いるとするような議論である。」(S・J・グールド、1995)


■追記(2007/2/15)、東京新聞(2007/1/30)より:

関西テレビ制作の健康科学情報番組「発掘!あるある大事典II」の実験データ ねつ造問題について長村洋一(千葉科学大学教授)の話。

「(1)実験をやった。(2)難しい化学物質の名前が並ぶ。(3)研究者がもっともらしい コメント。この三つがそろうと、もうイメージとして焼き付いてしまう。関与する 研究者の責任は大きいが、あまりにも浅薄な情報に流されやすい人が多くなった ことも問題」

「薬に万能薬がないのと同じで、研究者もそうそう広範に研究はできない。 テレビで何にでも通じている印象を与える研究者がいたら、その言葉を一度は 疑ってみる慎重さが欲しい」

■追記(2007/2/15)、東京新聞(2007/2/2)より:

東京電力の原子力発電所で検査データ改竄など199回もの不正工作が発覚。 1977年〜2002年まで原子炉13基で7つの検査逃れ。

田中三彦の発言

「原発業界は建造するメーカーと運転する電力会社、管理する国の三重構造。 メーカーが電力会社を、電力会社が国をそれぞれ馬鹿にしている。 巨大テクノロジーの分野では担当者しか知らないことがたくさんある」

「経験者を使い、検査する側のレベルを上げること。米国には、実務経験者しか 判を押せないシステムがある。経済産業省の組織に第三者を入れることも必要だ」

■追記(2007/3/12)、東京新聞(2007/3/11)より:

菊地洋一(元原発技術者)の話

「国や電力会社はチェルノブイリ事故のようなアクシデントは起こらないと 信じているが、安全な原発を造れるほど技術は進んでいない。金属の腐食 ひとつとってもよく分ってないんです」

技術者の意向を尊重せず、最後は政治的な判断を優先する世界。事故があっても 「現場の責任者止まりで、経営者までいかない。罰則も甘すぎる」

定期検査での改ざんなどについては「怒られるのが嫌で、下請けが隠す。 電力会社も知らなかった不正が多いのではないか」

「電力会社が関与していたのなら、運転資格をはく奪しなければならない」

■追記(2009/6/29A):

公的機関などが、不適切なデータをもとにしているにもかかわらず 「科学的だ」と主張することがあります。

広島への原爆投下のあと、米国が彼らの核利用推進のために作った信頼性の低い 放射線データをもとにして原爆症の認定/非認定の根拠にしてきたことや、 信頼度の低い血液型鑑定やDNA鑑定による冤罪事件はその例です (古畑種基による血液型鑑定、足利事件のDNA鑑定)。

本来、科学的な判定とは、他人はもとより自分自身の出したデータも疑ってかかる というのがあるべき姿なのです。そういう姿勢の見えない主張は警戒すべきです。

■追記(2009/6/29B):

公的機関やそれに関与する専門家が、自らやるべきことをしないとき、 「科学的に原因がわかっていない」からと、不作為の罪を言い逃れようとすることが あります。

しかし重大な危険を避けられる可能性があるならば、完全に原因が確定していなくても 状況証拠から推定される原因に応じた対策をとることは「科学的(合理的)だ」と 言えます。

日本では、HIVを死滅させていない非加熱製剤が血友病患者に投与されたために、 患者がHIVに感染しました。これは上記の原則が採用されなかったからです。

昔、産院での産婦死亡率は高かったのです。そのデータを集計したゼンメルワイスは、 1847年、学生の診療前に消毒液で手を洗わせるようにしました。この処置で、産科での 死亡率は激減しました。この時点では、産褥熱の原因は確定していなくて、情況証拠と 推測しかなかったのです。その上、ゼンメルワイスの推測は上司である教授に頭から 否定されていたのです。

昔、外国で可能だったことが、現代の日本では出来ていません。

■追記(2009/11/9):

単一の基準では、専門家の見解の妥当性は判断できません。

この文章で、私は「専門家の利害が関っている場合には少数派の見解でも重視 すべき場合がある」と書きました。

最近、標準的な医療に対して批判的な学者が、標準的医療を支持する多数派の 専門家の見解について、「彼らの利害と関っているからだ」という意味の発言を 週刊誌でしていました。仮に、そのような側面がありそうだとしても、その学者の 主張する方法が妥当かどうかは別の話です。

その人物が書いた他の文章を少し読んだところ、基礎的な科学知識について も妄想的な記述が多いように感じました。その人物が主張する非正統的方法で、 多種多様の困難な病気がすぐ直るというようなことも書かれていて、とても 信用できないと私は判断しました。

その人物は、一般向けに多数の本を出しています。メディアの中には、その学者に 「〜の権威」という形容詞をつけて、その非正統的な主張を世の中に 広めているものがあります。標準的な医療でないなら、本当かどうか疑う視点も 持たないと無責任です。

現代の標準的な医療で治癒の困難な病気を抱えている人はたくさんいます。 また医療現場には様々な問題もあるようです。標準的医療でも根拠が十分ではない 場合もあるようです。そうした諸問題のために医療に不信感をもつ人も多いようです。 だが、そのためにニセ科学を信じてしまうのは危険なことです。

■追記(2019/8/13):

池内了『疑似科学入門』(岩波新書)から抜粋:

フロンがオゾン層を破壊するとしてモントリオール議定書が結ばれようとしたとき、 日本政府は「科学的な証明がなされていない」という理由で直ちに批准する 措置をとらなかった。BSEが広がりつつあったとき、ヨーロッパ連合から調査書が 送られてきたが、日本政府は「科学的根拠に欠ける」として協力しな かった。水俣病や原爆症では裁判で認定基準を改訂すべきことが勧告された にもかかわらず、環境省や厚労省は従来の基準を改めようとしなかった。 役人は新しい基準の要請には「科学的に証明されていない」として 改めようとしない。

原因や結果が明確に予測できないとき、人間や環境にとっていずれの論が プラスになるかマイナスになるかを予想し、危険が予想される場合にはそれが顕在化 しないよう予防的な手を打つべきなのである。それを「予防措置原則」と 呼んでいる。たとえ予想が間違っていたとしても、人類にとってマイナス効果を 及ぼさない。

■追記(2019/8/14):

国などの公的機関にかかわる科学者は「科学的」という言葉を 政治的に都合よく使うことがあります。

福島第一原発事故に関連して開かれた政府の会議の 「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」で 木村真三はウクライナで「がん以外の病気が増えている」と報告しました。

しかし会議の代表者の長瀧重信は「甲状腺がん以外は科学的に認められなかった」 と否定したのです。そうして年間20mSvという基準で健康リスクを回避できるという 報告書を提出しました。

※法定基準では、一般人の許容年間被曝放射線量は1mSv。

福島第一原発の放射線の影響をどう判断するのか、という問に対して 福島医大(甲状腺検査責任者)の山下俊一副学長は、 「小さながんも見つかるだろうが、甲状腺がんは通常でも一定の頻度で発症する。 日本という国が崩壊しないように導きたい。チェルノブイリ事故後、 ウクライナでは健康影響を巡る訴訟が多発し、補償費用が国家予算を 圧迫した。そうなった時の最終的な被害者は国民だ」と話しました(毎日新聞、2012/8/26)。

※補償したくないからなるべく認定しない方針だと分かります。こんな人物は科学者とは 言えません。

※山下俊一は長瀧重信の弟子。

■追記(2019/8/15):原子力規制委員会は信用できるかチェックしましょう。

(1)SPEEDIはスリーマイル島原発事故(1979)をきっかけに1985年から運用開始しました。 放出源情報、気象情報、地形情報を元に放射性物質の流出を予測するものです。

福島第一原発事故(2011)の際には公表されず関係者(文科省、保安院、原子力安全委員会) が批判されました。そして誰に発表する責任があったのか、なすり合いしたのです。

公表しない理由について「仮の数値で予測した不正確なものだから」と説明しましたが、 自分達では使っていました。

※何度もSPEEDIを確認した官僚がいました。

※福島のどこに実際に測定にいくか決めるためSPEEDIを使いました。

※米軍(2011年の原発事故時)や自衛隊(2016年の核実験時)にSPEEDIデータを提供しました。

(2)2014年、原子力規制委員会は「予測の不確かさの排除は不可能」という名目で、 原発事故時の避難にSPEEDIを使わないことを決めました。 モニタリングポストの実測データによって避難させるというのです。

一方で2016年、SPEEDIを使わない理由について田中俊一委員長は 「拡散予測が出れば人々は、われ先にと行動を取りがちだ」と述べました。

※予測の不確かさがあると駄目なら、天気予報や台風予報や津波警告は出せないでしょう。

※危険を発表したらパニックになるなら、ビルの火災時に避難ブザーは鳴らせません。 田中俊一委員長の主張が本当なら予測が正確でも警告を出さないことになります。 災害心理の専門家はそんな想定を「パニック神話」と呼んでいます。 現実の災害では、集団的な異常行動が起こるのはまれだというのです。 責任者が混乱を避けようと危険を軽視し、避難誘導が遅れて大災害をもたらすケースが 目立つそうです (広瀬弘忠著『人はなぜ逃げおくれるのか』集英社新書)。

◎SPEEDIを避難に使わないと決めた本当の理由は何でしょうか?

元官僚の古賀茂明は「SPEEDIのシミュレーションで広範囲な地域に放射性物質が 降ると出ている。広い範囲に対策(同意、避難計画)したくないので、 SPEEDIはイイカゲンなものだとしたいのではないか」と言っています。

しかし私には官僚無謬論(官僚はけっして間違わないという立場)を維持したいためのように 見えるのです。官僚はSPEEDIを使わなかったのは間違いではなかったとしたいのだ と思います。人間は間違えるということを前提としないシステムは学習による進歩が ありません。





著:佐藤信太郎
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