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■HP蜘蛛夢■


(初版2011.1.3;微修正2015.9.6;更新)

石合戦と閉じた地域感覚




●世の中の変化が早いので、ちょっとした経験でも記録しておいたほうがいいと 思います。

1980年代に、人通りのない田舎道を歩いていたら小学生が向うからきました。 その子に「コンニチワ」と挨拶されたのです。そんなことを、もう一度、他の地域でも 経験しました。多分、学校でそうするように教育されているのでしょう。そんな教育が 必要な理由に思いあたることがあります。

私は、昭和28年(1953年)生まれです。昭和34年(?)に伯父が「故郷に錦を飾るために」 田舎に向かう高級外車(当時は珍しかったと思います)に乗せられていました。途中、 停車して、道を尋ねるためか、大人が降りました。すると、周辺から子供がワラワラと 集まってきて車を取り囲んだのです。中には、車に石を投げてくるのもいました。 年上のイトコが車内にあった強力な探照燈で威嚇したりしました。昔のB級映画で見た 1場面、現地人に取り囲まれた探険隊、のような気分でした。

●藤森照信(建築史家、1946年生まれ)のエッセイ『タンポポの綿毛』 (朝日新聞社/2000年)に子供の石投げ戦争の様子が書かれていました。 長野県の話です。

地域の感覚が狭く閉じていて、村と村の境には"国境"があった。高部村の西を流れる 西沢はまさしく国境で、大雨のときには大人たちは身仕度して国境警備に当たったし、 日ごろでも子供たちは西沢の向こうの隣国ジュグジ(神宮寺)には足を踏み入れない。

一度だけこっちからむりやり関係した。攻め込んだのである。 …土手の上からジュグジの集落をみていると、子供たちが手に手に棒をもって集まり はじめ、十数人。小人数のこっちはポケットを石ころでいっぱいにして待ち構えるが、 悪口を叫ぶばかりでちっとも攻めてこない。こっちから攻めることにして進むと、石 ころが雨あられと飛んでくる。女の子たちが集め、それをガキたちが投げるからタマは 尽きないのだ。

●石投げ戦争をしたのは田舎の子供だけではありません。昭和30年代後半の東京郊外に は空地は結構ありました。いつでもという訳ではないのですが、石を投げ合ったことが あります。藤森が経験したような地域対決ではなく、同級生がチームに分かれて投げ 合いました。雪合戦のように本当に当てるわけではなく、遠くから山なりに投げた のです。

●地方によっては本当に石をぶつける石合戦が行なわれました。

参考:中沢厚『つぶて』法政大学出版局/1981




著:佐藤信太郎
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