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■HP蜘蛛夢■


(初版2001.8.29;微修正2017.1.30;更新2018.2.6)

人口論/全体と個/競争と協力/社会福祉/…



項目へジャンプ(はじめに生態学成立前生態学略史密度効果と自然選択個体の利益か集団の利益か神・天皇と進化論社会階層子殺し性と暴力戦争カニバリズム(共食い)食糧の浪費食糧不足資源不足短期的利益と長期的利益/ 日本の生態学とイデオロギー・「近代の超克」社会と競争グローバリズムと構造改革父系集団なぜ子どもをつくるか人口転換と少子化世界人口





はじめに



1988年頃、DINKS(double income no kids)という言葉がはやりました。子どもを作 らずに共稼ぎをする夫婦をあらわす言葉です。朝日新聞の投書欄に、彼らDINKSの 老後の年金を自分たちの子どもが支えることになるので彼らは利己的である、と批判し た意見が出たことがありました。私には意外でした。

これは生態学の観点から見れば逆です。子どもを生み自分の遺伝子を残すために、他人 が利用できたかもしれない資源を消費する人達の方こそが利己的なのです。こういう考え は生態学の知識を持たない人の感覚でも常識だろうと思ってたから先の投書は意外だった のです。

日本では以前から少子化が問題になってきました。 しかし、2004年まで日本の人口は増加を続けてきたのです。 これは異常なことでした。 そして、増加が永続しえないのは生態学では当り前のことです。

《読売新聞(2005/12/27夕刊)によると、 国勢調査の速報値で2005年10月1日の総人口は1億2775万7000人ほどです。 1年前より1万9000人減っています。総人口の減少は、1945年を除くと、 1920年の第一回の国勢調査以後で初めてです》

《バブル景気の最中は人手不足が叫ばれてました。その点からも少子化が問題とされて いましたが、その後は、逆に失業が問題とされました。当時の経済傾向が永続する なんてことを私は信用していませんでした》

ちょっと世界の人口の増加を見てみましょう。

1650年;5億人、1830年;10億人、1930年;20億人、1960年;30億人、1974年;40億人 、1987年;50億人、1999年;60億人、2011年;70億人。

これも永続はできないのです。

《世界には飢餓問題もありますが、荒っぽいこと言うと今までは、人口が増えられるよ うな食糧状況が続いてきたと考えられます》

世界の人口増加に伴って、資源枯渇、廃棄物処理、環境破壊、 南北の経済格差などに関する社会的問題があると言われています。 また個人と社会に関する問題の一つ、 社会保障のありかたについてはいつも政治的テーマです。 社会における競争の見方にも議論があります。

こうした人間社会の議論は、生態学における議論と相互に関連をもつ場合があります。 生態学者エルトン(1927)は、動物生態学を、動物の社会学と経済学と表現しました。

ものごとを考えるときに相対化するのは独善的にならないために必要です。DINKSにつ いての投書の例のように、この類の社会思想の問題を、生態学という少し離れ た視点で相対化することは有益だと思います。そこで、 たまたま私の目に入った資料から拾って少し紹介したいと思います。

《ここで、結論を出すつもりはありません。 紹介する資料は網羅的ではありませんし、最新でもありません。 重要と思われる文献も落ちていますし、素材の選択もバランスがとれていません。 ここに例示した文はその文献の元の主旨を要約したものではありません。 項目に分けてありますが、便宜的なものです。 他の項目に関連記事が存在する場合もあります。

引用は表現を変えたところもあります。 再引用する場合は元の文献を参照してください。 簡単に検索できる文献は書誌情報を省略してあります。

わたしは科学史の専門家でも社会思想の専門家でもありません。 人間に生物学の論理を当てはめるべきだと考えてるわけではありません。 むしろ、人間にも動物と同じような力が作用する結果、不都合なことがあるなら、 何らかの対策をするべきだと思っています》

《…》 の中の文章は補足や私の独り言などです。では、コーヒーでも飲みながら、 どうぞ、ごゆっくり。


生態学成立前



●生態学は学問としては比較的に新しい分野ですが、 考え方自体は非常に古い時代からあります。 アリストテレス(B.C.384生)の『動物誌』には現代生態学の教科書に出てきそうな記 述が見られて面白いです。例えば、
同じ場所を占め、同じ物を食べて生きている動物では、相互間に闘争が行な われる。なぜなら、食物が乏しければ、同族のもの同士でも闘うから。
とあります。これは生態学的地位(ニッチ)と競争の概念を思わせます。

《近くの図書館に『アリストテレス全集』があったのだがなくなってしまった。 困ってたのだが『動物誌』は今は岩波文庫で出ています》

●イギリスの内乱の時代を生きたホッブスにとって人間と社会は警戒を要する危険な 存在でした。「地上に平和をもたらすものは国家ではないか。それを科学的に 設計できないか」という主題で『リヴァイアサン』(1651)が書かれたと言います (永井道雄『世界の名著23』1971)。

蜂や蟻のような、ある種の動物たちは、たがいに仲良く生活を営んでいる。人間という 動物になぜ同じことができないのか、その理由を知りたいと思うだろう。

第一に、人間は名誉と威厳を求めて競い続ける。動物にはそれがない。

第二に、動物では共通の利益と私的なそれが一致している。 しかし、人間は優越感以外の何ものをも楽しむことはできない。

第三に、動物は理性を用いない。人間は他人より自分が有能であると考えるものが 多い。

第四に、人間は言語により悪をあたかも善のごとく示すことができる。

第五に、動物は自分が安楽であるかぎり、他の仲間に腹をたてることはない。

最後に、人間の和合は人為のものである。 その和合を永続させるためには公共的な権力を必要とする。

この権力を確立する唯一の道は、すべての人の意志を多数決によって一つの意志に結集 できるよう、一個人あるいは合議体に、力を譲り渡してしまうことである。

《一見、現代の民主制を主張しているように思うかもしれませんが、君主と議会が 対立する時代状況で絶対君主制を主張したのがホッブスです。 2番目は、ちょっと現代的概念に近いかも…。後のハミルトンの項を参照》

●マルサスは『初版人口の原理』(1798)で弱者には厳しい見解を述べています。

イギリスで封建制から資本制に移行するに際して、大地主に土地を追われた農民が 浮浪民として都市に流入しました。さらにフランス革命の影響を受けてストライキ などが起こって問題になりました。

そこで、王党政治家ピットは救貧法の改正をしようとしました。 「家族が多い場合には救済もより大きくしなければならぬ」などです。 そのとき、生物学などを学んだ経験をもつ牧師マルサスがこれを批判したのがこの本 です。

マルサスの本ではいろいろ未整理な表現をしていますが、一部を拾い出すと次のようです。

(1)過剰人口が貧困をもたらす。

(2)食糧があれば人口は増加する。

(3)窮乏は人口増加を抑止する。

だからピットの救貧法はだめだ。ほうっておくべきだ。窮乏が努力を引き出すのだ。

《イギリスで救貧法ができたのは1601年》

《東京新聞(2017/3/30)のコラムで経済学者の竹田茂夫は「1834年、英国議会は救貧法が貧民の 勤労意欲を削ぎ、社会を荒廃させたとして制度を廃止した。史上最も残酷な社会改革といわれる。 根拠となった議会報告書は貧困を自己責任とする古典派経済学に基づいていた」と書いていました》

《TBSテレビ(2012/2/11)の『報道特集』より:
1987年1月、札幌市白石区で3人の子どもを抱えた39歳の女性が餓死しました。 生活保護の申請に行ったが拒まれたのです。

当時の社会福祉事務所の職員の証言: 「人間ってそんなに簡単に保護しなくても死なない。なぜかと言えば死なないため の努力をする。例えば兄弟のところでもらう。ちょっと具合が悪くても働きに出る。 泥棒するかも、あるいは体を売るのかも分からないが、何か努力するだろう。 保護したら努力を奪う、つまり親切ではない。こう言った課長がいる」

市民団体は再発防止を札幌市に申し入れましたが、25年後、札幌市白石区で類似の 死亡事件が発生しました。憲法25条では、最低限度の生活を営む権利が明記され、 憲法99条では、公務員は憲法を尊重し、擁護する義務があるとしています》

《人口に対する生活保護者の割合:イギリス9.3%、ドイツ9.7%、日本1.6%
※東京新聞(2011/11/24)の記事を『週刊金曜日』(2012/2/3)が 引用したものから》

《生きるのが困難な状況にほうっておかれる人間が、従順に、 その状況を受け入れたら餓死します。こうした状況には、激しく反逆する人間も出て くるかもしれないと想像していました。 しかし、福祉を担当する役人が、生活保護を受けるより泥棒するほうが良い、 と考えているとは想像できませんでした》

●ダーウィンは『種の起源』(1859)で自然選択(自然淘汰)による進化の理論を 打ち立てました。マルサスの影響を受けたといいます。 ダーウィンの自然選択説を簡単に紹介すると、以下のようになります。

(1)生物の潜在的増殖力は大きい。繁殖の遅い象でさえ死ななければ短期間のうちに莫 大な数に増える。

(2)だから余分な個体数はほろびなければならない。

(3)そこで生き残りをかけて競争が生じる。

(4)有利な(遺伝的)変異が保存される。

これが繰り返されると生物の性質はもとのものから無限に遠ざかる。

《私が面白いと思うのは、生物学の知識があっても牧師マルサスは生物の品種改良 には限界があると考えていたのだが、医者になるのをあきらめて聖職につくために 大学を変更したにもかかわらず宗教家にならなかったダーウィンは生物の変化 に制限がないと考えたことです》

《アイアイの研究をした島泰三は『はだかの起源』(2004)で、 ダーウィンの進化論はトートロジー(同語反復)だと言って批判しました:

私はダーウィンの進化論を常々疑っていた。最大のポイントは「最適者生存」 (The survival of the fittest)というセオリーにあった。これは、論理としては 同語反復である。その断言の構造は、こうなる。「最適者が生き残る」。 最適者かどうかを、どこで判断するのか?「生き残っているから」。 こうして「最適者生存」セオリーは、最適者を判断する根拠と断言とが堂々巡りし、 つまりは事実を追認するだけとなる。

これは、かなり昔にもあった批判のタイプです。 現代の進化学はダーウィンの自然選択の考えを重要な要素としていますが、 ダーウィンの言葉の一言一句を金科玉条としている訳ではありません。

2004年9月、TVの放送大学(担当講師・深津武馬)で自然選択の説明をしているのを 見かけました。ダーウィンが「最適者生存」と表現した内容を、誤解の生じにくい言葉 に変えて説明していましたので紹介しましょう。

変異、選択、遺伝の3点セットがそろいさえすれば適応進化はひとりでに起こる。 それぞれの説明は以下の通り。

(1)変異:生物の性質に個体ごとに違いがある。

(2)選択:その性質によって、生きのびて子孫を残せる確率に違いがある。

(3)遺伝:そのような性質が子孫に伝えられる。

適応とか進化という言葉に付随するプラスのイメージにこだわりを持つために、 この説を批判する人も時々いるので、ここは「適応進化」という言葉よりは、 「自然選択」のままのほうがいいでしょう。

自然選択という概念は「最適者生存」という同語反復のように 見える表現もできるし、そうでない表現もできるのです。 何が最適者かという問は、本当は、環境と生態の関係を調べる生態学の研究テーマ そのものです。つまりトートロジーのような表現は生態学の内容を全て述べる代わりの 省略表現であると見なすこともできます。

文脈を十分に考慮する人なら、多少、厳密でない言葉が使われても誤解しない でしょう。この件について関心を持つ人文系の人は自然科学が言語だけで完結する 世界ではないことにも注意すべきです》

《追記:ダーウィンは『種の起源』の初版から第4版までは、最適者生存という表現を していません。

…生活のたたかいのためになんらか役立つ他の変異が、数千世代をかさねるあいだに、 ときどきおこるとは考えられないであろうか…たとえ軽微ではあっても他のものに たいしてなんらか利点となるものをもつ個体は、生存の機会と、同類をふやす機会 とに、もっともめぐまれるであろう…有利な変異の保存と有害な変異の棄却とを、 私は自然選択とよぶのである。

ウォレスに勧められて追加した「最適者生存」はハーバート・スペンサー(哲学者) の用語です》

●マルクスは『資本論』(1867)で労働者の窮乏と関係をもつ過剰人口の問題を取り上げ ました。

労働者が不足すれば賃金があがる。すると利潤が脅かされるので機械が採用されて再び 、過剰人口がつくりだされる。だから、過剰人口は資本蓄積の結果である。資本が過剰 人口をつくりだし賃金が下がり資本蓄積を有利にする(佐藤武男『マルクス経済学』 1981)。

《マルサスに対する批判として相対的過剰という窮乏の社会的側面を指摘したことは意 味のあることです。だけど、人口の問題は相対的過剰が全てではありません。環境は有 限だから、最終的には相対的過剰だけではなく絶対的な過剰も問題になりうるのです》

《資本主義の発展にともなう生産性の向上の成果は労働者階級の生活水準を上昇させて いるから相対的過剰による労働者の窮乏は完全にあやまりだ、とされています。参考: マックス=ウェーバー『社会主義』1918》

《しかし機械化されて雇用されない労働者がいるのは確かであり、それが窮乏につなが るかどうかは、他の産業の成長の状態や、輸出入の構造や、社会福祉政策に依存するで しょう》

●社会進化論(=社会ダーウィニズム)は十九世紀後半のアメリカでの評判の方が発祥国 イギリスよりも高かったといいます。明治以来の日本にも大きな影響を与えてきたそう です(後藤・本間『社会進化論』1975)。

サムナーが1880年代に発表した『社会学』から拾ってみました。

人口の増加の法則と収益漸減の法則は、互いに結び合って鉄の拍車となり、人類はそれ に駆り立てられるようにして、これまでのいっさいの功績をなしとげてきた。

社会現象を学ぼうとするものには全社会組織にとって、土地と人口の比率が絶対的に重 要であるということを知ってもらいたい。

国が人口希薄のときはには、新来者は競争相手ではなく協力者である。それがさらに増 えると余剰も生み出すだろう。そういう事態では土地を所有しているからといって権力 や特権があるわけではない。物質的にはすべての人が平等で、民主制がその政治形態と なる。教育や熟練は過密人口国にくらべてわずかな価値しかもたない。

話を過密人口国の場合に移すと、生存闘争や競争は、人口の圧迫が大きい場所で激し いことがわかる。この競争は、資本・教育・才能・熟練・訓練の利点を最大限に効果的 にする。どれほど平等理論が叫ばれても貴族的な社会組織をつくり出す。自由は制約を 受けなければならない。服従と規律のある組織は、社会が全体としてその土地から食生 活の保障を得るために必要である。過密人口国では、富と贅沢のきわみは貧困と悲惨の きわみと平行して示される。

サムナーの『富の集中---その経済学的正当性』からも拾ってみました。
百万長者(大金持)は、自然淘汰がすべての人間に作用して、 なされるべき仕事の要請に応えうる人たちを選抜しようとした結果の産物である。 富が彼らの手中に集中するのは彼らがそのようにして選ばれた人たちだからである。 彼らは自然淘汰によって選ばれた社会の代理人である。彼らは高い報酬を受けて 贅沢にくらすが、それは社会にとって有利な契約である。 彼らの地位や職を求めようとして熱烈な競争が行なわれている。

《自然淘汰なんて引合にだす必要はないのです。本当に遺伝的だっていうなら子の世代 だって富や教育などの環境条件をシャッフルするか共通にして再度淘汰にかけることが 必要でしょ》

《2005年に証券取引法違反の容疑で逮捕された前コクド会長の堤義明は 1980年代後半にフォーブスの長者番付で4年連続で世界一でした。 彼はどんな自然淘汰で選ばれたというのでしょうか》

《ヒトラー的優生学につながるとして悪名高い社会ダーウィニズムですが、 現在のアメリカの富の集中の異常さをみると、もしかすると今でも似たような考えが 残ってるのではないかと思います。 現在の日本で、社会ダーウィニズムをはっきり支持している人物の代表は 渡部昇一です(後述)》

《斎藤貴男は『機会不平等』(文春文庫版、2004)で、日本の上層階級に属する人達の 一部が西洋社会に劣等感を抱き、社会ダーウィニズムに囚われていることを明らかにし ています》

《後のr選択、K選択の項を参照》

●19世紀末の英国における人口減退をいちはやく看破し、ある程度の人口増 加はかえって生活を豊かにするという意識を一つの理論に高めたのはキャナン (1888)だといいます(中山伊知郎・南亮進『適度人口』1959)。

人口のある段階まではアダム・スミスの楽観的な人口論(人口増加は市場を拡 大して分業を促進する)により生活水準は向上するが、次の段階ではマルサス やリカードの悲観的な人口論が成立して生活水準は低下するというのです。そして、 最大生産性をもたらす適度人口(optimum population)の理論を述べました。 また適度人口が知識の進歩などで変化することを認めています。

《後述の生態学者アリーの項を参照》

●クロポトキンはロシアの貴族出身の無政府主義者で『相互扶助』(1902)の著作で知ら れています。ハクスレーの生存競争に関する文章に反発して、動物でも人間でも、競争 よりは協力が重要だと主張しています。またマルサス『人口論』を有害だと批判してま す(『田園・工場・仕事場』1898)。

(1)北アジアの動物の死亡を調べると、冬の厳しさによって起こっている。

(2)同種内での個体同士が食物と生存のために闘うことはない。

(3)動物の群れを観察すると相互扶助が種の保存と進化に重要だとわかる。

個人的闘争をできるだけ少なくして、相互扶助的習慣をもっとも多く発達させている動 物の種は、必ずその個体の数ももっとも多く、もっとも繁盛し、かつもっとも進歩に適 している。かくして得た相互の保護と、老齢に達して経験を積む可能性と、高度の知識 的進歩と、および社交的習慣の発達とは、その種の維持と繁殖と、および進歩的進化と を保障する。

《全集の上巻が近くの図書館から無くなってしまいました。誰?》

《群れの中での利他的に見える行動が、利己的なメカニズムにより成り立つことが行動 生態学で示されています。参考:クレブス、デイビス『行動生態学』訳本1991》

●ブラデルバンドは『新人口論入門』(L.ボンデスタム/S.ベリストローム編、1982)で 人口抑制論が弱い立場の人間の抑圧や差別と結びついてきたと批判してます。

新マルサス主義は人為的産児制限を積極的に採用するべきという所がマルサスとの違い である。イギリスで新マルサス主義が盛り上がったのは1880年ころからだ。彼らは自分 たちを貧困撲滅の十字軍と意識してた。しかも、ドライスダール(1925)は「産児制限は 、特に貧しい人々の間でこそ行なわれるべきである。なぜなら、貧しく、不節制で、劣 った人間が増えれば社会は劣性な子どもに占領されてしまう」と優生学の論理を付加し た。

初期の新マルサス主義者が対象としてたのは、アメリカで言えば貧しい黒人、アイルラ ンド系、南欧カトリック系、東欧ユダヤ系だったが、1960年代になると、国内の貧民だ けでなく、インド、中国、アフリカ、ラテンアメリカなども抑制の対象とした。K・デ ービス(1958)は、人口増加が共産主義の浸透を促すから、出生率を抑制するために、そ れらの国に力をかすべきだ、と主張した。

《自然選択と優生学の概念には重要な違いがあります。 自然選択に基準があるとすれば、同種の他の変異に比較して増えることだけです。

目がなくなったり、肢がなくなったりする動物もいますが、 一見、退化のように見えても増えるなら劣っているとは言わないのです。 優生学の基準は人間がかってに選んだ基準です。本当にいいのかどうか分かりません。 たとえば優れた遺伝的な素質ではなくて、ただ根性が悪いから金持になった場合も あるでしょ》

《2013年には病院での赤ん坊の取り違え事件の裁判に関する報道がありました。 貧しい家の赤ん坊が裕福で教育熱心な家で育てられ不動産会社社長になったそうです。 裕福な家の赤ん坊は生活保護を受けた貧しい家庭で育ち中卒で町工場に就職、 定時制高校を卒業してトラック運転手となったのです》


生態学略史



●ダーウィンは生態学の始祖だと言われますが、 生態学はいくつもの異なる源流を持ちます(門司正三『生態学総論』1976)。 独立した学問分野になったのは20世紀の初期であり、 野外での生理学というようなものでした (マッキントッシュ『生態学・概念と理論の歴史』1985)。 まだ集団遺伝学などとは結びつきませんでした。 環境への適応を研究しようとすることなどは目的論的・擬人的と批判される 時もありました(八木ほか『新編生態学汎論』1973)。

《1980年代だと思いますが、博士課程の入学試験で他大学からの受験生が修士課程 での研究を公開で発表したのを聞きました。調査した生態現象について生理学の 教員が「なぜ、そうなるのか」と質問しました。受験生は「至近要因か窮極要因か」 と質問の確認をしました。生理学者は「窮極要因など分からないから至近要因だ」と 答えました。生態学で言う窮極要因とは適応のことであり、至近要因とは生理的機構 のことです。学生は、そのことを説明すべきだったのに生理的機構について答えた だけでした。その学生のテーマは多分「適応」だったのに》

イギリス生態学会が設立されたのは1913年。日本生態学会が設立されたのは1953年。

1950年ころを中心に動物生態学では、個体数は密度によって調節されるのか、気象によ って調節されるのか長く論争になりました。参考:伊藤・桐谷『動物の数は何できまる か』(1971)。

《死亡に関して密度の影響を軽く考え、気象を重要だとする考え方は、クロポトキンに もありました》

世界の人口爆発に対して食糧生産の基礎を明らかにしようという意図で、ユネスコ などが関り、1965年から十年ほど国際生物学事業計画(IBP)という大規模な国際共同研究 が行われました。生態学分野などに多額の研究資金が出されることは珍しい ことでした。

1960年あるいは1970年ころは公害問題(特に生物濃縮など)に関係して一般の人にも生態 学(エコロジー)というのが認識されるようになりました。参考:レイチェル・カーソン 『沈黙の春』(1962)。

《70年代、生態学が公害問題の解決に何か役立つかのような宣伝や期待がありましたが 、私は、環境問題は基本的に政治の問題であると考えていました。生態学者が直接役に たつとしたら、調査のために市民が行かないような野外にでることで、環境破壊を見や すいから、破壊のセンサーになり、市民に警鐘を鳴らす程度だろうと思っていました》

《個体数に関する生態学の研究では、容器の中などで虫を集団飼育して調べる分野 があります。日本の学者では内田俊郎が世界的に有名です。初期には野外生態学者から 、自然でないと批判されたりしてたのですが、容器の中の密度効果の実態は、まさ に環境汚染の問題ともいうべき仕組みなので、私には人間を暗示するように思えたので した。参考:内田俊郎『動物の人口論』1972》

一方で英米では1960年代から1970年代あたりに、集団遺伝学や数理経済学の概念を生態 学に採り入れて適応の研究が盛んになる土台ができていました。

この分野にはいろいろな呼び名があります。集団生物学、進化生態学、進化生物学、 社会生物学、行動生態学…。一般に知られるようになったのはウィルソンの 『社会生物学』(1975)やドーキンスの『利己的な遺伝子』(1976)の出版からです。

《1974年前後には進化生態学の代表的教科書が何冊か一斉にでました。私はその1つ Piankaの教科書『進化生態学』(1974)を学部4年生の輪読で読みました。 その後の改訂版では削られたのですが、 最終章での環境問題に関する見解の中に感じた人間の利己性に関する悲観的調子に は同感するものがありました。

その章の最後で、「平衡状態を基準にした自己抑制的な倫理が必要だが、 自然選択の性質から自発的な倫理は期待できない。強制が必要だが、 それもまた進みそうにない」と書いています。 2001年、アメリカのブッシュ政権が地球温暖化防止に関する京都議定書から離脱する のを見ると、悲観論が証明されてるような気分になります》


密度効果と自然選択



●生態学者アリー(1938)は相互扶助を重視して最適密度の原理という考えを主 張しました。彼は、細菌から人間まで、一匹でいるよりも集合(協力)している ほうが有利だと考えました。しかし、密度が高くなりすぎると過密の効果もで るのでバランスのとれる最適密度が生じると考えて、最適密度が高いほど社会 化が進んでいると述べました。参考:伊藤正春『動物はなぜ集まるか』(1973)

実験室で昆虫などを集団で飼育して密度と増殖率をグラフにすると、過疎では 増殖率が低くて、密度が増えるにつれて増殖率が増え、やがて、過密の効果で、 また増殖率が低くなることがあります。内田俊郎(1950)はこれをアリー型密度 効果と呼びました。

●マッカーサーとウィルソン(1967)は個体数密度の違いで、自然選択の内容に違いがあ るということを、増殖率の簡単なモデルを元にして示しました。

増殖率は密度によって調節されます。先程のアリーのような超過疎によるマイナスの効 果は無視して考えると、過疎なら、密度が増えるように増殖率は大きくなるように調節 されます。密度が限りなくゼロに近付いた場合の増殖率が最大で、これをrという記号で あらわします。

過密なら、密度が減るように増殖率は小さくなるように調節されます。

ちょうどバランスがとれて、増えも減りもしない状態、つまり増殖率がゼロに なるような密度を飽和密度(環境容量)といい、これを記号Kで表します。

同じ生物の種で遺伝的に違う2つのタイプがあったとして、増殖率に差があれば、大き いほうの割合が増えていきます。rが大きいことも、Kが大きいことも同じ密度での 増殖率を改善することに有用です。しかし、生物は一般になんでもかんでも一度に 改良できるものではないのです(たとえばマラソンと相撲と、両方得意な人はいない でしょう)。rとKと、どちらを改良したら、たやすく増殖率を大きくできるでしょうか。

河原のような環境では洪水などで不安定な環境だから、個体数の密度は相対的に低い状 態に保たれるのではないか。こんな場所にすむ生物には、rを大きくする自然選択 (r選択)が強く働くでしょう。そのような状況にあう性質をもった生物をr戦略者と いいます。

森や深海のような安定した環境にすむ生物では、個体数の密度は相対的に 高い状態に保たれるから、Kを大きくする自然選択(K選択)が作用するでしょう。 このために生じた性質をもつ生物をK戦略者といいます。

Pianka(1970)はrやKに関係すると思われる具体的な要素を表にしたので、これを元に 議論する論文がたくさん書かれました。

●生態学者の高橋史樹は『個体群と環境』(1982)の「あとがき」で人間社会に ついて述べています。

多くの市民が望んでいるのは安定した生活であろう。しかし、皆がそれを望んでいる とはいえない。人をおしのけてでも自分の利益を求める人も多い。その機会は安定した 社会でよりも変動社会において得やすいということもあって、好んで変動を生ぜしめ るばあいがある。それを隠蔽するために危機感をあおりたて、その極端な場合が戦争 となる。

この対立する2つの方向への指向は、生物界になぞらえるならば、極相的な安定環境 と初期相的な変動環境とであろう。その中にあって、生活の安定を求めるには、 生態的地位によって異なった対応が必要である。人口問題を考えるとき、食物連鎖の 頂点にあるわれわれは、個体数変動の少ない型にとどめておきたい。

生物界ではそれにたいして、1つはh(※ )の減少と同時にr(※ )の減少によって 応える。われわれも同様に産児制限にそれを期待している。もう1つは、個体間の変異の 増加である。職業の多様化もその方向であるかもしれない。

《※ h:密度効果の強度を示す係数(h=r/K)。r: 最大増加率》

《NHK教育テレビ(2011/1/15)『Qわたしの思考探求 (なぜ戦争はなくならないのか)』で伊勢崎賢治は、戦争がなくならない理由に ついて、もうかる人がいるからだと話しました。武器商だけでなく、一般人も スクラップ&ビルドで労働力が吸収されると…。NHK総合テレビ (2011/2/27)『NHKスペシャル』によれば、満州事変に よって新聞は販売部数を拡大し、その後、新聞は満州事変の拡大をあおる強硬論を主張 するようになったそうです。一方、軍を批判する新聞は弾圧されました》

●個体数密度と自然選択については、私(Satou、1988)も関連した研究を行ない ました。ある生物の生態を調べるとき、どのように成長して、どのように死んでいき、 いつ、どれくらい子どもを生むのかなどという生活史に関するデータをとることは 調査の基本です。

そして、そんなデータがそろうと、増殖率rが計算できます。 この増殖率を適応の尺度として繁殖時の体サイズや繁殖年齢の環境条件の違い にたいする適応を分析する論文が私の周辺にも国外にもたくさん出てきました。

ダーウィンの『種の起源』では、自然選択説の発想に密度というのが重要な要素だった し、生態学では密度の影響を長年テーマにしてきたのに、なんでみんなは密度効果を考 慮しない適応の尺度で満足するのだろう。それでうまくいくのは何故だろう。測定した データを元にして、数式モデルを組むときに何かトートロジーのような構造があるの ではないかと思いました。

密度効果があるときの適応の尺度をマッカーサーなどは飽和密度Kとしているのですが、 この結果を出すのに使った数式は2種の生物の競争を表す数式と同じようなものです。 しかし、2種の競争のときに使った競争能力の違いを表す係数が省略されていました。 私は、そんな省略をしていい理由はないと思いました。

例えば、体の大きさが違えば、食べる餌の量もちがうから同じ個体数密度でも影響は 違うとするのは当然のことです。わたしは簡単な数式モデルを検討して、適応の尺度 (適応度関数)は飽和密度Kと飽和率と資源消費能力Cを掛けたものだと考えました。 飽和率は密度と関係しないぶんの死亡率や最大増殖率rなどで決まるものです。

要するに環境に対するトータルの消費圧力が高くなるような方向に自然選択は作用する というのが私のモデルの結論です。

《rもKも、個体数密度を高めるという観点からすると同じような種類の要素だと思い ます。そして拡大解釈なのですが、Kを高めるというのは電車の座席で他の人がたくさん 座れるように身体を縮めるのに似た仕組も考えられるので、全体のための自己犠牲という 概念と親和性のある量です(ただし、この解釈はいつも成立するわけではありません)。

一方で、資源消費能力Cを大きくするということには利己的なニュアンスがあります。 私の簡単なモデルによる適応の尺度が全体の利益と利己性の掛け算であり、結果として 環境に対する消費圧力が高くなる、と示唆するのはちょっと面白いと思います》

《集団遺伝学者の根井正利(Nei, 1971)は、Kの違いのほうを無視して、 競争能力が適応の尺度だと書いていました。数式モデルというのは、その論文の 当面のテーマに重要でないと思う要素は省かれるものなので、違うテーマを考えている 人が作ったモデルによる結論を使う場合には適用できる範囲には十分注意しなければ ならないのです》

●科学社会学者の吉岡斉は『科学文明の暴走過程』(1991)で、次のように述べてい ます。

資本制システムは指数関数的成長を追求してきた結果、生産力(および破壊力)が 肥大化し、地球上で展開することが可能な上限を突破するに至った。

日本人とて迫りくる地球の破局または文明の自壊を認識していないわけではない。 しかしグローバルな制御機構が存在しない以上、日本人だけが生産活動の抑制などに 踏み切ったとしても国際競争において日本人が不利益を受けることは避けられない。 そこで明日のことを思い煩うことなく生産活動の膨脹に専念することが、日本人の 利益にかなっているという結論に達するのである。

(中略)

私の構想するオルタナティブな社会体制においては、生産力のみならず科学技術も また、野放図な発展を抑制されることになろう。

《何らかの科学的災害によって人類が壊滅状態になった上で、強力な反科学宗教 が人類に信仰されない限り吉岡のいうような社会体制が実現するとは思えません》

●生態人類学者の大塚柳太郎は大塚・鬼頭『地球人口100億の世紀』(1999)で、 ヒトは自己家畜化で潜在的に出産数を上昇させる能力を獲得してK戦略者からr戦略者 になったと述べています。

《単に環境条件の改善にたいする生理的反応で出産数が増えることはr戦略では ありません。大塚は遺伝的に潜在的出産能力が高まったという根拠を示していません。 また、松井孝典らとの鼎談の中では、遺伝よりも栄養の改善が多産の大きな理由だと 述べています。そうならば、大塚の説は進化生態学でのr戦略・K戦略の概念の明白な 誤用と言えるでしょう。

ある遺伝子型が環境の変化に応じて生じ得る表現型の全部を、その遺伝子型の反応規格 といいます。栄養の改善により多産になるのは、反応規格内の表現型の発現とみなして もいいでしょう。r選択とかK選択というのは、遺伝的に反応規格自体が変化することを 意味します。つまり同じ栄養状態(同じ密度)で比べても出産数や生残率や初産年令な どが違ってくることです。

内的自然増加率(最大増殖率)rという量に関係するのは出産数のほかにも初産年令が あります。初産年令が早いほどrは大きいのです。猿人から現生人類まで、脳や身体が 大きくなってきたわけですから初産年令は遅くなったと想像できます。r戦略とは考え られません。出産数よりも初産令のほうが内的自然増加率に対する効果が大きいのです》

この本で歴史人口学者の鬼頭宏は江戸時代と現代の日本のライフサイクルを比較して、 「家族が高齢者の面倒をみることは日本の伝統である」という理由で直系家族世帯の 維持を図ろうとすることは問題が多いと述べています。また、多少の困難はあるとし ても少子化をおそれる必要はない。それよりもライフコース、家族関係、高齢者の 労働参加など新しい制度と慣行を工夫すべきである、と述べています。

《自民党の国会議員の亀井静香は介護保険の導入に際して、家族の疲弊を理解できず、 家族による介護を主張しました》

鼎談のなかで地球物理学・惑星科学が専門の松井孝典は、個人より全体を重視する主張 をしています。

・少子化問題ではシングルは認めないというような規制が必要になるかもしれない。

・環境問題とか人口問題というのは、国家などの政策的な力によって規制しないと 解決しないかもしれない。

・民族とか国家とか会社とか、あるユニットができるのはその求心力が勝つことだ。 個人をユニットとした人間圏は不安定化する。

《シングルを認めないって、どこかの宗教団体みたいに国が強制的に結婚させるのかな? インターネット上にあったこの人の講演の要約によれば、学生時代には「個人が主体で 権力に束縛されない社会を」等と言っていたそうです。左から右へ極端に振れる例は よくあるようです。そして、こういう人たちは、いつも発言に自信があるようです》


個体の利益か集団の利益か



●例えば小鳥のシジュウカラが卵をある程度の数だけ生んだところで卵をとってしまう と、生み足すという現象があります。つまり、シジュウカラはたくさん卵を生めるのに 、途中で自分で生むのをやめていることになります。これについて、ウィン=エドワー ズ(1962など)は増えすぎて過密にならないように集団全体のために繁殖を自己抑制して いるのではないかと主張しました。

これに対して、ラック(1954)は、生みすぎると育てきれないからであり、集団全体のた めではないと主張しました。その後、自然選択の単位が集団か個体かについて集団選択説 (群淘汰説)、個体選択説の論争がありました。

《進化生態学の出始めのころは、集団選択に対する批判はかなり強かったですが、種全 体ではなく、構造のある個体群という観点での理論的分析により、状況によってはあり うるという認識になっているようです。参考:粕谷英一『行動生態学入門』1990》

●アリやハチの労働担当のメンバー(カースト)は、自分では子どもを生まずに、母の生 んだ子どもの世話をしたり、巣の防衛のために命をかけたりします。このような利他的 現象を自然選択で説明するのにダーウィンは苦慮しました。この問題に明解な解釈を与 えたのはハミルトン(1964)でした。

自己犠牲による自分の遺伝的損失が、相手の遺伝的利益と血縁度を掛けた値よりも小さ いならば、そういう自己犠牲は自然選択で進化できるのです(血縁選択)。

きょうだいは自分と同じ遺伝子をもつ確率が2分の1であるので、自分が死ぬような犠牲 を払って、きょうだいを3人救えるなら遺伝学的には採算がとれるからOKという計算で す。

《第2次世界大戦で、日本では国民、兵隊を「天皇の赤子(せきし)」などと言って、 ハチでもアリでもなく、本当は血縁などない人間に血縁者のような犠牲行動を強いた のです。採算とれませんよ。今でも、マスメディアに出る人が天皇を「国民のお父さん」 と言うことがあります。これは親しみの表現ではなく、キリスト教徒が神を「父」と 表現するのと同様に畏敬の念を要求するものです。日本人の精神は、いつになったら近代化 するのでしょうか》

●血縁がない場合の利他的行動について、トリヴァース(1971)は互恵的利他性という概 念を提案しました。参考:トリヴァース『生物の社会進化』(1985、訳本1991)。たとえ ば、チンパンジーなどで、順位2位に3位のものが協力して1位のものを追いおとす現象 があります。これは、後で、お返しが期待されているのです。

●動物の行動について、実験や観察による現代的研究を始めた一人であるローレンツは 、攻撃行動について研究して、動物は種の維持のために攻撃行動を抑制すると考えまし た。殺し合わないで、儀式的行動で勝敗を決めるというのです。参考:『攻撃』(1963) 。

適応の研究に自然選択の概念の本格的導入がされると、行動の適応について、メイナー ド・スミスはゲーム理論を応用しました。社会行動は相手の行動の違いで自分の行動の 結果が違うからゲーム理論を適用するのが妥当なのです。参考:メイナード・スミス『 進化とゲームの理論』(1982)。

攻撃性の抑制と儀式的闘争については、ゲームの理論を使うと、常に攻撃的であること も、常に平和的であることも、そうではないパターンの突然変異の増殖を抑制できない から進化的に安定な戦略(ESS;Evolutionalily Stable Strategy)でないと分かりまし た。つまり、ある程度の割合で儀式的行動をとることは種の維持のためという基準では なく、利己的な基準から説明できるのです。

●政治学者のアクセルロッドは『つきあい方の科学(The evolution of cooperation)』 (1984、訳本1987)で、バクテリアから人間まで、協力はゲームで分析できると言って います。そしてさまざまな戦略のプログラムをコンピューターで対戦(競争)させる シュミュレーションを行ないました。

《例えば、ジレンマゲームというのがあります。AとBの2人がトラに襲われたとします。 今、Aの生き残り率を見てみましょう。先ず、Aが闘うとき:Bが利己的に行動して逃げ たら、Aの生き残りは20%とします。BがAに協力して闘うならAは70%生き残るとします。 次に、Aが逃げるとき:Bも逃げるときは、Aは40%生き残り、Bが闘うならAは90%生き残 るとします。

Bについても同じように考えます。さて、この条件では、互いに協力して闘うなら2人と も70%生き残る可能性があるのだが、裏切って逃げると裏切り者は90%の生き残りを期待 できます。だから相手の裏切りを恐れて2人とも協力を拒否すると互いに40%の生き残り しか期待できないのです。参考:青木健一『利他行動の生物学』1983》

アクセルロッドはジレンマゲームの状況では、血縁関係がなくて、一度しか出会わない 相手には利他性は維持できないと分析しています。逆に、長期間のつき合いがあり、 しっぺ返しで裏切りを抑制できるなら協力行動(互恵的利他行動)が可能になる、 と結論しています。

《モデルのシミュレーションの条件を変えると結論はかなり変化するようです。参考: リドレー『徳の起源』1996》

《人間社会を見てみると、つき合いがない場合でも利他行動は存在します。 いつでもとは言えませんが》

●岩波の『科学』(Nov.2002)で、内藤正明(環境地球工学)、神野直彦(財政学)、 小松美彦(科学史・生命倫理学)が、生命倫理、社会倫理、環境倫理について鼎談して います。

小松:優生政策というのは、戦争と対になっていて、福祉とはまっこうから対立するよ うに思われがちですが、むしろ福祉と対になるようなかたちで登場しています。 全体を守るために、個の命があらかじめ奪われること、そして、具体的な誰かが自らの 決定によって安楽死へと追い込まれていくということ、そういう問題が福祉国家には現 存するということを見据えておく必要があるのではないでしょうか。
内藤:最終的にはやむをえずそうなる(誰が助かって、誰が助からないかという悲惨が おこる)としても、その過程では全部が助かることを目指して努力する、ということで はないでしょうか。仮に「貧しい国は仕方がない」といったとすると、状況が悪化すれ ば、その仕方のないレベルがどんどん上がって、切り捨てた人自身が次々と「仕方がな い」と切り捨てられる立場になりうる。


神・天皇と進化論



●社会ダーウィニズムを讃美する英米文学者の渡部昇一は 雑誌『正論』(2004/8)に 『昭和天皇が体現された「適者生存」の法則に立ち戻ろう』 という題名の文章を書いています。

渡部昇一によれば、進化論は適者生存のバランスを取り続けることであり、 イデオロギーはバランスを考えずに一つの目的を追求することだ、といいます。

自然界で生き残り天変地異を経て生き延びて来た生物は、 一種のバランスを保った変異を重ねてきたためであり、 このプロセスが進化なのである。

昭和の右翼運動は皇室を担いだ共産主義だった。 当時の政府は立憲君主制のバランスを考えた政党であった。 これを揺さぶるために統帥権干犯も出てきたし、天皇機関説批判も出てきた。

飼育動物はバランスをくずし、野生の状況におかれたらすぐ滅ぼされてしまう と主張します。渡部は、社会主義や大きな政府は家畜と同じく人為淘汰を社会で 行なうことだと批判します。福祉は社会主義イデオロギーだと言って、ハイエクなど を引用してこれをを否定します。

《題名からしてオカシイです。この文章には昭和天皇が適者生存を体現したという ことを納得できるような話はなにもないです。昭和天皇が天皇機関説を認めていた という話があるだけです。

「バランスが大事」という主張のために、家畜はだめで野生動物 がいい、という話を持ちだしているのですが、天皇をたとえるのに、どちらが 似つかわしいかと言ったら誰の眼にも明らかでしょう。

自分の文章が示唆する皮肉な連関が理解できないほど“知的能力が低い” のでしょうか。まさか、そんなはずないですね。それでは、この文章は 手の込んだ反天皇論なのでしょうか??》

《バランスが大事だという主張をするだけなら進化論なんか引用する必要はないのです。 もしバランスという一言だけで進化論を要約できたら、進化論は何にでも気ままに コジツケが出来るでしょう。

しかし自然選択の基準はバランスではなく、 他の変異とくらべて集団の中での頻度を増加できるか否かです。 つまり環境しだいでキリンのようにアンバランスに首が長くなったり、 洞窟生物のように眼が無くなったり、ヘビのように肢がなくなったりもするのです。

飼育動物が野性化して増殖して被害を出して困ったという事例もあります》

《渡部昇一自身が極端なイデオロギーに染まっていて、福祉を全否定するなどバランスを 欠いています》

《この雑誌の同じ号には、また八木秀次が少子化論を書いていて、 日本人がゼロになる日が一段と近づいたなどと述べています。 こういう嘘を平気で書くところに、この手の右翼言論人の倫理観の程度が 透けて見えます。こういう人達が、道徳が廃れたから道徳教育をするべきだ、 という口実で教育に政治的・思想的な干渉を強めているのです。この雑誌の 読者アンケートでの「読みたい執筆者ランキング」は、渡部昇一が一位で、 八木秀次が7位だそうです》

●歴史社会学者の右田裕規は『天皇制と進化論』(2009)という本で、 戦前期には、皇国史観と対立するものとして進化論を敵視する動きがあったことを 明らかにしています。

序章ではアメリカの反進化論を紹介しています:

21世紀に至るまでアメリカでは、創造論信奉者による反進化論運動が広く展開されて いく。進化論の教授を禁じた各州法は無効だという判決を1968年に連邦最高裁判所が 下した後も、である。70年代から、創造論者たちは、自然科学的な装いを自身の教義 に施し始めて創造科学という独自の領域を構築する。創造論のための学会・ジャーナル ・研究所を作り、進化論を反駁する論文を大量に生産していくのである。創造科学を 生物進化論と対等に扱うように学校や教育委員会にはたらきかける運動を続けてきた。
日本の明治期の教育政策について:
大衆に対しては、皇国史観に代表されるタテマエの教義(顕教)だけを徹底して教え 込み、統合・動員をはかっていく。他方、エリートには、天皇機関説(※)を筆頭とする 天皇制のホンネ(密教)を教授して、近代的な国家運営ができる官僚に養成する。 明治政府による近代化政策の成功は、顕教/密教のバランスのもとに遂げられていた と久野収と鶴見俊輔は論じている。
(中略)
ダーウィンブームの基底に、知識人たちの強烈なエリート意識−大衆が知らない 最新の知識をひけらかすことで自己の卓越性を確認しようとする心性がはたらいて いたことは間違いない。生物学の門外漢であるにもかかわらず、ダーウィンの崇拝者 であることを誇示していた文系知識人の場合には、とくにこの指摘はあてはまる と思う。
1930年代以降の文部行政について:
進化論批判の中心的役割を担ったのが国民精神文化研究所だった。 明治後期の神道家・国学者の流れを汲む思想集団だったといっていい。 所員に求められた活動は、国体(※)の至上性(マルクス主義・自然科学に対する優越) を示す論文の執筆や講演活動、教員・左翼学生の再教育プログラムなどだった。
(中略)
紀平正美の進化論批判は、次のパターンでほぼ決まっている。進化論は、皇国史観に 対する日本人の信仰を揺るがし続けてきた、有害な理論である。進化論が真理であるのか 疑ってかかるべきだ。進化論は、生物学者が概念的に構成した仮説=虚構にすぎないし、 検証もされていない。進化論はあまたの世界観・神話の一つなのである。 日本人にとって歴史的真理は、皇国史観以外には存在しないのだ。
しかし、陸軍が優生学の知識を国民に行き渡らせようとしたことなどから混乱も あったそうです:
高等学校での進化論の扱いを批判的な形に転換しておきながら、他方では進化論の 教授対象を勤労青年層にまで拡大するという戦時下の文部省の動向は、進化論書を めぐる当時の政府の動向と照応する。文部官僚も、この事態を合理的に説明しえる 原理など有していなかっただろう。

《※国体=神としての天皇が統治する政治形態》

《※天皇機関説=明治憲法に対する解釈として、主権は天皇になく国家にあるとする 法律学上の学説》


社会階層



●コリンヴォーは生態学の入門書『猛獣はなぜ数がすくないか』(1978)で人口が増えて 資源に余裕がなくなると支配層は大衆を抑制する、たとえば、カースト制度がそれだと 書いています。

アレグザンダーは『ダーウィニズムと人間の諸問題』(1979)で法律とは大集団の統一 のために個人の繁殖を制限する仕組みだと主張してます。

《『週刊金曜日』(2006/12/22)の奥村宏・野田正彰・山口二郎による鼎談での野田の 発言:

1990年代末以降の流れの中で見ると、バブルの崩壊後のツケを、 財界は時の政権を使って、下の層におしつけていった。その結果、格差社会化が加速 し顕在化した。98年、突然の自殺率35%増という事態がそれを示した。都市部、 とくに東京とか大阪では、前年比で実に50%増なんです》

《東京新聞(2007/5/25)より:

中国農村で、強引な人口抑制策に対して暴動。 地元当局が暴力的な罰金取り立てをしたことと、腐敗に怒り》

《東京新聞(2008/10/27)のコラム『清水美和のアジア観望』より:

中国では農民は 戸籍で分類された社会的身分を意味する。13億人口のうち8億を占める農民が 「二等公民」の扱いを受けている》

《東京新聞(2012/11/29)によれば、中国政府は人口抑制策を見直し始めている そうです。政府系シンクタンクは2020年前後に自由出産を認めることを提言して います。中国の2010年の合計特殊出生率は1.7》

《『最貧困女子』(2014)を書いた鈴木大介は日本の貧困について格差ではなく カーストだと評してしました(TBSラジオ、2015/1/6)。上層にいる人には見え ていないようです》

●生態学の教科書には、環境の物理的性質に関する話が書かれています。 意外なことに、これが人間社会の仕組みを考えるのに有用なのです。 エリック・R・ピアンカ『進化生態学(第2版)』(1978、訳本1980)から抜粋:

温帯で通常みられる深い湖は、規則的な季節的温度変化を示す。夏のあいだ、 表面の水は熱せられ、暖かい水は比重が小さいため、表水層と呼ばれる上層が できる。深部の水は深水層と呼ばれ、冷たい。また水温躍層と呼ばれる中間層が 、深水層と表水層を分離している。

卓越風が表面水流を作るため、湖の水は循環する。成層化した湖では表水層は 多少とも閉鎖的な循環系を作りだす。ところが深部の冷たい水はほとんど移動 しないし、上部の暖かい水と混ざり合うこともない。俗に夏の停滞といわれる 現象がおこる。

湖が等温になると湖全体の水が循環するようになり、栄養豊富な底の水が表面 へと運ばれる。これを陸水学者は、春と秋の「ターンオーバー」と呼ぶ。

夏の強い太陽光が湖に与えるエネルギーは上層部を暖めます。 しかし、上層をいくら暖めても、下層には熱が伝わらないのです。

ところが、料理するためにガスコンロでナベの下から水を加熱するならば、 対流が生じて、全体が温まります。

こうした現象は経済でも生じます。 斎藤貴男(ジャーナリスト)の『機会不平等』(2004文庫版)から抜粋:

「日本の経済がここまで悪化してくると、従来とはまったくコンセプトの 異なる政策が求められてきます。景気対策と構造改革の推進という、 矛盾する二つの課題解決のためには、レーガン流のサプライサイド減税(※)しか ありません。経済を支える企業や起業家をエンカレッジするため、法人税減税の 強化に加え、所得税の最高税率を下げてやる。金持ち優遇税制が必要な時期なのです」 竹中平蔵・慶應義塾大学教授の持論である。

「金は天下の回り持ち」という言葉があります。しかし、その回り方には 2種類あります。上層だけで回る場合と、上層と下層の間で回る場合です。 所得税の最高税率を下げる、というのは湖の上層を暖めるのと同じです。 金持ちが優遇されて彼等の金が余ると、消費が増える効果よりは投機が増える 効果が大きいでしょう。

優良な投資先には限りがあります。しかし投機資金は余っているという状態が 生じると、不良な投資先が優良な投資先と偽装されて売られるようになります。 バブルの発生です。元が不良な投資先ですから、やがて実態が現われバブルが破れます。

バブル崩壊で大きな金融機関が不良債権を抱えて、経営破綻を起こすと大変です。 政府による財政出動が行われます。危ない金融機関が国有化されることもあります。 収縮した景気への対策として公共事業も行われます。こうした対策の財源は国債発行 (借金)が多いのです。その結果、国家財政は破綻の危機に陥ります。公共事業など への支出は下層を加熱する効果が少ないからです。上層でピンハネされて下層労働者 には自己再生産できるか否かという程度しか金は回らないのです。

市場へ低金利で資金を供給する金融政策をとっても、不良債権を抱える金融機関は 資金を抱えこんで、中小企業などへは貸し渋り、個人にも金は回りません。

《ちょっと思考実験してみましょう。資本主義では生産効率の向上が進みます。 科学技術はこれを加速します。そこで、窮極のマシンを資本家・企業家が 所有できたとしましょう。農林水産業も、工業も、サービス業も、人間の労働を必要と しないマシン群です。雇用される人間はいなくなります。そして、人々が財産を 使い果たすと、商品はもう売れなくなります。マシンの所有者は世界の財を独り占め できますが、もう金は回りません。このシステムを維持して金を回すには、 資本家・企業家から高額の税金をとって、労働もしていないような人々に配布して、 消費を維持しなければならないでしょう》

《今、窮極のマシンはないのですが、円高(為替レート)で工場が外国に移転する のは、日本の労働者からすれば、高度な機械化と類似した事態です》

《『週刊金曜日』(2010/1/29)によれば、日本の所得税は74年当時は19段階あり、 年収60万以下の10%から年収8000万円超の75%までありました。現在(2010年)は、 最低5%から最高40%の6段階しかありません。

『週刊金曜日』(2011/11/4)によれば、有価証券取引税はアメリカの圧力で、 1999年に廃止されました。

東京新聞(2012/1/5)によれば、 大富豪に恩恵が大きいのが税率10%の証券優遇税制です(注:この税率は2013年末まで)。 株式の配当や株式売買の譲渡益などは、他の所得とは別扱いにできます。 現在、通常の所得にかかる所得税の最高税率は40%ですが、富裕層は金融資産からの 所得が多いため、この優遇税制によって大富豪の税負担率は低くなりました。

「08年分の申告納税者の所得税負担率」によると、 通常所得と有価証券関係などとの合計所得にかかる所得税の割合は、 800万〜1000万円の階層は、10.6%、5000万〜1億円は28.3%と最高になります。 ところが、これを上回る階層は負担率が下がり、50億〜100億円の大富豪は 13.5%(08年分)。この階層は、所得の中で株式などの譲渡所得の割合が 約90%と極めて高いため、所得税の負担率が低くなっています。

国債(国の借金)が積み上がり財政危機だと言われて増税が課題になっています。 政治家が言うのは消費税ばかりです。 余分な投機資金を持つ階層から金を回収して、下層を加熱するには、上層の所得税や 金融取引に対する課税などを強化する必要があるでしょう。

エコノミストの浜矩子は、個人の最高税率を引き上げ、生活物資にかかる消費税率を ゼロにすることを提案しています(毎日新聞2011/9/13)。ただし、消費税そのものに 反対しているわけではないようです。大蔵官僚の経験がある経済ジャーナリストの 武田知弘は、金持ちの社会保険料負担率アップや資産課税も提案しています (週刊金曜日2012/2/24、2012/3/2)》

《サプライサイド・エコノミクスの流行のきっかけはラッファーによる仮想的グラフの 提示です。これは税率に対する政府の税収を示したものです。税率がゼロの場合と 100%の場合は税収がゼロになると考えたのです。低い税率からスタートし、税率を 上げると税収は増えるが、税率がある程度以上になると、やる気がなくなり税収が 減少するというのです。根拠なしに、現状は税収の減少する税率領域にあるとして、 減税を主張したのです。ラッファー・カーブには所得レベルという変数が入って いません。金持ちは、収入が増えるからといって勤労意欲が高まるということは ないでしょう》

《金持ち優遇政策を正当化するために、トリクルダウン(trickle down、したたる) という宣伝がされました。経済成長が自動的に下層に波及して福祉が実現されると いうのです。しかし金持ちは消費より投機するので、金は下層に波及しません。 実際には、中流階級から下層階級に人々がトリクルダウンしたのです》

※参考:
斎藤精一郎『サプライサイド・エコノミクス』(1981)
相沢幸悦・中沢浩志『2012年、世界恐慌−ソブリン・リスクの先を読む−』(2010)

《毎日新聞(2017/3/29)で水野和夫(現代日本経済論)は「現状を変えるには世襲資本主義を壊す、 つまり相続財産をいったん国庫に戻させるしかない。年間50兆円ほどが相続されるのに、 相続税は約2兆円にしかならない。残りの半分を戻すだけで、余裕が出ます」と話しました》

●東京新聞(2009/10/20)によれば、07年の日本の相対的貧困率は15.7%でした。 十年ほど前、98年は14.6%でした。

※相対的貧困率:所得分布中央値の半分未満の所得しかない人が全人口に占める割合。

《NHK総合テレビ(2012/11/26)の『特報首都圏』によれば、日本の子どもの 相対的貧困率はOECD20カ国の中で4番目に高いそうです(ユニセフ調べ)》

《東京新聞(2014/8/3)によれば、日本の子どもの貧困率は1985年に10.9%だったのが 2012年には16.3%に達したそうです》

●NHK総合テレビ(2009/12/3)の『クローズアップ現代』は現代の資本主義を批判 するマイケル・ムーアの映画について紹介していました:

(イギリスの元国会議員):国家の支配には2つの方法がある。恐怖を与えることと 士気をくじくこと。教育と健康と自信を持つ国民は扱いにくい。世界人口の1%が80% の富を独占している。貧しく士気をくじかれ恐怖心があるため命令を聞いて最善を祈る のが一番安全だと思っているんだ。

(マイケル・ムーア):労働者の借金苦は体制側を利するものだと?

(イギリスの元国会議員):借金苦の者は希望を失い投票もしない。

NHKのインタビューに答えて、ムーアは「政府は人々にある恐怖を植えつけました。 誰かが我々を殺そうとしている。だからこっちから出向いて攻撃し侵略すべきなんだ とね」と話しました。

《貧困問題に取り組む国際非政府組織オックスファム(本部英国)は世界の富裕層 上位1%が所有する資産が2014年、全世界の資産の48%を占めたと発表したそうです。 上位1%が持つ資産は09年に全体の44%でした(東京新聞2015/1/20夕刊)》


子殺し



●時には子殺しという現象があります。ダーウィンは『人間の起源』(1871)で 子殺しは自分の生活を支えるためだと考えました。

ウィン=エドワーズの影響を受けて歴史学者リグリィは『人口と歴史』(1969)で、 人間の子殺しは動物と同じように人口抑制によって集団全体の利益になると書きました。

ターンブルは本『ブリンジ・ヌガグ(The mountain people)』(1973)で ウガンダの少数民族が食糧事情が悪化するなかで社会が崩壊した状況を描きました。 その本で、子を生む能力のある世代が生きているかぎり、子どもなどいつでも つくれる。だからまず老人を、ついで子どもを厄介ばらいしようということになる。 そうでもしなければ種族全体が自滅する、と解説しています。

杉山幸丸はインドでハヌマンラングールというサルを調査して子殺し現象を発見しまし た。彼の本『子殺しの行動学』(1980)で子殺しは種の維持のための個体数調整の仕組み だと書いています。

しかし、その後、行動生態学ではライオンやハヌマンラングールの子殺しは、群れをの っとったオスが自分の繁殖を確保するために、前のオスのアカンボを殺してメスが発情 できるようにする利己的な行動だと理解されています。

朝日新聞(2001)のコラムで鬼頭宏は、江戸時代の間引きや堕胎は食うに困ってと いうより、(予防的に、)家の耕地面積に合わせて子の数を調整した面が強い、 と述べています。

《アマゾンに残存する狩猟採集民のヤノマミのドキュメンタリー (『NHKスペシャル』2009/4/14)を見ました。 生まれたばかりの赤ん坊は人間ではなく精霊とみなされます。 母親が抱くと人間として迎え入れたことになります。人間として迎えるか、 精霊のまま天に返すか、母親が決めます。理由は問われず、母親以外は ただ受けいれるのです。150人のこの村では毎年20人の子どもが生まれ、半数以上が 精霊のまま天に返されます。ローティーンでの出産も珍しくないのです。 政府の僻地医療が始まって村の人口は倍近く膨らみました。 ほとんどが一夫一妻で、子育ては家族全員で助け合います》


性と暴力



●チンパンジーとボノボは人類と近縁の動物です。霊長類学者の古市剛史は 『性の進化、ヒトの進化』(1999)で、これらを比較しています。

チンパンジーのメスの性行動は発情期に限定されます。妊娠可能な時期は外陰部が 腫れてオスにアピールされます。オスにとってメスは慢性的に不足で、順位が高い オスが独占しようとします。オス間の緊張関係は厳しく、集団間の抗争では相手集団の オスを抹殺することもあります。他の集団からきたメスが最初に生んだオスの アカンボウは殺されます。

ボノボのメスは排卵の周期と関係なく外陰部が腫れてニセ発情して、いつでも性交渉 します。ボノボは性交渉を親近感を高めるための手段に使っていて、同性間や近親間でも 行なわれます。性の選択権はメスにあり、オスはメスに優しくします。集団間の 殺しあいはなく、子殺しもありません。

《中村美知夫『チンパンジー』(2009)によると、チンパンジーの子殺しで、殺された アカンボウは殺害者たちに食べられるそうです。また、犠牲者は「他の集団からきた メスの最初のオスのアカンボウ」とは限らないそうです》

●NHK教育テレビ『サイエンスZERO』(2009/3/24)で、殺人が取り上げられていました。 行動生態学者の長谷川眞理子は、動物では繁殖期にメスをめぐるオスの闘いが激しいこと を参考にして、人間でも「殺人を犯すのは男性が多い。20代男性の殺人が特に多い」と 予測しました。

統計を調べたところ予想どおりだった上に、年令別殺人者率のパターンが複数の国で 同じだったのです(ユニバーサル・カーブと表現していました)。

日本の男性の殺人の動機で圧倒的に多いのはメンツ、プライドだそうです。

WHOのデータによれば、 日本は殺人犠牲者率が低い国であり(100万人あたり6.2人)、 殺人犠牲者率が一番高い国はコロンビアです(100万人あたり723.7人)。

しかし、日本の殺人率は1955年には高かったのです(100万人あたり36.6人)。 それが、どんどん低くなりました(2000年には100万人あたり9.0人)。 20代の男性の殺人者率が低下して年令別殺人者のパターンが平坦になり、 ユニバーサルカーブとは言えなくなりました。 長谷川によれば、日本で殺人が減った理由は以下のようです:

若い人の学歴が高くなり、失業率が低くなり、みんなが お金持になり、格差が少なくなり、終身雇用で年功序列で安定した社会。若い男の人 たちが、今馬鹿なことしたら失うものが多いと思う事態を作っていったわけですね。

《後述のサポルスキーの『人類は殺し合うサルか』でサバンナヒヒの攻撃的な集団が 平和的な集団に変化した例が取り上げられています。その過程は複雑ですが、 群れに新たに加わった思春期のオスをメスがすぐに歓迎するように変化したことが 重要だそうです。粗野な行動の持ち主である思春期のオスが歓迎されていることに 気づき、リラックスするそうです》

《霊長類の事例が頭にあると、日本の殺人率が低い理由は、長谷川が挙げた要因の 他に、もう一つ思いつきます。日本の若い女性の性規範に関する意識は昔とは違って きて、かなり自由に性行動を行なっている人たちもいるようです。また性産業も以前 よりも多様で盛んになったようです。男性がバーチャルなものも含めて簡易に性に関与 できるルートがあることが男性社会が殺伐とならないことに間接的に寄与している 可能性はないでしょうか》

《1990年代に規制緩和で終身雇用から派遣労働にシフトしました。東京都では 石原慎太郎知事が、性産業への規制を強めています。経済状況の悪化から母子家庭の リスクが大きくなれば、若い女性はパートナーの選択に慎重になり奔放な性行動を控える ようになるかもしれません。これらの状況がより進行すれば日本の殺人率は上昇する のでは?》

《しかし、フランスやアイスランドなども日本と同じ程度の殺人率ですから霊長類と 同じ理由を当てはめるのは無理かもしれません。また歴史的過程も重要でしょう。 1955年の日本で20歳の人は10歳まで戦争、その後は、戦後の混乱の中で育ったの ですから暴力的であったとしても不思議ではありません。 コロンビアも内戦、ゲリラ、テロなど政治関連の暴力が続いてきた国です》


戦争



●歴史学者の筒井清忠は『中央公論』(2006/9)にのった 『戦争拡大へと駆り立てた陸軍の"下克上"連鎖』という論文で、 陸軍士官学校第十六期生の永田鉄山、小畑敏四郎、岡村寧次などが、 長州閥の上層部に対抗したり、陸軍と国民を一体化する(総動員体制)ために結集した 動きを紹介しています。

彼らは二葉会、木曜会、一夕会などの会合を開きました。

木曜会での議論では「貧国日本」「国際プロレタリア」「貧強日本」 「貧健日本」「母国は狭し大陸へ」などという発言があり、 人口問題の大きな圧力の下、大陸へ進出せざるをえないという 感覚が彼らには強くあった。
筒井清忠の『昭和期日本の構造』(1996)に、もう少し詳しい発言内容があります。 東条英機中佐(当時)も参加した木曜会(1928年3月1日)で、 「将来戦争」について有力な原因を根本博少佐が報告しています:
「草は原始地では同一種類のものが繁茂し他種の草の介在を許さない。 その草が衰えかけると隣の草が漸次侵蝕してくる。民族の将来も またこの草のようなものとなるのであろう」。

「結言、我が日本の人口問題解決地は東部シベリアなるべし」。

討論に入り、深山少佐が口火をきった。

「シベリアは寒冷だ。満州を取ったらどうだ」

根本が答える。

「満蒙は取る。その上にシベリアを必要とするのだ」

東条の下書きをもとにした木曜会の戦争方針が「判決」としてまとめられた。

「判決。帝国自存の為満蒙に完全なる政治的権力を確立するを要す。・・・」

《この会合の3年後、満州事変を起こしました。日本の過去の戦争を正当化しよう という人々が、アジアの植民地解放のための戦争だとか自存自衛のための戦争だった などと主張することがありますが、そんなものではないことは思想でも、中国人などに 対する残虐行為でも明らかです。東條英機の言う自存とは妄想的人口論による侵略の 言いかえに過ぎないのです》

《1928年12月6日の木曜会で、坂西少佐は「満蒙把持というのは 領土的野心を暴露し、一面不利を生じる。だから、内外に宣明して恥じる ことのないモットー・標語を定める必要があると信じる」と発言しています。 また、上司を戦争に同調させるためにも標語が必要だと考えたのです。 こうして作られた宣伝標語を、今でも信じこんでいるのか、侵略でないと 主張している人がいます》

●人間科学を研究した劇作家であるロバート・アードレイは 『狩りをするサル(The hunting hypothesis)』(1976)で 利他性について論じています。人類史の99%は狩猟人の歴史であるということから さまざまな想像をしています。

初期人類は少人数の集団でなわばりを持っていた。人口のまばらな地域は別として、多 くの人口を抱えた地域では、100万年にもわたってなわばり争いがくり広げられた。 自分の土地を守ろうとするとき、連帯して守ろうとする者たちは協力心が高まり、利己心 が後退するのである。

狩猟社会はとうになくなったが、国家のためにという大義名分は 国民を一致団結させるために、今日でもつかわれる手である。

集団の淘汰は、現代の生物学で最も活発な論議の対象である。もし、競争が、個人間だ けでなく集団の間にも起こるなら、より多くの忠誠心、協力、自己犠牲、仲間同士の利 他主義に恵まれた集団のほうが自然選択の意にかなうだろう。私は過去何百万年かの間 に、何らかの利他主義的傾向がわれわれの遺伝子プールの中に入りこんだのではないか と考えるようになった。

《日本の右派勢力は、愛国心は教育しなければ生まれないと思いこんでいるようです。 それとも、愛国心という名目で既存権力層の支配力を維持していこうとしているの でしょうか》

●動物学者の日高敏隆は『動物にとって社会とは何か』(1977)で、 「人間にはほかの動物に見られるような遺伝的な個体数調節機構が欠けている。 集団生活が種の維持に不可欠になったからだろう。宗教は個体数調整機構の代用品 として作用した。伝染病と戦争が人口調節に大きな役割をはたした」と書いています。

アリの研究者であるE・O・ウィルソンは『社会生物学』(1975)の最終章で人間社会を 論じています。その中から拾ってみました。

群淘汰は個体淘汰を強化しうるだけでなく、個体淘汰と対立して、打ち勝つこともある 。繁殖単位が小型で、平均的血縁が近い場合には、そのようなことが起こりやすい。以 上のことをダーウィンは知っていたのである。 Keith(1949)、 Bigelow(1969)、 Alexander(1971) らは人類の、 利他性、愛国主義、戦場における勇気などを、戦争によって遺伝的にうみだされた ものとみなしている。
この本をきっかけに社会生物学が欧米では論争の的になりました (参考:ウリカ・セーゲルストローレ『社会生物学論争史』訳本2005)。

ウィルソンは『人間の本性』(1978)で原始人の戦争の原因は生態学的競争であり、 同盟には血縁関係が重要だと主張してます。

しかしTVで考古学者の佐原真は、吉野ケ里遺跡などを参考にして、「戦争は農業が始ま ってから起きたのであり、長い歴史の大部分を人間は戦争なしに過ごしてきた。日本で は村の柵や武器の発達は農業と一緒に2400年前から始まった」と言っていました(参考 :佐原真『遺跡が語る日本人のくらし』1994)。

サルの集団の間では、ふつう、戦いはおこらないと言います。しかしチンパンジーでは 皆殺し戦争といっていいほどの戦いがおこることもあるそうです(メスは除きます)。参 考:京都大学霊長類研究所『サル学なんでも小事典』(1992)。

《産経新聞(2005/7/24)によれば、ボスニア紛争で、1995年7月、 セルビア民兵組織が無防備のイスラム教男性全員の虐殺と女性に対する 凌辱を行ないました》

《東京新聞(2005/7/23)には、戦友会の外では話さなかった戦争での 経験を話し始めた人の記事があります。旧日本軍は、中国で初年兵に中国人を銃剣で 刺し殺す訓練を行ないました。同じ部隊の古年兵は山間の集落で若い女性を探し、 集団で性的暴行を繰り返したのです》

《協力(利他性)の起源を戦争ではなく、もっと平和的なものと考える例もあります。 NHK総合テレビ(2012/1/22)のNHKスペシャル『ヒューマンなぜ人間になれたのか』 では、二足歩行で骨盤の構造が出産を困難にした結果、出産に介助が必要になったのが 協力の起源だとしています》

●歴史学者の網野善彦は、NHK人間大学『日本史再考』(1996)で、弥生時代から 明治以前までの日本は農業社会だという日本人の常識は誤った思い込みだと 言っています。このような誤りの元は、支配者が農本主義の思想をもっていた ために、「律令」法体系により水田を基準にした課税をしたので、農業をしていない 人でも記録上では農民に見えてしまったからだと言います。

そして日本は農本主義で農業国になろうとするたびに帝国主義的な行動をとったと 言います。

織田信長、豊臣秀吉は重商主義の宗教勢力をたたきつぶし、検地を行いますが 、秀吉は朝鮮半島を侵略し、そこにも検地を及ぼそうとしています。 このように、農本主義を建て前にしたときに、日本国は侵略的になっているのです。

明治時代以降の近代国家も、陸上交通を中心にし、農業によって自給自足ができなければ 、周囲の強国に太刀打ちできないという姿勢をとっています。もちろん、 工業の原料とも関係ありますが、台湾や朝鮮半島を植民地にし、ついには「満州」 (現中国東北部)を「生命線」にしたのも、食糧自給のためという名目があり、 実際、そこに水田をひらき、開拓のために多くの人びとが出かけていっています。

●毎日新聞(2003/12/27)のコラムでジャーナリストの岩見隆夫は、 戦前から戦後にかけて政治家であった河野一郎の1932年の選挙で 書かれた政見を紹介しています。 この選挙は満州事変から5ヵ月後のことです。
河野政見はこう書く。

<満蒙問題解決が不徹底に終われば、我が国はついに支那大陸からの撤退を意味する。 これはとりも直さず、我が国が明治維新以前の小島帝国に退転することになる>

それでは年々80万人増加する6000万人の国民の生活は保持できない、と。

《別項で私は領土拡大は自給率改善には現実的でないと書きましたが、 数十年前の日本では、これを現実的だと考えていた人びとがいたわけです》

●『論座』(2006/4)に掲載された神経学者ロバート・M・サポルスキーの 『人類は殺し合うサルか』<霊長類の平和と人類の平和(下)>はサバンナヒヒの 攻撃的な集団が平和的な集団に変化した例を参考に人間を論じています。

古くから言われる「生まれと育ち」に関する議論には無意味なところがある。行動を 規定する遺伝子は、その生物種が活動する環境のなかでの特定の行動を規定するわけで、 生まれと育ちは切り離しては考えられないからだ。 (中略) ハンス・クマーの実験において、異なる種の集団に放置されたメスたちは、本来の 集団において見せる典型的な行動をとった。これは相手の集団ではルール違反の行動 だった。だが、次第にメスたちは、新しい環境のルールに同化していった。
サバンナヒヒの「森の集団」の変化を紹介したあとで人間の暴力を論じています:
…敵対的な集団に取り巻かれた小集団において協調関係が出現しやすいこともわかって いる。しかし、協調する小集団内で暴力ざたが起きる可能性は低いが、一方でこの 集団は対外的に大きな問題を引き起こす。

アウトサイダーを他者として位置づけずに、小集団内の協調を維持する方法はない のだろうか。一つの方法は交易だ。自発的な経済交流は利益を生み出すだけでなく、 社会的紛争の発生を低下させる。これはマカークザルが餌を確保するうえで必要な パートナーとは、仮に喧嘩をしても、仲直りをする確率が高いのと同じことだ。 集団間の境界線があいまいで、メンバーが入れ替わる分裂・融和型社会構造も、 アウトサイダーを他者として位置づけずに、小集団の協調を維持するためのモデル になる。

さらに、人間の脳の特性について、次のように書いています:
他の霊長類同様に人類がアウトサイダーを嫌うという性向をもっていることを思うと、 どうしても悲観的になりがちである。人類の脳の研究はやっかいなことにこうした 悲観論を立証しているようにも思える。小脳扁桃が恐れと攻撃の中枢をつかさどって いる。実験によれば、遠く離れた地域で暮らす人種の顏が突然目の前に現れると、 小脳扁桃は臨戦態勢をとるように促す。だが、悲観論を緩和させるような研究も 最近でてきている。人種の違う人々との多くの交流経験をもつ人物を対象とする 実験では、小脳扁桃の代謝は起こらなかった。
平和共存の可能性について:
アービン・デボアは次のように指摘した。「略奪者に対する防衛本能として、 サバンナヒヒは攻撃性を身につけていき、一度攻撃性を身につけた段階でそれは ヒヒの性格として定着する」しかし、サバンナヒヒが、そうした社会を、 ユートピア社会に変えていく柔軟性を持っていることが「森の集団」によって実証 されている。

20世紀前半の世界は日独の対外侵略に伴う流血の惨事を経験したが、その数十年後には、 日本やドイツよりも平和志向の国を探し出すのは難しいほどに両国は変化していた。

人類は、サバンナヒヒの「森の集団」のように平和的に共存する世界をつくれるだろ うか。「無理だ。それはわれわれの本性を越えている」という人々は、われわれを 含む霊長類への理解が乏しすぎる。

《アウトサイダーについて、精神科医の斎藤学は東京新聞(2010/11/24)の 『本音のコラム』で、次のように書いています:日本の代表的企業は人材を中国の 新卒者に求め始めているという。本社採用の幹部候補生として。豊かになりつつある 人口密集地帯が主な市場なのだから当然のこと。日本は移民の受け入れと帰化の簡易化 が必要と思っていた。しかし私たちの外国人嫌いがそれを妨げるから、労働・消費人口 の急落とデフレの持続は避けられまいと考えていたが、頭が固かった。国外から ワイルドかつ優秀な人材が企業の中核に入りこむという形で日本は新たに開国する のだ。旧日本は解体し、日本語も変質するだろう》

《東京新聞(2011/1/26)の匿名コラム『けいざい潮流』(白山)は、経済交流の 戦争防止効果について懐疑的です:普仏戦争に勝利したドイツが台頭し、 英国も建艦で覇を競い合い、緊迫した。ノーマン・エンジェルが『大いなる幻想』と 題するパンフレットを発表し、経済交流が形成されれば利益を無にするような戦争は ありえないと主張した。1933年のノーベル平和賞に輝く。だがセルビア人の銃弾1発 をきっかけに第1次大戦が勃発。経済の相互依存性が高まる現在、米中間で大規模戦争 が発生する可能性は少ないとみたい。だが、戦争の危機は決してなくならない》

●ドナ・ハート(自然保護・人類学)とロバート・W・サスマン (自然人類学・霊長類学)による『ヒトは食べられて進化した』(2007)によれば:

鳥類が領域を守る手段として定義された縄張り意識という概念は、人間に対しては まったく使えない。狩猟者も採集者も、排他的に守るような土地はほとんどもたない。 農耕民族には土地をうまく利用する手段がたくさんある。これらを縄張り意識という ただ一つの概念でくくるのは無理だ。現代社会の戦争について。この場合たいていは、 守るべき領域とは何の関係もない。ソマリアやボスニアやイラクに部隊を送る政治的 判断と、鳥類やテナガザルが自分の範囲の境目で示す行動とが、どうやったら同じだ といえるのか。
この本の解説で、山極寿一は次のように書いています:
ダートはアウストラロピテクスの頭骨についていた傷跡から、彼らが 武器で殺し合ったとする説を発表し、注目を浴びた。この考えは劇作家ロバート・ アードレイによって誇張され、1962年に『アフリカ創世記』という書物になって話題を 呼んだ。しかし、アウストラロピテクスの傷跡は、ヒョウや猛禽類によってつけられた ものであることが証明された。人間がつくった最初の狩猟具も40万年前、武器によって 戦い合った証拠も数万年前にしかさかのぼれないことが判明した。

《初期の武器が石ころのようなものだったら、証拠は残らないかもしれません。 少し前の子どもは石投げ戦争をしました。 大量殺人までに至らない戦争だってあり得ます。 参考:中沢厚『つぶて』1981》

《NHK総合テレビの『ニュースウォッチ9』(2011/2/3)では、エジプトの ムバラク大統領の辞任を求めるデモをムバラク派の集団が襲ったときに、激しく石を 投げ合っているのが放送されました》

●東京新聞(2008/7/19)の文化欄『土曜訪問』で三沢典丈は哲学者・竹田青嗣の 主張を紹介しています。

資本主義が地球を食いつぶそうとしている。60億を超えてなお増え続ける地球人 がみな、現代の日本人並みの生活水準を享受しようとすれば、資源は絶望的に 足りない。マルクスが危惧した通り、人類は資本主義の奴隷として滅びる道を、 今日も一歩ずつ進んでいる。そんな資本主義をどう変革できるのか。竹田青嗣さんが 取り組む中心テーマがそれだ。

「私たちは今、持続可能な資本主義か、放置されたままの資本主義かという新たな 選択肢の前に立っている。前者を選ぶためには、もう一度、近代哲学に立ち戻るしか ない」

現代社会とのかかわりで、とりわけ重要な原理を提示したのが、ホッブスとルソー という。

「近代哲学には、普遍的な原理がいろいろあり、お互いに組み合せることが できる。これら原理を積み上げていくことでしか、持続的な資本主義を構築する 道はない」

資源を消費せず、環境を守り、個々人が自由かつ幸福であるような社会を目指す原理 −それが登場すれば、人類は資本主義という魔物を飼いならすことができるのだ。 いったい、新原理とはどんなものか。竹田さんはその成立条件について

「まずすべての国が一斉に導入すること。この点で、温暖化問題はいいきっかけに なると思う。一方、人口抑制も欠かせない。人口が増え過ぎれば、全員の自由が 保障されるような世界は構想できず、全体主義などの支配構造に逆戻りする可能性 が高いからです」 と語る。

逆に、今の資本主義を放置するとどうなるのか。

「大国同士が資源を奪い合い、核戦争が起きるか、貧富の格差がさらに拡大し、 核を使ったテロが頻発する」

●NHK総合テレビ(2009/4/14)の『爆問学問』で歴史学者の山内昌之は イスラム地域について説明しました。

貧困や環境ということ以上に、最近、私が着目しているのは人口の問題です。 中東では人口が60から70%が25歳以下、若いんです。世界最高の失業率で 20%半ばを平均して、中東では失業率が生まれている。彼らは多子若齢化。 将来、解決される見込が今のところないんですね。

ガザなんかのケースでも1950年には24万人だったのが2008年には150万人に なっています。この人たちを吸収する産業もありません。不満、貧困、苦痛、 フラストレーション等々を発散する受け皿としてテロに走る。


カニバリズム(共食い)



●哲学者の梅原猛は東京新聞の連載エッセイ『思うまま』で、動物の生態を参照して 人間の戦争について述べています。

(2010/4/19):

「核なき世界」への道は大変険しく、不可能ではないかとさえ憂慮するものである。 核問題は結局、戦争の問題である。人類は昔から、種族および国家間の対立を戦争と いう手段によって解決してきた。勝敗は、兵器の優劣によって定まる。「核なき世界」 においては、核をもっている国が権力を失うことになる。世界連邦のような世界秩序 が必要となろう。可能であろうか。
(2010/4/26)オタマジャクシの共食いを観察して:
…そのような共食いの有様が池のあちこちで見られたのである。 これは同種間の弱肉強食である。私はあんなに好きであったオタマジャクシが憎ら しくなった。しかし、ここには動物の本能的知恵が存在しているように思われる。 モリアオガエルの子孫を存続させるためには数の調整が必要であろう。数が制限され、 しかも強いモリアオガエルの子孫だけが生き残る。私は、モリアオガエルのこのおぞ ましい生態を目の当たりにして、人間のことを考えた。ほとんどの動物には天敵が 存在するのに、人間には天敵がなく、人間は無限に増加する。このような人間には あるいは同種間で殺傷し合う戦争というものを好む本能が存在し、人口の爆発的な 増加を防いだのではないかと私は思ったのである。
(2010/5/10)ハヌマン・ラングールの子殺しについて:
河合雅雄氏は、このサルの子殺しに、哺乳類の世界ではふつうあり得ない同類殺害の 行為を認め、そのようなサル類の遺伝子が人間に受け継がれ、人間に大量の同類殺害、 すなわち戦争を行なわしめる要因になったのではないかという。 私はこの河合氏の説に賛成であるが、人間の同類殺害のほうがはるかに一般的な現象で あると思う。ハヌマン・ラングールの同類殺害は、複数の雌を支配する一頭のボスの 交代の際にしか起こらないが、人間の同類殺害すなわち戦争は、ごくふつうに起こる。 人間には、他の霊長類よりはるかに強く同類を殺す本能が存在しているように思われる。
(2010/5/17)テレビドラマに殺人が多いことを述べて:
人間のなかには殺人を好む本能が隠れているように思われる。 世界各地にカニバリズムの風習があり、必ずしも未開社会のみにかぎられないことが 中国史家の桑原隲蔵などによって明らかにされた。人間の中に潜む殺人本能を抑制する ことなしに、核戦争のない平和は訪れないのではないかと思われて仕方がない。

《戦争が人口調節の仕組だという説は、戦争を続けてきたにも拘わらず人口が増え続けた 事実が否定しています。隣接集団を滅ぼしても、そこに侵略した集団がすぐに穴を埋めて しまうのです。昆虫を集団飼育して個体数変動を調べる研究では「個体群を構成する 個体の一部を殺したり、取り除いたりして個体数を一時的に減じたとき、次世代の 個体数も減るとは限らない」ことが知られています。 参考:高橋史樹『個体群と環境』1982》

《そもそもカニバリズムやハヌマン・ラングールの雄交代に伴う子殺し は、戦争とは状況や意味が違いすぎます。戦争に対比できる動物の生態と言えば、 群れ間の争いでしょう》

《しかし、生態学者にもカニバリズムに何か意味を見いだそうとする人はいます。 トウキョウサンショウウオを研究している 草野保は、 カニバリズムの頻度が高いことに注目しました。以前その話を聞いた時には、 エサの得にくい環境で目の数を増やす意味があるのではないかと言っていたように 記憶しています。私は、この動物の捕食のメカニズムが単純そうなので、機会的な 捕食(つまり単なる偶然)ではないかと思っていました。しかし、 若原正己 のエゾサンショウウオの研究では、密度が高くて非血縁者が多い条件で頭でっかちの 個体が生じて共食いするそうです》

《梅原猛が言及した桑原隲蔵の論文『支那人間に於ける食人肉の風習』は 1924年に出たものです。桑原は「日本では人を食べた事実が見あたらぬ。風俗の淳厚さ が支那に勝る」と自慢した太田錦城に賛同しています。しかし、日本でもカニバリズム はあったようだし、その上、日本は1937〜1945年に中国人を大量に虐殺しました》

《渡部昇一は『人を喰う中国人に喰われるな』(『WiLL』2005/10)で桑原隲蔵を引用し 「海洋進出の先には、わが国があるとしたら、これこそ食人肉風習のDNAが成せる業か もしれません」と書いています。DNAを問題にするならば、日本人と中国人のDNAは 共通であると見たほうがよいでしょう。ミトコンドリアDNAの研究によると、日本に 分布中心があるDNAのタイプもあるが、それらは沖縄やアイヌで頻度が高いものです。 日本列島中央部で頻度が高いDNAのタイプの分布中心は中国なのです (『科学』2008/1)》

《科学ジャーナリストであるニコラス・ウェイドによる人類史の本 『5万年前』(2006、訳本2007)によれば、プリオン病の研究から 食人風習が世界じゅうに普及していたことが浮かびあがってきたそうです》


食糧の浪費



●生態学者の森下正明は『経済生命表と食物の浪費について』(1973)で、 生態系における個体群の役割や、個体群の維持・変動を考えるために有用かもしれない と言って、食物浪費量という概念を提案しています (参考:『森下正明生態学論集』1979)。
個体群の増殖という見地からすれば、生殖齢に達し得ずに死亡した個体の食物消費は、 いわばむだな消費であると考えることができるから、この量を個体群としての 食物浪費量と呼ぶことにしよう。

《多産多死の生物は食物浪費量が大きくなることもあるでしょう。こういう生物は 少ない生存のチャンスに対して、数多くの子どもを生むという賭けをして生きのび ている訳です。それを浪費と表現するのは、当たりクジだけ買えばいいのに、 と言っているようなものだと思います。浪費という表現をすれば、それが少ない ほうが適応的だろうと思う人はいるでしょう。しかし適応を問題にするならば、 自然選択の尺度(評価関数)が何なのかという検討が必要です》

《日本語には「穀潰し」とか「無駄飯食い」という言葉がありますが、似ています。 この文章の冒頭で取り上げたDINKS批判の意見とも通じるところがあるかもしれません》

《この概念を本に引用したり、関連した研究をしている日本の生態学者は結構います。

池田清彦は、この概念を共食いがある場合に拡張しています (『山梨大学教育学部研究報告』1979)。共食いが盛んならムダが少なくなるという ことらしいです。しかし共食いがなくても死ぬ運命の個体が特定できるのでないならば、 本末転倒のような気もします。死んだり弱っている個体を食べるなら場合なら有効 でしょうか。でも病気感染のリスクがあります。

巌佐庸の『生物の適応戦略』(1981)には最適死亡戦略という数理モデルが 説明されています。出生率が体重に依存し成長が密度に依存する場合には、産子総数を 評価関数とすると、最適死亡パターンに高い初期死亡が現われると書いています。 そして森下(1973)を引用し、「同じ死ぬなら早い時期に死んで資源の浪費を少なく したほうがいい」と書いています。死亡は生存の努力の裏返しとも書いています。 しかし、この最適な死亡パターンに全体が合わせている状態で、より生存の努力を強める タイプが出現したら、このパターンは維持できるでしょうか? また密度効果がある場合の 評価関数は産子総数でしょうか?》

●市川定夫(放射線遺伝学者)の『遺伝学と核時代』(1984)によれば:

冷凍倉庫の普及は、一見、食糧資源の保存=有効利用に役立つと思われる。しかし、 実はそうではない。サンマが豊漁の場合、昔ならあまり獲っても腐るから水揚げ にブレーキがかかったが、現在では冷凍倉庫があるからどんどん獲る。 商社、仲買いの主導のもとに、値のよいときに出荷される。冷凍倉庫が魚を投機の 対象としたのである。豊漁なのに安くならないのは、冷凍の電気料金も加算される からである。しかし、冷凍中に鮮度は落ちるし、解凍後はいたみやすいから、 流通機構の過程で相当部分が捨てられてしまう。

電力の潤沢な供給は、食糧資源の乱獲や無駄捨てをもたらしているのである。

●東京新聞(2010/9/21)の匿名コラム『けいざい潮流』(俊坊)によれば:
日本の自給率は40%と低いが、食料の3割は廃棄されており、摂取分のみの自給率は 50%を越えている。食料自給率は日本の場合、飽食の逆指数なのだ。

《 飽食の裏に餓死があります。NHK総合テレビ(2007/10/11)の『クローズアップ現代』 は、日本で餓死した人は1995年より急増し、この5年間だけで361人。 5日に1人の割合で餓死している人がいる、と報じていました。2001年に私が、ある店の 開店日に行ったらTVの報道番組のキャスターもお祝いに来ました。同席した客が景気の 悪さについて質問すると「餓死者が出てるわけじゃないから」と答えました。 NHKが紹介したデータ(厚労省の人口動態統計)によれば、2001年には既に年間数十人 の餓死者が出ていたことになります。社会データの集収や広報・報道に欠陥があるの ではないかと思います》

●NHK総合テレビ(2013/11/25)の『クローズアップ現代』によれば食べられる食品 が流通段階で大量に捨てられています(食品ロス)。理由は、賞味期限が近づいた食品 を店頭に並べないためにメーカーや卸、小売りが廃棄してしまうからです。

1994年に食品衛生法が改正され、それまで製造日表示だったのが賞味期限表示になった のがきっかけです。

《製造日は事実ですが賞味期限は予測値であり、保存条件で変化するのだから 不合理です。表示が変えられたのは米国の圧力によるものだった、と私は記憶しています》


食糧不足



●スーザン・ジョージの『なぜ世界の半分が飢えるのか(How the Other Half Dies)』 (1977)には次のようにあります。
西側諸国における人口調整は、マスコミが人口問題を取り上げる際、その焦点とはなっ ていない。むしろ逆に貧しい国々の人口膨張が、マスコミが世界の食糧不足を読者に説 明するときの格好な理由づけとなっている。

マクナマラ世界銀行総裁も次のように述べている。「人口のうえでは世界の6%にすぎな いアメリカが全世界資源の約35%を消費していること、しかもGNP対比の経済援助率では アメリカは先進16カ国中14位である」

《奥田孝晴『新マルサス主義を撃て』(1980)では、マクナマラ世界銀行総裁は、 「(米国製の!)家族計画を実施しない低開発国には融資しない」と第三世界を脅迫した と批判されています》

●生物学者ハーディンの『サバイバルストラテジー(The limit of altruism)』(1977) では社会システムと安定性について比較されています。草地に家畜を放牧する場合を例 にして説明されています。

(社会システム名)(環境の所有者)(収穫者)(システムの安定性)
私的原理個人専有個人安定
社会主義集団集団安定だが、管理代表者の利己性で破綻する。
共同主義(共有地)集団個人過剰利用、環境破壊。
利他主義個人専有集団 存続不可能

彼は、飢えた野生の鹿に餌を補給するのを例にとり、貧しい国への食糧援助は 人口調整を妨げるので共有地と同じシステムになると批判しています。

《マルサスと似てます。しかし、鹿と人間の違いも無視してはならないでしょう。植民 地支配に由来するゆがんだ経済構造、先進国の干渉にも原因がある内戦など》

《伝統的社会では共有地は成立していました。小さな共同体ではメンバーが顔見知り であり、誰が何をしているか分かるので、ムチャな過剰利用は抑制されるのでしょう》

《TBSラジオ『Dig』(2012/3/13)で東北の震災後の漁業の復興の問題が 取り上げられていました。勝川俊雄の話から:

大型船の乱獲で魚が減っている。例えばクロマグロ、大きくして獲れば価値を 生む魚だが、95%が0才1才のカツオ程度の大きさで獲っている。 卵生む前に獲るから資源が減る。日本は漁獲規制が少ない、早いもの勝ち。 自主規制は顏が見える範囲ならできるが、マグロは沖縄から北海道まで色々な 所の船が獲っている。他所にいく前に獲っておこうかとなる。

漁協の漁業権は、沿岸で漁をしていた江戸時代に出来たものが元になっている権利。 当時のテクノロジーで乱獲が問題になったのはウニやアワビなど動かないもの。 今は回遊する魚を獲る時代だから国が調整すべき》

《ハーディンの本を翻訳した竹内靖雄は『経済倫理学のすすめ』(1989)という本も書いて います。全面的に推薦する訳ではないのですが、右傾化する日本で教育勅語的・ 国家主義的な道徳教育に学校が侵されないために、竹内靖雄の本や、後出のリドレ−の本 『徳の起源』などは倫理・道徳を口にする人は読んでみるべきです》

●動物学を専攻した科学ジャーナリストのリドレーは『徳の起源』(1996、訳本2000) で進化生物学に基づいて人間社会を論じています。心をつくっているのは利己的な 遺伝子であるのに人間は社会性を持ち、信頼されるように努力し、協力しあおうと する。このパラドックスを説明することが目的だといいます。

ミツバチでは、働きバチは雄バチを産みたいという利己的な願いを持っている。だが、 同時に、自分以外の働きバチには雄バチを産んで欲しくないという利己的な願いも持っ ている。多数の個体の願いが、各個体のエゴイズムを抑えてしまうのである。
この分野には皮肉な面があることを、リドレーはいくつも紹介しています。
・慈悲心によって築かれた社会には縁者びいきが蔓延するから、大きな社会で協力を つくりだすためには慈悲心は不適当である(アダム・スミス)。

・政治家や官僚は国民に利他主義を吹き込んでそれを自分の利益のために利用すると いう政治学の認識。

・ジレンマゲームなどでは、経済学を専攻した学生を被験者にしたほうが、天文学を 専攻した学生を被験者にした場合より裏切りが生じやすいという研究。

・アフリカで動物の密漁を防ぐために動物を国有にしたところ、逆に、共有地の悲劇 の状況が実現して密漁が増えたことなど。

また共有地を模倣した心理学的ゲームの実験を紹介して、次のように書いています。
コミュニケーションをとるだけで人間の環境に対する抑制能力と意志に非常に大きな差 が生まれると政治学者オストロムは結論した。コミュニケーションは罰則よりも重要で ある。武力の後ろ盾のない契約も効力を持つのである。
最終章では、次のように書いています。
昔は、社会のよりよいあり方が垣間みられたような気がするのだ。信頼関係を築きあげ ることが可能な小規模な集団における、自由な個人同士の、物品や情報、財産、そして 権力の自発的交換を基盤とした社会。わたしはそのような社会のほうが、官僚的国家主 権主義の上に成り立つ社会よりも、公平で繁栄した社会になりうると信じている。

社会的協調性と美徳を回復するためには、国家権力とその作用範囲を縮小することが絶 対不可欠である。権力を、地方行政区や地元の小団体に委譲することである。自国およ び外国の政府には規模の縮小をお願いして、国防と富の再分配だけを担当してもらおう 。クロポトキンが思い描いた自由な個人の世界を復活させよう。

《新しい社会体制の提案の段階になると、細部の具体性が不足しているように思います 。数人程度の規模の集団で可能だとしても、もっと大きい社会でもなりたつでしょうか ?》

《進化生物学と相性がいいとは思えないクロポトキンのエピソードから出発して、進化 生物学的に人間社会の考察をしておいて、最後にまたクロポトキンを高く評価するのは 変わっています》

●東京新聞(2003/7/12)は日本の食料自給率について特集記事をのせています。 現在、食料自給率は日本が40%、アメリカが125%、フランスが132%、ドイツが96% であり、40%というのは危険な水準だという。 日本の現在の人口は1億2700万人であるが、1720年代から125年ほどは、 3200万人から3300万人で安定していたという(鬼頭宏)。 さらに鬼頭は現在の技術で日本で生産可能な食料で維持できる人口は4000万人から 5000万人だろうとのべています。

《安全保障の面からも自給率の低さが問題だという意見はマスコミによく出ますが、 根本的な処方箋が出されているのを見たことがありません。 領土拡張や移民は現実的でないし、備蓄は一時的な対策です。

金の力で国外から食料を確保し続ける というのが問題ならば、 人口を減らすのが最も妥当な策でしょう。 ところが自給率の問題をとりあげるマスコミは少子化を進めるべきだと言いません。 逆に、少子化を問題にする人は、自給率の問題に触れません》

《NHK総合テレビ(2005/8/21)の『NHKスペシャル(ウォーター・クライシス)』に よればインドやアメリカの穀倉地帯は乾燥地域を古い時代にできた地下水で灌漑して 作られています。当然これは永続できません》

《日本周辺の国の経済の浮上が進めば、円の相対的価値は 低下して安く食料を輸入するというのができなくなる可能性もあります》

《追記:事態は急速に進行しています。 NHK総合テレビ(2008/4/17)の『クローズアップ現代』によれば、 穀物の不作、自動車の燃料用穀物の需要の増加、中国やインドの経済成長による 食肉需要の増加による穀物飼料消費の増加、投機マネーなどにより世界的な 食糧危機が生まれました。穀物の輸出規制をした生産国もでてきました。日本の商社の 穀物買い付けも難しくなってきました》

●東京新聞(2009/6/25)のコラム『けいざい潮流』(俊)から:

FAO(国連食糧農業機関)によれば、世界の飢餓人口が今年末には10億2000万人と、 過去最大になるという。近年の食料価格の高騰を受け、自国の食料確保のため、 裕福な国が農地の争奪戦を展開している。マダガスカルでは韓国の1企業が、東京都の 6倍に当たる130万ヘクタールを確保したことが伝えられている。新植民地主義の再来とも いえ危険な兆候だ。

《NHK総合テレビ(2009/12/20)の『海外ネットワーク』によれば、 アフリカでは、この3年で2000万ヘクタール(日本の面積の半分以上)の農地が 外国企業に売られたり、貸し出されたりしているそうです。アフリカに進出している のは、韓国、中国、インド、湾岸諸国など。タンザニアでは政府により住民が追い 出されました。マダガスカルでは土地問題により政変が起きました》


資源不足



●『日経サイエンス』(2008/11)の沖大幹(地球水循環システム)によるコラムから:
少しでも世界の水問題を身近な問題として感じさせようとしてか、日本のマスメディア では、世界の水不足のせいで日本が今にも食料危機に陥るかのような論調で世界の 水問題が紹介されることも多い。そうした際に利用されるのが「仮想水」という概念だ。 大量の食料輸入に頼っている日本は大量の仮想水を海外に依存しており、世界の水危機 は他人事ではない、というわけだ。しかし、本来仮想水というのはある国の水不足解消 に食料輸入がどの程度役立っているかを推計する概念なので、日本の仮想水輸入はあまり 水需給自体には関係しない。むしろウォーターフットプリント、つまり海外の水に どの程度依存しているのかという視点から、食料生産に必要な水の量に関心を持つ べきだ。

水が足りなくなるのは、物質としての水が不足するからではなく、適切な施設や制度が 不十分で、必要なところに行き渡らないためだ。

●東京新聞(2011/8/1)の『ニュースがわかるA to Z』(原子力の歴史)によれば、 1970年代以降、発電用原子炉の新増設が加速しました。70年代には21基、 80年代には16基、90年代には15基、2000年代に入ってからも5基が新増設されました。
『私たちはこうして「原発大国」を選んだ』(中公新書ラクレ)の著者で ジャーナリスト・評論家の武田徹氏は、原発の社会的ニーズについて、次のように 指摘している。「資源の枯渇や人口の増大などに対する恐怖心が、これまでとは スケールの違うエネルギー資源を持つことに対する期待感をやや暴走ぎみに高め、 それが原子力への希求につながっていったのではないか。世界中で原発推進の動きが 減速していた時期にも、日本だけが原発を造り続けた。あくまでも最初の計画を実行 するという目的のために官僚システムが動いたという側面もある」

《人口増加への恐怖心が原子力への期待を暴走させたという武田徹の説明 は全く納得できません》

《NHK教育テレビ(2009/6/27)の『サイエンスZERO』は 産業技術総合研究所の地熱資源研究グループの研究を紹介していました。 それによると、「日本の地熱資源量は2347万kW、世界で3番目に豊富」だそうです》

●東京新聞(2012/5/29)のコラム『紙つぶて』小沢祥司(環境ジャーナリスト) から:

工業的な窒素固定は「化石燃料をパンに変える技術」である。 ハーバー・ボッシュ法は数百度、数百気圧を必要とし、大量のエネルギーを 使うからだ。現在、世界人口の約半分は、ハーバー・ボッシュ法によって作られた 窒素肥料により養われているともいわれる。日本は、カリやリン酸も含め、 肥料の多くを輸入に頼っている。食料自給率に、肥料の輸入分はカウントされて いない。合成窒素肥料が大量に農地に投入されるようになると、自然界の窒素循環 にも影響が表れるようになった。地下水や河川を汚染し、湖沼や沿岸の浅い海に 集まる。

《ハーバーと言えば補足したい話があります:
第一次大戦で、ドイツの愛国的科学者ハーバーは化学兵器の開発を提議して毒ガスを 開発しました。連合国側も化学戦の準備をしていましたが、最初に毒ガスを使用 したのはドイツでした。戦後、ヒトラーのナチスが政権をとった時、ユダヤ人である ハーバーは祖国を去り客死しました。第二次大戦でナチス・ドイツは毒ガスを ユダヤ人の大量虐殺に使用しました(参考:古川安『科学の社会史』1989)。》


短期的利益と長期的利益



●日経新聞(2018/2/5)の「ちょっとウンチク」というコラムで、前田裕之(編集委員)が 19世紀の英国の経済学者、J・S・ミルについて解説しています。

ミルは経済成長が続くと自然と人間が共生できなくなると予測しました。 ミルが理想としたのは「資本と人口は一定で、人間の教養や道徳の進歩が続く状態」です。 ミルの予測が見直されているそうです:

ミルの影響を受けたハーマン・デイリーは「自然資本」の概念を掲げ、1970年代以降、 エコロジー経済学の体系ができた。 長らく異端の扱いだったが、今、ミルの問題意識を異端と片付けるのは難しい。

●経済学者クラークによる『生物経済学』(1976)は生物資源管理に関する数理理論に関 する教科書です。この中には、資源の増殖率が小さい森林資源などは、長期的利益では なく、短期的利益を求めて過剰消費が行なわれることが示されています。

《生物経済学という言葉は、生物のエネルギー収支を扱う分野を指すのに使われること もあります。私は、動物行動の適応を扱う行動生態学と言われる分野と生物のエネルギ ー論の境界あたりを指すのにぴったりな言葉だと思うのですが》

●経済学者の玉野井芳郎は環境問題などを念頭において 『エコノミーとエコロジー』(1978)で、今まで経済学は 生態系を無視してきたが、これからは採り入れるべきだ、 と書いています。

《本来、経済学には人口問題という環境問題と関連するテーマがありました。 ところが忘れられていたのです。「経済が繁栄を続けるとき、人口はひとびと の意識から姿を消す。長いあいだ経済学の重要な部分を占めてきた人口が1871年に ジュボンズの『経済学の理論』で姿を消してから、ワルラス、パレート、とつづく 一般均衡理論の形成期には、人口は経済学者の意識にはのぼらなかった」 (岡崎、安川、山口、広岡『人口論』1974)》

朝日新聞(2001/8/3夕刊)に経済学者の岩井克人が次のような評論を書いています。

経済学の父アダム・スミスは、「個人は自分の利益だけを意図している。だが、見えざ る手(市場機構)に導かれて、意図しなかった公共の目的を促進することになる」と言っ ている。

環境問題の元祖である共有地の悲劇に対する解決は、倫理への期待をすてることで解決 すると経済学は言って来た。自己利益の追求が市場機構をつうじて社会全体の利益を増 進するというのだ。しかし、未来の世代と現在の世代が対立する環境問題では無力な他 者(未来の世代)の利益の実現に責任を持つという倫理が要請されている。

●生態学者の中には、「分別ある捕食者(prudent predator)」という概念を 主張する人がいます(参考:ピアンカ『進化生態学』訳本1978)。 利口な捕食者は、エサ動物の再生産率を最大にする、つまり次代のエサ動物の生体重が 最大になるようにエサ動物の密度を維持するというアイデアです。ピアンカは、 一見そのように見える場合でもエサ動物が老齢になれば繁殖しなくなり自己防衛が 自然選択で維持されなくなり、捕食されやすくなるだけだろうと書いています。

●小説家C.W.ニコルのエッセイ『TREE』(1989)より:

いま現在、黒姫で私が手をつけていることのひとつに蜂蜜づくりがある。

ここ6年間というもの、我が家の周辺では無差別な森林破壊によって、何千本という立派 なトチノキが姿を消している。しかもトチノキの場合、蜂蜜がとれるだけの大きさに 育つまでには、100年から200年という年月が必要なのだ。

樹齢200年のトチノキ1本で、1シーズン平均して時価にして卸値で3万円から4万円 の蜂蜜が生産できる。ところがその同じ木を切り倒し、パルプに加工したとしたら、 せいぜい1万円にもならないばかりか、それっきりで終わりである。

●数理生態学者の吉村仁は『強い者は生き残れない:環境から考える新しい進化論』 (2009)という本で長期的な利益のために、協同行動をとるべきだと主張しています。

なぜ、文明には栄枯盛衰が起こるのであろうか?それは、利益の個人占有が発達する からだと私は思っている。
(中略)
まず、正直者(利他者)が協力して、新しい王朝(文明)を築く。 協力で文明が発展する。繁栄すると、生活に余裕がでてくる。自己利益の追求が しやすくなる。トップの権力者は贅沢の限りをつくすが、庶民も各々のレベルで 個人利益の追求に走る。集団内では利己者の利益が高いので、利他者が減っていく。 文明が爛熟したときには、すべてが利己者となり、革命か衰退により自己崩壊して いくのである。
さらにクラークの生物資源管理の理論を一般の経済活動にも当てはめています:
クラークの指摘した自由経済の落し穴は、すべての経済活動に当てはまると私は思って いる。投資ファンドは、自由化された外国為替への投資によって、すべての輸出入 をする企業の利益から上前を撥ねることが可能になった。同様に株式の自由化により、 長期投資であるべき株式投資が、会社資産を狙った短期投資となっている。

クラークは自由競争の利益率が生物資源の再生産率よりはるかに高い ことが、資源破壊の原因となっていると説明したが、同じことが自由化された短期投資 と従来の経済活動の間でも成り立っている。従来の経済活動では10%くらいの利益率が 上がれば成功と言えるが、ギャンブル的な短期投資では50%を越えることも稀ではな い。富裕な資本家にとって、企業資本を売り払い、短期投資につぎ込む戦略が最適と 映ってしまうのだ。

世界の資本は、有限で、経済は常に成長するものではない。短期投資は、有限な資本の 奪い合いである。このようなギャンブル的行為を続ければ、現代文明は崩壊へと 向かうだろう。だとすれば、協同行動をとらざるを得ないのである。

●NHK総合テレビ(2011/2/6)の『NHKスペシャル(最後の楽園/第2回)』 はブラジルの草原(セラード)の生態を紹介していました。そこに生息する オオアリクイはアリやシロアリを一日3万匹食べます。シロアリは塚を作っています。 オオアリクイは塚に穴を開けて長い舌を入れてシロアリをからめ取るのです。 一つの塚で食べるのは長くて2分。草原を歩き回りたくさんの塚から少しずつ食べること で量を確保しています。一つのアリ塚のダメージを少なくすることで全滅を防いでいる と説明していました。

灌漑技術の発達で草原が開発され、かつて日本の5倍あったセラードは、現在、 東京23区ほどしか残っていないそうです。

《「分別ある捕食者」のように見えますが、オオアリクイの脳は小さいそうです。 一つの塚で食べる時間が短いのは、塚のダメージを少なくするためではなく効率逓減の 可能性もあるのではないでしょうか。オオアリクイが食べている間にシロアリの 大部分が深部に避難すると想像してみると、同じ塚を再度壊してみてもシロアリを 食べる効率は低くなるでしょう》

《TBSテレビ(2013/6/8)の『報道特集』によれば、セラードの開発には日本の政策が 関わっていたそうです。大規模開発は地元の小規模農家を排除しました》

●東京新聞(2011/3/9)はカナダ・ブリティッシュコロンビア大の水産学センターの グループによる漁獲量の試算を紹介しています:

過去50年間、主要な魚種のほぼ半分で乱獲が進んでおり、きちんと資源管理が行なわれ ていれば、2004年の世界の漁獲量は約1000万トン多かったはず。失われた漁獲量は、 04年の天然魚の漁獲量9000万トンの9分の1に当たる。

日本の生態学とイデオロギー・「近代の超克」



●生態学者の奥野良之助は『生態学入門』(1978)という本で当時の生態学を 批判しています。マンダニの『反・人口抑制の論理』(1976)などを引用して、 「生態学に公害や人口問題を解決する能力はない。開発途上国に科学の名を もって産児制限を強制したり、地球的環境危機を言いふらして局地的公害問題を うすめたりしている」と書いています。

《当時、電車の中で大学生らしいのがこの本を読んでいるのを見て、入門には不適切 な本なのになあと思っていました。かなり激しい個人批判をしています。日本の代表的 生態学者の伊藤嘉昭などが人口論に関連して批判されています》

《彼の理想の生態学はファーブルのようなものらしいです。わたしもファーブルは好き ですが、何事も、極端に視野を狭める見方には問題があるものです》

●敗戦前に教育を受けた世代の日本の生態学者には競争を否定的にとらえる人が 多いようです。たとえば、伊藤嘉昭は、『社会生態学入門』(1982)の最後に競争や 欧米思想に対する反感を表明しています。

現代の生態学説の流れの中に私が感ずるのは、「競争」と「闘争」という2つの概念の 卓越である。ここには現代社会の弱肉強食があまりに安易に移入されているようにも見 える。これにたいし、一貫して疑問を投げかけてきた学者に今西錦司がある。
●生物社会学者の今西錦司は棲み分けや、サルの研究のパイオニアとして知られますが、 人文系の学者に高い評価を受けたという特徴を持ちます。今西の『ダーウィン論』 (1977)に関する鼎談(『文芸春秋』1978)で人文系の山崎正和は次のように言って います。
おもしろいのは動物社会を変えていく要素が、個の間の競争ではなくて、種全体に対 する外圧であるという根本思想ですね。田辺元の『種の原理』を思い出しました。田辺 さんは哲学の上で、個と普遍しか考えない西洋思想に疑問を投げ、その間に国家や民族 といった種の存在を重視して、いわば一種の三元主義でものを考えようとしています。

日本社会は西洋近代の生み出した個人という観念よりは、社会の中の一つの単位を重視 し、家族や集落、会社の部や課というような単位がまとまって動いていく。その中では 競争原理よりはむしろ協調原理のほうが働いており、全体が大きく変わるためには外圧 が必要であるという宿命的な構造を持っています。

生態学者の岸由二は『進化論を愉しむ本』(1985)のなかで、1930年代の今西は、 その時代の全体論的哲学を援用して、生物社会の理論をつくり、(現代の人文系の) 今西ファンたちは、逆に今西理論から再び西欧に対する日本のナショナリズムの哲学 (全体や協調を重視するもの)を引き出しているのではないかと書いています。

《ナショナリストの中には日本の和の精神なるものを強調したりする人がいますが、競 争より協調を重視する思想は日本に特有なものでないことは、ほかの項目で紹介して あるとおりです》

●以前テレビで地学系の学者がアンカーとなった教育番組で、生物の共生がとりあげら れていました。この学者は、共生(協力)を強調して進化や適応には競争や自然選択 の意義はあまりない、と話していました。

《生物に共生があるからと言って、競争や自然選択が否定されることはありません。自 然選択における競争とは普通は種内変異の間の競争です。共生現象の進化についてなら 、共生をうまくできる変異と、うまくできない変異が競争する過程が自然選択なのです 。このような、レベルを混乱した誤解がよく見られます》

●生物物理学者の清水博は“ホロンとしての人間”(石井ほか編集『ミクロコスモスへの 挑戦』1984)という文章を書きました。

その中で、「全体的な秩序という着物を着た要素」あるいは「選択的な内部状態(個性) をもつ協力的な要素」というものの存在を想定して、それをホロンと呼んでいます。「人 間もホロンだ」と言います。

「ホロンは協力的な性質をもっているので、秩序の中に置かれると、その秩序を維持した り発展させたりするのだ。生きている状態では、個と全体を分けられない。ホロンは個 と全体の性質をもつから、それが集まると秩序を自分でつくる、すなわち自己組織化が 行なわれるのだ」と言っています。

「近代は秩序と調和の中心が失われ分離された個人が競争にさらされる」 と批判しています。「近代の超克を求めなければならない」とも書いています。 「これ(ホロン)は古い全体論でもないし、近代科学の要素還元論でもなく、 自己組織化という視点で統合するのだ」と主張しています。

《前に紹介したアクセルロッドのシミュレーションを引用して、生き残るのは協調する 作戦だと協調を強調するのですが、このシミュレーションは競争メカニズムを前提として いるのです》

《清水博は、「これは古い全体論ではない」といいながら古い天皇制を賛美します。 「天皇制は実権がないために権力の変動をソフトに吸収する、すぐれたシステムだ」、 「明治維新から第二次大戦までは強力な天皇制をつくろうとしたから不安定になって しまって失敗したのだ」と言ってます。

本当は近代の天皇より天武天皇など古代の天皇のほうが強力な実権がありました。

「人間はホロンだ」と言う一方で、「日本人はホロンだから適応力がある」と 言ったり、「自民党はホロンの性質を持っているから長期安定だ」と言ってみたり、 「日本人は特殊なホロンで滅私奉公的な考えが強いから問題だ」と言ったり、 非常に恣意的に結論を持って来る人だと感じました》

《清水博は協調する心筋細胞と心臓の関係を具体例として持ち出します。そして、個人 と社会との関係をなんの説明もなく同じように扱っているのですが、一つの卵から分化 して同じ遺伝子をもつ細胞からなる身体と、起源のちがう個体が集合してできた社会に は重要な違いがあります》

《ホロン的経営というのも提唱されました。西山賢一『企業の適応戦略』(1985)に紹介 されている朝日新聞の記事(名和太郎、1985)によれば、京セラのアメーバー 組織が代表例です。数人からなるグループをアメーバと称して、ヒト、カネ、モノの 裁量権をもたせます。アメーバは仕事量に応じて大きさを変えます。アメーバ間の競合 は事業部が調整して全体と個の調和をはかるそうです》

●哲学者の浅田彰は朝日新聞で『大東亜共栄圏は清算されたか』(1994)という 評論を書いています。

自民党の政治家が日本による侵略を否定する発言を繰り返すのは、大東亜共栄圏の思想 が間違ってないと思ってるからだ。戦争中、海軍は自由主義、共産主義、全体主義の全 てを越える思想として『近代の超克』を唱えた。その中で『全体でも個でもなく和の思 想による関係のネットワーク』というような主張した。それが植民地支配ではなく、そ れぞれの国が所を得て調和するという大東亜共栄圏の考えにつながった。しかし、共栄 といいながら単純に侵略し、支配したのは明白。日本は集団主義ではなく近代個人主義 を実現しなければならない。

《「近代の超克」というのは戦争中の日本の知識人をとらえた流行語(竹内好、1959)だ と言います。しかし、「近代の超克はマルクスをもってはじまる」(高島、水田、平田 『社会思想史概論』1962)、などという表現も見られるからナショナリズムに限定され る用語というわけではないようです》

《『週刊金曜日』(2005/4/29)によると、衆院憲法調査会の中山太郎会長は、 権力を縛るための憲法という近代立憲主義を否定しました。 「近代立憲主義から一歩踏み出し…」と言って、国民を縛る逆立ちした憲法観 を表明しています。政・官・業の癒着と、政治家の世襲化が進み、政権交代もまともに できない政治でありながら、近代立憲主義を越えるなどと言うのは、 近代の入口なのに「近代の超克」と言っていた敗戦前の状況と似ています》


社会と競争



●経済学者の飯尾要は『日本型競争社会の構図』(1985)で競争について批判しています 。
日本の社会では、みわたす限り、競争にみちあふれている。幼稚園から大学までの学力 競争、受験競争、会社に入る就職競争、会社に入ってからの日々の営業競争、そして、 社内での出世競争。多くの人びとが息を切らしている。これでいいのだろうか。
そして、生物でも生存競争は進化の法則ではない、と書いています。ダ−ウィンの自然 選択説を紹介した上で、今日の生物学では全面的に否定された、と書いています。
第一に、集団遺伝学が成立して、自然選択の単位が、ダ−ウィンの生存競争モデルで考 えたように個体ではなく、集団であることが明らかになった。

第二に、自然界にほんとうに過剰繁殖ということがあるのか、同種内の個体間の競争が 実際にあるのかどうか、いまだに論争点になっている。

第三に、もし同種内の個体間の競争=生存競争があるにしても、それは自然選択と無関 係と考えられる。

第四に、自然選択は、ダ−ウィンが考えたように種を革新する作用としてとらえられる のでなく、種の現状を維持する保存的作用として働くことが認められている。

《生存競争が否定されたというこれらの記述は誤解です。たぶん先入観(強い思い)によ るものでしょう。わたしは集団遺伝学も生態学も少し学びましたが、生物学系の学生が 試験でこんな答案を書いたら、不合格になるでしょう。確かに、遺伝学者の書く本には 誤解を招きやすい表現があったりするのですが…。例えば、4番目のような表現につい て、集団遺伝学者の木村資生は『生物進化を考える』(1988)で、「過程と結果とを 混同しないことが大切である。突然変異のほとんどが有害であるという観察事実は 突然変異が適応的進化の素材であることに矛盾しない」と注意しています》

《この人は、日本は競争が激しすぎると書いていますが、一方では、日本は和の精神で 協調してる社会だという人もいます。どちらなんでしょう》

●以前テレビで経済学者の野口悠紀雄は、日本の戦争中の経済政策について、競争を否 定して企業は資本家から切り離され、国家のために奉仕させられたと説明していました 。これを1940年体制といい、間接金融、経営者の内部化、年功序列・終身雇用、系列関 係、強い中央政府など、今も影響が残っていると話していました (参考:野口悠紀雄『1940年体制』1995)。

●バブル崩壊とその後の経済政策のミスでデフレになった日本で、規制緩和による 競争の導入が必要だとされました。動物生態学からの単なる類推ですが、 競争について簡単な常識を再確認しておきましょう。

動物生態学の教科書をみると2種の競争に関する簡単な数式モデルかグラフモデルが出 てるでしょう。競争の結果は条件で異なります。共存できる場合、片方が絶滅する場合 、始めに多いものが勝つ場合などです。共存できるのには、特別な条件が必要です。自 分が優勢なときは自分自身に対する増殖抑制の効果が、競争相手に対する増殖抑制の効 果より大きくなければならないのです。つまり、この場合は競争者がみんな自制的でな いと共存できないのです。

ただし、片方が絶滅するような組み合わせでも、弱いほうに安全地帯が確保されていれ ば共存できます。

また、食物連鎖上位の捕食者によって、競争する種の強いほうが選択的に捕食される 場合にも共存が可能です。

《これらは、産業保護政策や独占の規制政策に対応するでしょうか》

《競争による置き換わりがあるから、効率の改善などができると言えるのですが、単純 に競争を導入すると19世紀末期の資本主義のように独占が生じるでしょう。 アメリカでも規制緩和後に寡占が生じたりしたようです。寡占が進んだ社会が快適な 社会でしょうか》

《また、初期密度に競争の結果が依存するような場合、つまり既得権をもつほうが勝つメ カニズムがある場合は、効率の改善とは関係ないでしょう。 人間界の競争にはこのタイプのものが多いような気がします。

例えばカジノ化した資本主義経済の不安定性は既得権を持つ方に有利です。 既得権者も損するかもしれませんが、致命的な損失を受ける可能性は少ないので、 振り落とされた他者の資産を拾い集められるのです。

人間社会で既得権を持つ者は、ルール自体を自分たちに有利になるように変える力を 持つことが普通です。『週刊金曜日』(2011/2/4)のコラムでアンドリュー・ デウィット(経済学)は、次のように書いています:

サイモン・ジョンソンがジェームズ・クワックとの共著『国家対巨大銀行』(訳本2011) で説明しているように、金融改革を阻害しているのは、ホワイトハウスの寡頭政治家で ある。ウォール街の代表者が政策の決定過程に直接参加し、金融改革の選択肢を制限す ることで、専門家たちが支持するような政策作成は行なわれていない。利益が一部の 金融機関に集中しているにもかかわらず、救済策などのコストは社会全体に分散する 構造になっている。

この雑誌の別の特集で、五十嵐敬喜(法学、弁護士)は「官僚というのは、とりわけ 財界のために法律をつくる」「財界からは、こういう法律を作ってくれ、という要望 が山ほど出される」と書いています

経済学者スティグリッツも『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』(2002) で「非対称性(※)は、経済活動のあらゆる面に見られる」と述べています》

(※ 前堤条件としての情報などの不平等)

動物の場合、競争で平等がもたらされるような例があります(ideal free distribution)。これは、資源が独占できないうえに、競争者が混み具合や資 源の質や量に応じて自由に自分の利用する資源を選択できるような場合です。

《独占は、あらゆる面で社会的に不都合というわけではないようです。 アメリカでベル・システム会社が電話を独占していたときのほうが、 電話を回収してリサイクルすることがうまくいっていたと言います。 参考:ジョエル・E・コーエン『新人口論』(1995)》

《競争する生物の共存条件はほかにもあります。 参考:巌佐庸『数理生物学入門』(1990)》

●以前、私がいた研究室でゼミの後の酒席での話ですが、「効率」を追求す ることはいつも善であるかどうか、という疑問を出した人がいました。わたし自身、 子どもの頃から科学が好きだったのですが、現代社会の問題点をみるたびに、 科学のない、より自然に近い状態での人間社会だったらどうだろうと夢想する瞬間が あります。江戸時代には、あたらしいものを開発することが禁じられたことがあると 聞いたことがあります(新規御法度)。

《例えば、効率を高めるために機械化して熟練労働者を解雇してしまうのはいいことで しょうか。あるいは効率化のために社会の安全性が低下するのはいいことでしょうか。 だが、他の集団があることも考えるべきです。集団内で競争を制限して、非効率なシ ステムを温存している集団は、競争を内蔵して常に効率を追求してる集団との競争では 不利になるでしょう》

《社会主義社会では、内部で競争を制限していますから、社会に非効率な部分を温存し ていたようです。参考:ティンバーゲン/バーグソンほか『最適体制の経済学』(1976)》

《非効率を温存する社会が競争のある外部世界の中で存続できる条件を考えると、ほか の資本主義社会から隔離されるか、外部世界も同じ非効率なシステムに変えてしまうか ということになると思います》

《わたしは社会主義運動史については無知なのですが、マルクスは世界同時革命を主張 し、レーニンは、資本主義はさまざまな国で不均等に発展するからと、一国での社会主 義を主張したといいます(高島・水田・平田『社会思想史概論』1962)。

この件についてはトロツキーとスターリンの論争もあったようです。 結果としてソビエト連邦などは、軍事競争という面を除いて、 ほぼ外部の資本主義世界から隔離されていた訳ですが、 行きづまってしまいました。マルクスやレーニンは、ここで、わたしが効率と競争につ いて考えたようなことを少しは意識していたのでしょうか??》

《競争があると必ず、効率がよくなるという訳ではないでしょう。競争自体にコストが かかるような場合もあるでしょう》

●動物で、競争が種全体の増殖の効率を下げる例を紹介します(参考:粕谷英一 『行動生態学入門』1990)。

ハエの蛹に卵をいくつか生み付ける寄生蜂がいます。蛹を食べて育った子どもたちは、 羽化すると、そこで交尾をします。体内に精子を保持したメス蜂は新しいハエの蛹をさ がしに飛んで行きます。メス蜂は産卵するときに卵子に精子をかけるかどうか決めるこ とができます。未受精卵からはオスが生まれ、受精卵からはメスが生まれます。

ひとつのハエの蛹に一匹のハチが産卵する場合には、羽化するオス蜂の比率は0.5より 小さくなり、メスばかり出てきます。ほかのメス蜂が重複して産卵する場合には、羽化 するオスの比率は0.5に近付きます。ハエの蛹を探しに飛んで行くのはメスですから、 種全体の増殖速度から考えたら、本来ならメスを多く作るほうが効率がいいのです。つ まり、繁殖にほかの血縁のない者との競争があることにより、種全体の増殖率から見た ら、効率は悪くなってしまうのです。

●プログラマーのストールマンのGNU宣言はUnix互換のソフトウェアーを開発して、ソ フトウェアーを配布する自由と変更する自由をユーザーがもつようにしようという運動 の中で書いたものです。(参考:『GNU Emacsマニュアル』1999)

GNUの運動に対する異義のひとつに「競争が物事をより良くしていく」があります。ス トールマンは、これに反論して、次のように書いてます。

競争の典型はレースである。勝者には報酬が与えられるので、誰もがもっと速く走ろう と努力する。資本主義が本当にこの方法で機能すればよいが、この方法で機能すること を前提としている点が間違っている。例えば、なぜ報酬が与えられるのかを走者が忘れ てしまい、手段を選ばず勝つことのみに執着したとすれば、他の走者を攻撃するといっ た他の作戦をとるかもしれない。走者たちが真っ先に殴り合いをしてしまえば、皆のゴ ールインが遅れてしまうだろう。

ソフトウェアーの占有は殴り合う走者と同じだ。審判でさえ殴り合いに反対していない ように見える。

《後述の津田みどりの項を参照してください。また、このサイトの他の頁 『適応度と適応度関数と淘汰値の定義の混乱について』も見て下さい》

●教育学者の佐藤学は岩波ブックレット『習熟度別指導の何が問題か』(2004)で 小学校、中学校で急速に習熟度別指導が普及しているが、欧米では効果が疑わしい ことが明らかになり、廃止の努力が展開されてきたと書いています。さらに、 教育における競争と協力についても以下のように述べています。

「競争」による動機づけをなくしてしまうと、学びの意欲は低下し学びの生産性は 損なわれてしまうと考えられています。しかし、実証的な調査研究はいずれも、 個人主義的な「競争」が学びを促進するという通念を覆す結果を示しています。 代表は1981年に公表された社会心理学者のデビッド・ジョンソンと ロジャー・ジョンソンによる「競争か協力か」をテーマとする調査です。 122の先行研究を分析して、「協力的な学び」が「競争的な学び」よりも 高い学力を達成したという研究が65件、反対の結果が8件、有意な差がないという 研究が36件でした。
●東京新聞(2005/8/2)に右派言論人である井沢元彦(小説家)の意見が 載っています。
日本は談合が基本構造の国。聖徳太子の十七条憲法も第一条は“和を以て貴しとなす”。 運動会ではみんなで一緒にゴールしましょうとやっている。 国際競争と日本的現象をどうするか、本当に困った問題だ。

《1990年代頃から、右派言論人による大量のデマ攻勢が行なわれてきました。 小学校などで「運動会で一緒にゴールする」というのもデマではないか、と私は疑って います。井沢は日本的現象として批判していますが、この話は、日教組批判と結びつけて 出てくることが多いのです(例:勝谷誠彦『コラムの花道』TBSラジオ、2007/4/25)。 頻繁に宣伝されたために、右派と思えないような人まで、これを事実としてメディアで 語っています。しかし、彼らは具体的(5W1H)な情報を述べませんでした。 私が読んだ中で唯一、具体的だったのは国立市の公立小学校の教師が雑誌『現代思想』に 書いていた反論です。事前に走力をランク分けして、同じランクの児童を競争させた、 というものでした。こういうのはスポーツ界ではよくやられていることであり、 合理的です。しかし、一部の保育園や幼稚園では、手をつないでゴールする、というのは あるようです(TBSラジオ2009/10/6)。幼児の場合は事情が違います。競争という 概念が理解できない子がいたり、好まない子がいたりするので、 「手をつないでゴールする」ということがあっても不思議ではありません。 教育はレディネス(一定の発達の段階に達して学習の準備ができること)が成立して いることが重要だからです》

●人間は狩猟採集社会で長く生活してきました。NHK総合テレビの NHKスペシャル『ヒューマン なぜ人間になれたのか<4>』(2012/2/26)では カメルーンに残存する狩猟採集社会に「お金」が普及する過程が紹介されていました。

「お金」が浸透していない狩猟採集の集落では普段の食料は自給自足。 狩りの獲物の解体はシトメた人がします。集落の全世帯に平等に配ります。 配られた人は特に感謝もしないのです。

市川光雄(人類学)が解説していました:

「分け合うのが当然だという規範のようなものによって分配が支えられている」 「貯蔵しない社会は不安定。自分が採れなかった時には、他の人が助けてくれる」 「お金が一銭もなくても暮らしていける」 「ため込んで残そうとすると陰口の対象になりますから」 「富が蓄積しにくい社会」 「分配するからって威張る人も批判を受ける」 「他人にぬきんでて成功する人は出てこない」
現地の人の発言:
「独り占めしたらみんなに軽蔑されます」 「これが昔からの伝統なんです」
ナレーション:
「自給自足の暮らしは徹底した横並びの社会。お金が登場する以前は世界中がそうでした」
●NHK総合テレビのNHKスペシャル『病の起源/うつ病』(2013/10/20)によれば 防衛本能に関わる脳の扁桃体の作用が「うつ病」を引き起こします。

平等主義の狩猟採集社会は、うつ病と無縁だというのです。 「お金を分け合う」心理実験で扁桃体の活動を調べると、不平等な場合は扁桃体の 活動量が大きいが、公平な場合は扁桃体の活動が低かったそうです。

うつ病発症率は、上司からの命令で仕事を行う職種で大きいそうです。 「社会的立場の低い人は、高い人に比べて常に強いストレスにさらされているのです」 (ジェイ・ターナー博士)

《上位の人間は下位にいる者のストレスを理解しません。現在、全国学力テストの 結果は学校ごとには公表されていません。地方自治体の首長には、学校ごとに 公表して競争させるべきだと考える人が多いようです(NHK総合テレビ2013/10/21)。 地方自治体の順位を上げるために学校の順位を公表するのが有効だというのなら、 学校の順位を上げるためには「生徒の順位を公表すればよい」ということになります。 そんなことで学力が向上するわけがありません。学力テストの結果は学校の教育の仕方 だけで決まるものではありません。生徒の家庭の経済環境なども影響します。 首長なら別にやるべきことがあるでしょう》


グローバリズムと構造改革



●ラモン・マーガレフ『将来の生態学説』(1972)によれば:
サイバネティックスの見地からすると、自然の基本的性質は、異なる情報量をもつ2つの システムのあいだになんらかの交換があるとき、情報の分割とか平均化とかをもたらす のではなくて、その差をさらに増大させるということです。多くの情報を蓄積している システムは、交換によってさらに富みます。同じ原理が、人間や人間社会の オルガニゼーションに対しても成立します。
●社会思想史の酒井隆史は朝日新聞(2001/10/12夕刊)で構造改革がもたらす2極化 社会について米国を例にとって警告しています。
(構造改革の)痛みの要因は、現在の資本主義が労働力としての人間をかつてほど必要と していないことにある。現在の小泉改革の背景にある哲学とはグローバル資本にとって の規制を取り除くというものである。しかも、決定が最近では民主的規制がまだ届く国 家単位ではなく、WTOやIMFのような国際機関を通して非公開のままなされる。

だから改革は人々の生活を不安定な競争にたたき込み、破壊的に作用し、社会に和解し がたい亀裂を刻み込むことになる。

かつて痛みは福祉の充実によって癒された。しかし、ネオリベラリズムは痛みを個人の 責任に帰する。そうすると我慢できない人々を治安的に抑え込むことができる。

《かつて否定されたマルクスの相対的過剰による労働者の窮乏が甦るのでしょうか?》

《追記(2009年1月13日):格差と貧困の問題をアピールしようとして、 2008年10月26日、麻生首相の家を見学に行こうという企画で道を歩いていた だけで、非正規労働者など3人が逮捕され11日間も留置されました。 出発前、渋谷署員は「歩道ならいいよ」と言ったのです。 これをマスコミは「無届けデモ」と報道して公安発表を垂れ流しました (『週刊金曜日』2008/11/14、2008/11/21)》

●経済評論家の内橋克人は朝日新聞(2001/11/14)のインタビューで資本主義が 転換点にさしかかっていると言っています。競争セクターと共生セクターが並び立つ 多元的経済社会が望ましいと言います。

資本主義がよりよく機能するためにはいくつかの薬が必要です。国際的な資本移動のモ ニタリング、またヘッジファンドに湯水のごとく資金をそそぎ込む金融機関の情報開示 など、新たな政府機能が国際的に求められるようになる。さらに環境、資源、景観など 、いわゆる公共空間を市場には任せない、という政府機能の強化こそ世界の緊急課題で す。

《アメリカがこのような思想に同意するでしょうか》

●東京新聞(2004/8/4)には韓国の連続殺人について記事があります。 犯人は「金持は反省して欲しい」などと発言しています。 記事は1997年のIMFショックで大量にリストラがおこなわれて貧富の差が 急拡大した上に、福祉システムの整備が遅れたことを金持への怨嗟と関連付けして います。

《追記(2009年1月13日):2008年、秋葉原での無差別殺人事件などがありました》

●NHK教育テレビ(2007/10/4)の『地球データマップ』によると:

1960年には世界の上位20%の富裕層は70.2%の富を独占していました。貧しい人はより貧しく、富める人はより裕福になる。それが経済の仕組がつくる現実なのです。1991年には世界の上位20%の富裕層が85.0%の富を独占するようになりました。
東京新聞(2007/10/7)の『生活図鑑』によると:
所得格差を判断するため、厚生労働省の所得再配分調査の当初所得(社会保障を除いた所得)に着目してみました。5つの所得グループが、全所得に占める比率をみてみます。

2005年は、最高所得グループの所得比率は、全所得の51.8%を占めていました。最低所得グループは0.015%でした。

最高所得グループと最低所得グループの格差を計算すると、60年代から70年代後半までは10倍以内でした。90年代は20〜30倍程度に広がりました。99年に61倍に達し、2002年には168倍。

格差の急激な拡大時期は、構造改革、市場主義経済を掲げた2001年の小泉政権発足と符合します。

公的年金を含んだ所得格差をOECD加盟国で見ると、日本は平均よりも不平等が若干高い国になっています。ただ、不平等が高まる傾向にあります。政府は社会保障給付費を抑制しており、格差は拡大するばかり。

●日経新聞(2007/12/24)の『核心』土谷英夫より:
なぜ改革が大切なのか。世界が一つの市場に統合されつつあるグローバル化−その波にうまく乗った国は栄え、乗り損ねた国は廃れる。波乗り競争に勝てる体制づくりが第一。

第二に少子高齢化という人口構造の変化に応じて社会保障制度などを持続可能な仕組みに改修することだ。

東京新聞(2007/12/24)の『本音のコラム』山口二郎より:
政策とは分配の変更をもたらすものである。労働分野の規制緩和を進めて低賃金労働を可能にすることは、労働者から企業への富の再分配をもたらす。

強者への再分配は改革と称賛し、弱者への再分配はバラマキと非難する。このような言説のゆがみに、確信犯である日経新聞は仕方ないとしても、他メディアはもっと敏感になるべきだ。

《土谷の口調は、かつての侵略主義の若手将校の口調「…草が衰えかけると隣の草が漸次侵蝕してくる。民族の将来もまたこの草のようなものとなるのであろう」(筒井清忠『昭和期日本の構造』)を思いださせます》

《日本は貿易で豊かになりました。韓国や中国が貿易で豊かになることも良いこと です。しかし、なんでも自由市場がよいとするイデオロギーは社会を破壊します》

●東京新聞(2008/7/7)の『こちら特報部』によれば、 失業者や移住労働者のネットワーク『No-Vox(声なき者)』のフランス人 活動家がG8について次のように話しました:

84年のロンドンサミットでは労働市場の硬直性を打破すること、つまり労働者の 権利や社会保障をなくせ、と合意された。その結果、フランスでも人口の1割以上が 貧困ライン以下の生活。特に非正規の移民労働者にしわ寄せが募った。

《追記:東京新聞(2010/3/1)の『記者の眼』(亀岡秀人)によると、

労働市場の規制緩和は不安定雇用の拡大のみを行い、結局、雇用の安定や経済成長 をもたらさなかった。この反省に立ち、世界銀行など国際機関は雇用の規制緩和指標 の見直しに着手した》

●毎日新聞(2009/12/2)の特集『貧困』(下)では中谷巌にインタビューしていま した。
「中国という競争相手を前に、日本企業が正社員だけを雇って国内で操業するのは 厳しいんです。今でも、多様な雇用形態はあっていいと考えています。もちろん、 公平感は必要ですよ。正社員と同じ仕事をしたら、雇用保障がない分だけ、より 高い給料をもらうとか」

「マーケットのメカニズムは、米国で10%、日本でも5%以上の人々を失業者として 切り捨てています。市場関係者は、マーケットの美しい理論体系の方が大切なんです。 マーケットを支配するような人々は、失業なんかしません」

「グローバル資本主義の体制が出来上がり、敵は完ぺきに分散している。そこに 時代を転換させる大きな難しさがある」

「人々を切り捨てない思想を作り上げる、このことに尽きます」

(聞き手・遠藤拓):中谷さんは「みんなで生き延びよう」という。 “持てる側”だっておいそれと手放したくはないはずだ。そもそも“持てる側”と “持たざる側”は、互いに理解し合えるのだろうか。

《中谷は規制緩和、構造改革の旗振り役の1人だった経済学者だが転向して 『資本主義はなぜ自壊したのか』(2008)という本を書いた人物です。 反省はしたけれど、中谷は、まだまだ現実を見ていないようです。 東京新聞(2009/4/4)のコラムで、中谷は、日本はアメリカより失業率が低いのに 失業に対して危機感が強いのは日本が平等な社会だからと書いています。

東京新聞(2009/4/2)の『こちら特報部』によると:

日本は求職活動を止めると完全失業者から外すため、他国より完全失業率が低くなり がちだ。経済白書(1996年版)には、こうあった。「就業意欲喪失者を完全失業者に 加えて、日米統計の調整定義を行うと、94年2月時点で日本(8.9%)の方が、米国(8.8%)を 上回る試算がされた」それが発表では、日本の完全失業率は2.9%だった。

年齢が高いために職が見つからないと思えば、潜在的求職者でも求職活動を止めて いるように見える状態になるでしょう。それを失業者の統計に入れないのは 間違っています》

●経済学者の松原隆一郎は東京新聞(2011/2/18)の評論『TPP参加問題を考える』 で次のように書いています:

奇妙なのは、グローバル市場でもまれて競争力を磨くべし、という説である。 国際経済をスポーツと勘違いしている。100メートルを9秒で走る選手が現われれば、 金メダルが取れる。ところが国際経済では競争力を得た選手には、110メートル走れ というハンディキャップが加えられる。それが円高なるものだ。2003年から5年間は、 輸出で景気が回復したではないか、と反論するかもしれない。実はその間、日米間で 金利差が5%あった。日本企業は輸出してドルを得ても米国債を買いこみ、米国で 運用していた。リーマン・ショック後、金利差が消えたため円に換金されたからだろう、 円高となってしまった。輸出は、そもそも先進国にとって国策にはなりえないのだ。 それでも国際競争力の増進をめざすのが構造改革だったが、景気が良い期間にも労働者 の所得は減ってしまった。収益は株主に回されたのだろう。構造改革とは、輸出大企業 の株主と米国債を利する策だった。
中野剛志(評論家)は毎日新聞(2011/11/3)の評論『経済の視点』で次のように 書いています:
TPP推進論者は、参加しないと韓国に後れをとると煽るが、米韓FTAの中身は、 説明しようとはしない。米韓FTAは、韓国に不利なものだからだ。米国の関税は 既に低く、韓国企業も現地生産を進めているから、関税撤廃の効果はない。 他方、韓国はコメ以外の農産品はすべて自由化、協同組合の共済は解体、 自動車の排ガス規制や税制は米国に有利になるよう変更、医薬品の価格設定も 米国の製薬会社に有利な制度を導入、知的財産権制度も米国の要求通りに変更 することになった。

《商売は本来は、客に合わせるもので、客の生活を売手の事情に合わせさせる なんてあり得ないでしょう。「非関税障壁だ」などと言って米国が行なってきた 貿易交渉はソフトな植民地化政策であるように思えます》

●毎日新聞(2011/2/27)のコラム『時代の風』(斎藤環)から:

2010年10月にはドイツのメルケル首相が自党の青年部の会議で「ドイツの多文化主義は 完全に失敗した」と発言した。

2011年2月5日、イギリスのキャメロン首相はドイツでの講演で「イギリスの多文化 主義は失敗した」とのべた。

英国紙『オブザーバー』の社説は次のように批判を加えている(2/6付Web版): まず、移民に英語を学ばせろというが、一体誰が教えるのか?政府は、英語教育の予算を 大幅にカットしたばかりではないか?

《先進国が移民を安い労働力として使えるのは、本来は必要なコストをかけていないから でしょう。費やさなかったコストに相当するリアクションが、社会に生じるのは当然だと 思います》

●ジャーナリスト神保哲生はTBSラジオ『Dig』(2012/3/13)で自身が翻訳した ポール・ロバーツの本『食の終焉 グローバル経済がもたらしたもうひとつの危機』 について紹介していました:

アフリカやアジアの農業地帯を訪れると、生産者を苦しめているのは彼等から 食品を買う多国籍食品産業(世界で4社から5社に集中している)。価格決定権を 企業が握るので買い叩かれて、ちょっと気候が変動すると、元もと利益率ギリギリで やっているから破綻して都市のスラムに逃げ込まなくてはならなくなる。 ギリギリまで生産性を追求するから土地が疲弊する。しかし、多国籍産業の上に はメガストアの力があり、その上に外食産業の圧力がある。それらの背後に消費者 がいる。

父系集団



●動物でも親以外の個体が子育てを手伝うことがあります。ロバート・トリヴァースの 『生物の社会進化』(訳本1991)より抜粋:
ヘルパーを持つ鳥類には、共通していくつかの特徴がある。…(3)大多数の場合に、 ヘルパーはオスである。(4)成鳥全体の性比はオスに偏っている。…(7)ヘルパーは 自分の両親かきょうだいの巣で手伝う。…性比の偏りは、若いオスが配偶相手を 見つけるのがむずかしいことを意味する。ドングリキツツキでは、新しいなわばりの あく率が減少するほど、ヘルパーとして残る1年目の子供の割合は増加する。利用できる 餌が乏しくなるほどヘルパーの出現率は高くなる。…家族のなわばりは、世代から次の 世代へと伝えられていき、時には数世紀に及ぶと思われるものもある。
●ドナ・ハート、ロバート・W・サスマン『ヒトは食べられて進化した』(2007) から抜粋:
ほとんどの文化で、女性は生まれ育った家族のもとを去り、夫の暮らす地域や夫の 家族のなかに移り住む。あえて狩猟採集民に絞って、母系社会を探してみた。 なぜなら、ほかの現代文化よりも平等主義的な要素が多いからだ。しかし 文化事典『エスノグラフィック・アトラス』によると、179の狩猟採集社会のうち 母系社会は16だけだった。
霊長類学者・古市剛史の『性の進化、ヒトの進化』(1999)によれば、人類と近縁 であるチンパンジーもボノボも父系集団で、群れを出るのはメスで、集団に残るのは オスだそうです。

●社会学者の山田昌弘は東京新聞(2010/12/9)のコラム『放射線』で次のように 書いています:

女性差別慣行が残り、年功序列で若い人が活躍する場がなく、新卒一括採用で一度 失敗したら再チャレンジしにくい。若い男性は我慢して残っても、優秀な女性は海外に 場を求め、外国人男性と結婚する人も出てくる。海外で国際結婚する女性は年8000人を 越え、増え続けている(男性は1600人程度)。国によって差があるが、採用にあたって 年齢は問われず、能力しだいで若くても仕事を任され、女性差別は少ない。子どもを 産んでからの共働き環境が整っているという。(日本は)女性の大学進学率は先進国 最高レベルなのに、女性管理職比率は先進国中最低なのだ。

《現代社会での武器は腕力ではなく、知力です。知的能力は男性だけでなく女性にも 同程度分布しています。その半数を使わない国に未来の栄光はないでしょう》

《NHK総合テレビ(2011/1/11)の『クローズアップ現代』によれば、 日本の男女格差指数は世界で94位(2010世界経済フォーラム)、女性の労働力率が高い ほどGDP成長率が高いのです(OECDデータ)。ノルウェーは法律で取締役の40%以上 を女性にしたそうです》

●TBSラジオ(2010/12/11)のニュースから:

20歳から39歳までの人が親と同居している割合が男女とも2004年に比べて増加していて 、このうち30歳代後半の男性で4割を越えたことが国立社会保障人口問題研究所の調査 で分かりました。研究所は同居している人の大部分が独身であると見ているんですが、 同居が増えている理由について結婚する年齢が高くなっていることに加えて、 不況で失業者が急に増えたためと分析しているようです。

《ドングリキツツキと違って、現代の日本人の男性の状態が厳しいのは、 親と同居していても家業を継げるような場合は少ないだろう思われることです》


なぜ子どもをつくるか



●人文系の人が人口問題について発言する場合には、生物学を無視して 少し奇妙な意見を発することがよくあります。

鷲田小彌太(編著)『現代思想がわかる事典』(1994)の 「人間はなぜ子供をつくるか」という項目で、利益が不利益より大きければ 人は子供を生もうとすると書いてあります。

利益とは、
(1)可愛いものを手に入れられるという快楽。
(2)老後の面倒をみてくれる、
(3)働いて生活を助けてくれる、
というもの。

不利益とは、
(1)育児のために女性が仕事を棄てるというリスク、
(2)教育費用の負担、
などである。

《そもそも「人間はなぜ子供をつくるか」という発想がおかしいです。 子供をつくるのは人間だけではありません》

経済学者の竹内靖雄の本『「日本」の終わり』(1998)は、 分かっているようで分かっていない例です。

「人はなぜ子供をほしがるか」という項目でつぎのように書いています。

(1)自分の分身を欲し、自分の生命の未来への延長を欲する。
これは自分の遺伝子を未来へ残そうとすることを意味する。
(2)ペットとして子供が欲しい。ペットを飼育する喜びについては 改めて説明する必要もないが、自分の子供はこの上なく「可愛いペット」 なのである。
(3)一緒に生きる家族がほしい。
(4)老後の面倒を見てくれる子供がほしい。
(5)子供は将来親に収益をもたらす資産である。
(6)自分の果たしえなかった「夢」を子供に託したい。
(7)家業の後継者として必要。
(8)子供がないのは世間体が悪い。
(9)できてしまったから仕方がない。
子供を持つことはいろいろな意味で親にとって利益になる。
しかし利益を手に入れるためにはそれなりのコストを負担しなければならない。

《竹内の(1)が生物学的には正しい答です。他は二次的、三次的な派生であり、 並列すべきことではありません。遺伝子を残すために性欲があり、 その結果できる小さい子供。ヒトの小さい子供は自立できないので親は 育てる必要があるから、それを可愛いと感じる仕組があります。 その仕組があるので、子供の代替になるような動物をペットとして 飼育するのが楽しく感じたりもするのです》

●東京新聞(2006/4/30)で作家の三宅雅子は、友人の嫁が専門的な仕事を 続けたくて子供を生まないという話について、つぎのように書いてます。

少子化は経済を弱め国力を弱める。国力が弱い国がどんな目に あっているか、世界の例を見てもわかるではないか。子供を産むことは、 自分のためにもなるのだと、友人と話しながら、若妻たちに出産の勇気を 願っていた。

《「子供を産むことは自分のためにもなる」のではなく徹底的に『自分のため』 なのです。日本は現在、歴史上、一番混み合っています。 そんな時に、人口が不足すると嘆くとは。 原油不足はどうするのでしょう? 炭酸ガス排出規制はどうするのでしょう? 食料自給率はどうするのでしょう? 人口が多ければ国力が強いなら、ずっとインドや中国が強かったことになります。 国力が弱くてひどい目にあっていると三宅が考えているのはどの国でしょう。 その国は少子化の国ですか、多産の国ですか?現在ひどい目にあっている国はたいてい 多産ですよ》

《三宅は若妻たちに出産の勇気を願っていますが、東京新聞(2006/4/28)によれば 内閣府の『少子化社会に関する国際意識調査』で自分の国が子を産みやすいと思うのは 日本47.6%、スウェーデン97.7%、韓国18.6%です。 三宅の友人の嫁のような確信的な人はともかくとして、 産みたいのに産めない人の場合に必要なのは勇気ではないでしょう》

《高橋和夫は、放送大学の講義『国際政治('04)』(第14回)でアイスランドを 取り上げていました。アイスランドは国連開発計画の人間開発指数(2001年)で 2位で、日本は9位。高橋は小さい国の経済的成功について、小さい国はコンセンサス がとりやすく、変化に対してすばやい対応が可能だといいます》

《追記(2009年3月30日):アイスランドの経済的成功については、2008年のアメリカ 発の金融収縮で、バブルであったことが明らかになりました。日本の経済も大きな打撃 を受けています》


人口転換と少子化



●経済学者の森嶋通夫はNHK人間大学『思想としての近代経済学』(1993)で、 人口の量的・質的な構成の変化を、社会変動の窮極の変動因と見る高田保馬の 勢力説(1941)を紹介しています。
高田は次のように考えた。第一のグループでは産児制限が行なわれ、 子供の数が調節されるが、第二のグループではそういう制限は行なわれず、 出産率は高い。

第一のグループは、資本主義の発達と共に生活水準や教育水準が高くなったグループで ある。高い生活水準を享受するためにも子供が少ないことを望み、子供に高い教育を つけるためにもその数が少ないことを望む。

社会には、第一のグループの人を許容する最大限があり、現実の員数がその最大限 より少なければ、第二グループから移動する。最大限の値は経済の成長に応じて 増大すると見られる。そうすると、

(1)経済成長率が低い場合には、第一グループに 吸収される第二グループの人口は、第二グループの増加人口よりも少なく、第二グループ は増加し続ける。

これに反して、
(2)経済成長率が高く、大量に第二グループから 第一グループへ流出する場合には、第二グループは減少し、ついには0になる。 それ以後は、経済成長率もまた減退する。特に第一グループで産児制限が徹底的に 行なわれる場合には、第二グループが枯渇する時点は早期に来るし、それ以後 全人口は減少さえするであろう。

その理論にとって不可欠の仮定は、第一グループの人口が、産児制限する ということであるが、その背後には、家庭の生活水準を高めるため、家庭規模を 合理化するという意図がある。

生活水準の向上は、その人の社会的地位の 上昇を意味する。第一グループは社会的上昇に目覚めた人たちのグループであり、 こういう意欲の背後には、高田によれば彼らの勢力意志がある。

《岩波新書に再録されています》

●藤正巌、古川俊之は『ウェルカム・人口減少社会』(2000)で生物学的にみれば 少子化は少死の結果であり、ヨーロッパのようにセイフティーネットさえ しっかりしていれば高齢化を恐れることはない、と書いています。 また、先進国で比較すれば、結婚を前提とした出産など女性に対する社会的制約 の強い日本やドイツやイタリアほど出生率が下がることがデータで示されています。

日本人はみんなで社会を支えようという観念に乏しいと言わざるをえない。

日本国民は政府を信用しないというが、破綻が運命づけられた愚かな 制度を作り、危機が現実化すると少子高齢化のせいにするとは、先見性が ないばかりか反省も識見もない政治家をもった国民の不幸である。 それとともに、ウソを見抜けずに安物買いの銭失いを体験した国民自身が、 政治家を選ぶ厳しい眼を持つべく深く反省する必要がある。

●フランスの人類学者・歴史学者エマニュエル・トッドは朝日新聞(2001/11/21) によるインタビューで近代化と出生率低下と個人主義を相互に関連するものと話して います。
アングロサクソンは、社会的な平等に関心が薄い、個人主義的で自由主義的な文明だ。 それが民主主義や経済自由主義に適していた。上下の社会秩序を重視して個人主義から 遠い日本やドイツは近代化に苦しんだ。近代化にともなう危機の時代は信仰の危機や大 量殺戮とともに出生率の低下がみられた。出産制限は近代化の手段であり、考え方の変 化が出生率に表れる。

《トッドは、『帝国以後』(2002)で女性が読み書きを身につけると、受胎調節が 始まると書いています》

●2003年、自民党の代議士や一部の右派言論人が少子化に関して、奇妙キテレツな 言論を多発しています。

自民党の太田誠一(党行政改革推進本部長、衆院議員、元総務庁長官)は 全国私立幼稚園連合会九州地区会の公開討論会(6月26日)で、 少子化問題などをテーマとするなかで

「プロポーズする勇気がない人が多くなっている」
「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい。正常に近いんじゃないか」

《発言の冒頭で、これが問題発言であることを十分に意識していた確信犯です。 少子化は、男性の活力が減っているためだと考えたと思われます》

前総理で、自民党少子化問題調査会会長でもある森喜朗は 同じ公開討論会で

(年金について、)子どもをたくさん作った女性に将来国が『ご苦労さま』と言って 面倒見るのが本来の福祉なんです。 子どもを一人も生まない女性が、自由を謳歌して楽しんで年とって 税金で面倒みるのはおかしいんですよ。

《発言が問題になってマスコミにインタビューされたとき、 自分の意見ではないかのような答えかたをしたが 嘘は丸見えでした》

雑誌『正論』(2003/8)で憲法学、思想史の八木秀次(高崎経済大学)は 少子化の原因をフェミニズムの影響だと主張しています。

結婚、出産、育児を生活水準の低下や自由の 拘束とみなして厭うのが少子化の原因だ。 男女共同参画という発想からの脱却が少子化対策だ。

《生や死や性という現象などは日本人だけとか人間だけとかにあるのではありません。 物事を相対化して見ることができない人の言論は独善的で倒錯したものに なることをよく示している例だと思います》

《東京新聞(2005/4/28)で、世界女性指導者協議会事務局長の ローラ・リズウッドは世界経済フォーラムの報告を紹介しています。 日本の女性の社会進出は56か国のなかで38位。経済分野では51位。 管理職の女性の割合は10%以下で先進国最低。 日本は男女の役割がはっきりしている社会だ。 自国の女性の置かれている状況を自覚すべきだと言っています。

一方、TBSテレビの『NEWS23』(2005/4/27)で自民党の政治家が憲法24条のせいで 日本の男女の役割分担がくずれて家庭が崩壊したと言って改憲を主張していました。 憲法第24条:婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有する… 》

●少子化は人口転換の延長線上にあります。人口転換は、多産多死から、 多産少死を経て、少産少死へ向かう変化です。ヨーロッパでは1800年代の終りごろ から始まったと言います。

社会生物学者のオルコックは『社会生物学の勝利−批判者たちはどこで誤ったか』 (訳本2004)でこの現象の社会生物学的な解釈の可能性について述べています。

子どもの数を減らそうとするのは、非適応的な反応の古典的な例である。 今日の世界の大部分で、人びとは多くの子どもを育てる力があるにも かかわらず、自らの家族の規模を小さく制限しようとしている。
人口転換は社会生物学的な分析が間違っていることの証拠だと論じられた。 D・R・ヴァイニングは、「もしも社会生物学が、現代人の一般的モデル として有効なのであれば、社会的な成功と繁殖成功とは正に相関するはずだ」 と論じて、人間の行動を分析するときには進化理論を捨てるよう勧めている。
これに対して、オルコックは次のように書いています。
たとえば、金持が少ない数の子どもしか持ちたがらないのは、 進化で作られた私たちの脳が、強力な避妊技術を近年になって 発達させたという、新奇な環境で働いているからなのかもしれない。
なぜ人間はしばしば避妊用具を使いたがるのかを説明せねば ならない。一つの可能な議論は、私たちの祖先には、最初の 子どもを持つ時期とそれ以後の出産間隔を制御することが できると有利になるような淘汰が働いたというものだ。

たとえば、父親からの援助を確実にする前に子どもを産む 女性は、最初の子どもが登場する前に、父親としての援助をしっかり してくれるという了解を相手から取り付けた女性よりも、 生涯に残す子どもの数は少ないに違いない。

繁殖を制御することに適応的価値があることは、議論の余地がない。 若くて結婚していない女性の中絶率がもっとも高いということは 進化理論からの予測に合致する。
オルコックは、人口転換に関する将来の研究に必要な視点を次のように挙げています。
人間の繁殖行動を形成してきた心理メカニズムから研究されねばならない。
(1)子どもを産む時期と出産間隔を制御しようとすること、
(2)物質資源を確保しようとすること、
(3)ある特定のやり方で子どもへの投資を制御しようとすること、
(4)文化的に成功している他者の行動を真似ようとする欲望。

《粗雑な優生学的議論では、社会的な成功をした者が子どもをあまり作らないのは 問題であると言われてきましたが、社会的な成功に生物学的価値があるというのは 自明ではありません。 生物の世界でも社会的な成功が生物学的成功と正に相関しない場合はあるのです。

たとえば、橘川次郎はメジロの実験集団で餌を制限して闘争性を保つようにしました。 結果は高順位と低順位の個体は中間の順位の個体よりも体重増加が少なかったのです。 上位の個体は餌を食べる回数は多くても、闘争に使う時間も長いためにエネルギー を消費して体重が増えないのです。岩波講座・現代の生物学9『生態と進化』(1966) 》

《多産多死から少産少死への変化は動物では種間で見られます。 Deevey(1947)はこれらの生存曲線の類型を示しました。 この類型の生ずる原因について伊藤嘉昭は『比較生態学』(1959、1978)で、 親による子の保護の進化を反映したものであると主張しました》

●日経新聞(2004/7/26)、朝日新聞(2004/8/24)などに 各国の合計特殊出生率(女性が一生の間に産む平均子ども数)の数字が出ています。

出生率
USA 2002年 2.01
日本 2003年 1.29
イタリア 2002年 1.26
シンガポール 2003年 1.25
台湾 2003年 1.24
韓国 2002年 1.17
香港 2003年 0.925

《NHK総合テレビ(2004/9/29)でデンマークの出生率の変化を取りあげていました。 1980年代に1.4以下になったが、2000年には1.7以上になった。これは 出生率を上げようとしたためではなく、女性の労働環境を改善しようとして、 保育園、産休育休の給与保障、父親の産休、児童手当などの改革を進めたら結果として、 出生率が上がったのだといいます》

●東京新聞(2004/11/22)の記事では、合計特殊出生率が1.29で一定だったら、 西暦3000年には日本人が27人になってしまうと、グラフまで載せて危機感を 煽っています。

《こういう言論を見るたびに、これを書いた人物は知性がないのか、 根性が悪いのか、どちらかだろうと思ってしまいます。

生物学などの授業で同じような計算をして見せることはあります。 例えば増殖率がゼロからほんの少しずれた状態が長期間一定だったら、 如何に極端な状態になるか示して、ゼロからずれた増殖率が一定で続くという 前堤がありえないことを示すためです。それがあり得るかのような前堤での言論は愚かです》

《東京新聞(2017/3/25)で歴史人口学者の鬼頭宏は「近代以前の人口動態も分かるようになり、 考え方が変ってきました。つまり、増加する時期、減退する時期を何度も繰り返していることが 分かってきたのです」と話していました》

●『人口動態統計』(2006/6/1)で合計特殊出生率が1.25と発表されました (東京新聞2006/6/2)。

《私は、日本の人口は半減したほうがいいと思います》

●柳沢伯夫(厚生労働相)が女性を「生む機械」と表現したり、子どもを2人以上持ち たいという若い人たちの意識は「極めて健全」だと発言したことに関連して、 朝日新聞(2007/2/20)に根本清樹(編集委員)が興味深い記事を書いています。

1941年1月、『人口政策確立要綱』を閣議決定した。「我国人口の急激にして、かつ、 永続的なる発展増殖を図る」目的である。

「高度国防国家における兵力および労力」を確保するため、結婚年齢を現状より3年若く し、「一夫婦の出生数、平均5児」とする目標が掲げられた。

具体策としては、女子の就業抑制、独身者への課税、避妊・堕胎の禁止などが見える。

精神面の強調も目を引く。

「母性の国家的使命を認識せしめる」

「個人を基礎とする世界観を排し、家と民族を基礎とする世界観の確立、徹底を図る」

「不健全なる思想の排除に努むる、と共に健全なる家族制度の維持強化を図る」

やはり柳沢伯夫の発言に関連して毎日新聞(2007/2/25)のコラムに鈴木英生が 戸坂潤『日本イデオロギー論』(岩波文庫)から引用しています。

<(東京市内で小学6年生2万人の家庭を調査した結果は)9割までが両親とその子供 だけからなっている純然たる単一家族であって・・・>

調査は文脈からみて1930年代。一般的な戦前の家庭イメージとは違い、この時期の 東京ではかなりの核家族化が進んでいたようだ。戸坂はこれを論拠に、当時の 「家族主義者」たちの主張が現実を見ていないと批判している。

●朝日新聞(2008/1/17)によれば、フランスで昨年生まれた子どものうち、 婚外子の割合が50.5%と初めて半数を超えたことが、仏国立統計経済研究所が15日に 公表した人口統計で分かりました。

背景には、共同生活を営んでいれば結婚とほぼ同等の法的権利を与える連帯市民 協約を盛り込んだ法律が99年に施行されたことがあるといいます。

また、70年代から、婚外子かどうかの法律上の区別もなくなっていることも要因だ そうです。一方、1人の女性が一生に産む子供の数である合計特殊出生率は1.98で、 欧州トップだといいます。

●東京新聞(2008/3/10)の匿名コラム『けいざい潮流』(未来)から:

日本のデフレはバブル崩壊の結果と理解されている。しかし、少子高齢化による 経済縮小も大きい。64歳までの人口を調べると、1988年がピークで08年1月では 900万人も減少している。88年はまさにバブル経済の真っ最中である。

●朝日新聞(2009/6/4)によれば、合計特殊出生率が08年は1.37で、前年を0.03 ポイント上回ったことが人口動態統計で分かりました。05年に1.26と過去最低に なって以来、3年続けて上がっています。30代の上昇が全体を押し上げました。

20〜30歳代の芸能人が出産後も人気を集め、子育てを話題にするタレントが増えている のが関係していると鬼頭宏(歴史人口学)は指摘しています:

出産や子育てに対するイメージの変化が芸能界に影響を与え、それがさらに一般の 人々を動かす、という相互作用が生じているのでは。
しかし、阿藤誠(人口学)は、別の要因を推量しています:
30代の出生率の伸びが大きいのは、キャリア形成で出産を 遅らせていた女性が、年齢を考えて出産するようになっているためだろう。 少子化対策に成功した外国の程度まで改善するには、仕事と子育てを両立できる 支援策に力を入れる必要がある。

●池上清子(国連人口基金東京事務所長)は、東京新聞(2010/2/2)のコラム 『放射線』で人口ボーナスについて書いています。

人口ボーナスは人口転換の副産物。 多産多死から少産少死へ移行途上で生産年齢の人口の割合が大きくなる。 扶養される人口への投資が少なくて済むから経済発展にとっては有利。 日本大学人口研究所が、各国の人口ボーナスの期間を算定している。

中国:1973年〜2016年
インド:1974年〜2044年
日本:1951年〜1986年

人口ボーナスは1回きりのチャンス。 次は負担である。今度は出生率が下がって高齢化が始まる。 従属人口の割合が増え、社会の扶養負担が増加する。 今の時代にあった思考が求められている。

●経済学者の小黒一正は、年金制度についてTBSラジオ『Dig』(2011/10/18) で解説する中で少子化の原因についても語りました:
経済学的には年金じたいが子どもを減らす要因があるんですよ。 むかし農業をしていた人は、子どもを働き手としても沢山生むケースもありますけど、 それとは別に、子どもは貯蓄みたいなもの。老後に養ってくれる。 老後、年金が20万円とか入ってくると思ったら子ども沢山生みますかね。 他人が子どもを生んでくれることを期待すれば、フリーライドって言うんですけど、 他人の子どもからお金をもらえるようになればいいと。そういう要因があると 言っている人がいます。

《日本の出生率が急減したのは、1949年〜1957年。 農家や商店など自営業の人に国民年金制度ができて国民皆年金になったのは1961年。 順番が逆です。参考:濱英彦『人口問題の時代』1977》

《少子化は年金制度のせいだと考えているようですが、日本の 若い世代には年金制度への不信があるし、年金を払えない非正規労働者も増えました。 それなのに少子化は止まってません》

《小黒は年金保険等の給付において、各家計の出生数に応じてその給付が増加する 仕組みを導入する必要があると考えているようです。 参考:小黒一正『財政赤字と少子化に関する一考察』2008》

●経済学者の川口大司はNHK教育テレビ『オイコノミア』(2012/7/3)で 「子どもの数を決める3段階の仮説」を紹介していました:

(1)男性と女性が分業している段階:
男性が外で働き、女性は家事や子育てをする。
(2)産業構造が変化して製造業が縮小すると女性が働くようになる:
だが、子育ては女性がやるものだという考えが変わらない。その状態で女性は子育てか 仕事か二者択一を迫られる。結果として仕事を選ぶ女性が増えて少子化が起こる。
(3)社会の考え方が変わり男性も育児をするようになる:
男女が協力して育児をして、出生率が盛り返す。

世界人口



●小林和正・大淵寛(編)『生存と死亡の人口学』(1994)より:

時期 居住人類 世界人口
原初旧石器時代 猿人(500万年〜120万年) 40万
前期旧石器時代 (240万年〜20万年) 原人 (160万年〜20万年) 80万
中期旧石器時代(20万年〜3万5000年) 旧人 (20万年〜4万年) 120万
後期旧石器時代 (3万5000年〜1万年) 化石現生人類 600万
終末期期旧石器時代 現生人類 800万〜900万

時期 世界人口
農業革命期(紀元前8000年) 800万
都市革命前夜 (紀元前4000年) 4000万
キリスト紀元(紀元元年) 2億5000万
産業革命前夜 (1750年) 7億7000万

時期 平均寿命の推定値(年)
前期旧石器時代 10〜15
中期旧石器時代(ネアンデルタール人) 10〜20
後期旧石器時代(採集狩猟民) 15〜22
新石器時代(初期農業) 15〜25
古代・中世(ヨーロッパ) 15〜25
18世紀後半(ヨーロッパ) 30〜40
19世紀中葉(ヨーロッパ) 40〜45
20世紀初頭(ヨーロッパ) 50〜60
現代(先進工業国) 75〜80

コール(A. J. Coale)のモデルによると、出生時平均余命はわずか15年しかなくても、 女子のほぼ4人に1人は平均出産年齢まで生存することができ、その生き残った女性 たちが平均8.6人の子供を産むならば、人口が減ることはない。これを出生率と死亡率 で表現すれば、ともに65%以上という高水準になる。

農業革命の動因について、有力なのは人口圧迫説である。ある地域で人口増加が起こり、 食糧をより多く獲得する必要に迫られて、野性種の人為的な操作を試みたのが農業の 起源だというのである。自然環境に恵まれない西アジアのような地域で始まったことは、 この仮説を説得的なものにしている。

《エジプト、メソポタミア、インド、中国の古代文明の誕生について、放送大学の 『宇宙観の歴史と科学('08)』(第1回)で中村士は次のような説を紹介していました: 8000年前、地球は高温、湿潤で緑に被われていた。しかし、5000年前から中緯度地帯 では気温が低下し乾燥化した。人類は水を求めて大河流域に逃げこんだ。そこで人口 密度が高くなり、人々を支配する王が生まれた。支配される人々は動員され大規模な 河川の灌漑などにより農耕が発達し都市文明も生まれた》

●人口科学者、理論生態学者のジョエル・E・コーエンは 『新人口論(How many peoples can the earth support?)』(1995、訳本1998)で 地球が養うことのできる人口が自然法則によって一義的に決まる量ではないと論じて います。

地球が有限であることは人間の数にも限界があるということである。上限の値は不確か である。それらは個人の行動と社会制度と自然の制約に依存する。ある人たちは人口の 天井はあまりに遠くにあるので、その存在は現在の人間には関わりのないこと思ってい る。他の人たちは、現在の地球上の人口は地球が長期間維持できる数をすでに越えてい ると主張している。別の人たちは技術や制度や価値観の改善で上限は上へ上がって行く と主張する。

私は人口問題の解決に4つの提案をしたい。

(1)効率と平等をバランスよく達成するための制度を発展させる。

(2)社会福祉、流通および行動の成果について管理を向上させる。

(3)人口学の知識と経済、環境および文化についての知識を統合する。

(4)相互扶助への理解を強める。貧しい人々の生活改善扶助により社会もよくなるとい う利益が伴うことを広報する。

《4番目の提案に関連したことがNHK教育テレビの『スーパープレゼンテーション』 (2012/7/23)で取り上げられていました。格差の大きい英国と、格差の小さい スウェーデンで社会階層別の乳児死亡率のデータを比較していました。全ての階層で 英国の乳児死亡率がスウェーデンのものよりも高かったのです。 参考:リチャード・ウィルキンソン『格差社会の衝撃』2009》

●生態学者の津田みどりは『数理生態学』(巌佐庸・編、1997)で、昆虫を集団飼育する 実験生態系の結果を説明した後に、人口問題について述べています。

資源をめぐる密度依存的な種内競争には、コンテスト型(勝ち抜き型)とスクランブル 型(消費型、共倒れ型)が区別されます。単に資源を消費することで他者に影響を与え るのがスクランブル型。直接、他者を攻撃するようなのをコンテスト型といいます。

津田のヨツモンマメゾウムシの実験では初期には豆あたり2〜3匹の成虫が羽化していた スクランブル型だったのに、長期実験をすると1匹しか羽化しないコンテスト型に進化 したそうです。

普段、虫を維持している集団でスクランブル型が多いのは、実験で使ったよりも 3倍も大きい豆で飼っているからだと分かりました。コンテスト型は中心に居座り、 スクランブル型は周辺部にとどまるのです。

環境収容力という概念は、人口に上限があるというマルサスの直観に現われていた。 1995年、アメリカの生態学者J.Cohenが楽観に警鐘を鳴らすように、ヒト集団の環境 収容力を77〜120億人と推定した。局所収容力は質的・量的に地球上で均一ではない ことも忘れてはならない。

ヒトは子孫のために生活史(生き方)を修正せざるをえない時期にあるのは確かだろう。 スクランブル型のマメゾウムシやヒツジキンバエでは、環境収容力あたりで20世代ほど 飼われていると、少食で体重が軽く産卵数の少ない個体が選択され、同時に激しい 個体数変動も見られなくなる。

《人間社会でも資源を独占する者が出現し、他者を攻撃するような例はありました。 「(16世紀の)イギリスで羊毛業が盛んになるにつれ農場は囲われ、農場をおわれた 者たちは餓死するか、泥棒するか、しなければならなかった。窃盗罪に対する処罰は 死刑であった。1つの絞首台ごとに20人ずつ、泥棒は処刑されていった」 (トマス・モア『ユートピア』訳本1957、訳者・平井正穂の解説から)》

《牧羊のための第1次囲い込みは暴力で行われ、農業のための第2次囲い込みは 議会の承認を得て実施された。『世界史の徹底整理』1967》

●朝日新聞(2001/11/7)によると、国連人口基金の『世界人口白書』(2001)で 世界人口は61億3千万人になったと報告されています。世界人口の豊かなほうの20%が 個人消費総額の86%を占め、貧しいほうの20%は1.3%しか消費しないと言います。

●読売新聞(2004/9/16)によれば、世界人口は63億7000万人。

中国 13億1330万人
インド 10億8120万人
米国 2億9700万人
インドネシア 2億2260万人
ブラジル 1億8070万人

●毎日新聞(2006/9/7)によれば、国連人口基金は『世界人口白書』(2006)で 世界人口を65億4000万人(7月1日現在)と推計しました。

●東京新聞(2007/6/28)によれば、国連人口基金が27日発表した 『世界人口白書』(2007)によると、世界人口は66億1590万人となりました。 トップ3は中国、インド、米国の順。日本は10位。

●東京新聞(2008/11/13)によれば、国連人口基金は2008年の世界人口が 推定で前年より1億3千万人増え、約67億4970万人になったとする『世界人口白書』を 公表しました。

中国 13億3630万人
インド 11億8620万人
米国 3億880万人
日本 1億2780万人

●考古学・人類学のC.W.マリーンは『日経サイエンス』(2010/11)の 『祖先はアフリカ南端で生き延びた』で初期ホモ・サピエンスの危機について 書いています。

ホモ・サピエンスの人口は、19万5000年前〜12万3000年前のある時点で急激に 減少した。気候が寒冷化・乾燥化したので、人類の故郷であるアフリカのほとんど は、食料の入手が難しい土地となった。現在生きているすべての人間は、この 大災害を生き延びたある地域の人々の子孫だ。

この氷期の間に、人口は急激に減少し、子どもを作ることができる年齢の人は、 1万人以上からほんの数百人になった。

現生人類の遺伝的な多様性は非常に低い。

●東京新聞(2011/10/27)によれば、国連人口基金は、 世界の人口が31日に70億人に達するとの予測を示した2011年版『世界人口白書』 を発表しました。

1:中国 13億5000万人
2:インド 12億4000万人
3:米国 3億1000万人
4:インドネシア 2億4000万人

10:日本 1億2650万人




著:佐藤信太郎
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