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■HP蜘蛛夢■


(初版2000.10.30;微修正2014.10.16;更新2010.10.11)

開示していいかどうかなんて確認する手続きは不要




両親が癌で死亡した。どちらも輸血によるC型肝炎に由来する肝臓癌だった。

前半で私の経験した癌告知問題について記し、 後半では癌告知に関連するレセプト開示の問題について書く。

(母・C型肝炎・告知せず・セデーション)

母は病院に通ってはいたのだが時限爆弾のようなC型肝炎を抱えてい ながら検査は十分受けていなかったらしい。腹痛を訴えて、入院して癌が見つかり、点 滴を受けている間に腹水がたまり動けなくなった。医者は始めは家族に手術の可能性を 話したが、後になり、出血していて長くないと言う。

本人は症状の悪化する中、癌ではないかと聞くのだが否定して隠し た。医者が腹水を栄養不足と説明したらしくて母はよくなろうと無理して食べようとし た。やがて食事がとれなくなり、水を飲ませた。医者はもういいでしょう、肝性脳症に なり暴れる可能性があるから麻酔系の薬で眠らせるという。わたしは承諾した。

はじめは医者が少しだけ点滴して止めて様子をみた。母は眠ったが すぐ目覚めた。麻酔薬を少量だけ点滴して眠らせて、目覚めるという繰り返しが3日ほ ど続いた。初めて母が家に帰りたいと言い出した日に、看護婦は麻酔の点滴を途中で止 めることなく全て流し落とした。今度は母は目覚めることなく眠り続けて、息を引き取 った。入院から3週間ほどだった。最後の日、眠っているときにベッドの周りで主治医 でない医者と母の病状について話していた。その後で母を見たら母の目の近くに水滴が 流れていた。涙か、汗か、頭においてあったタオルからの水か判断がつかなかった。

参考:朝日新聞(2001.11.24)にセデーションに関する記事。

(父・C型肝炎・告知・マイクロ波手術)

父もC型肝炎を抱えていたが大きな病院には行かず近くの病院に通っ ていた。インフルエンザで入院したところ、なかなか退院させない。父がイライラし始 めたころ医者から、父に見つからないようにナースステイションに来てくれと電話があ った。癌らしいという。医者は父が鬱病だというから本人に話せないという。話すかど うか決めてくれと。老人性鬱病と診断されたのは本当だが、医者に不信感をもち、 退院したい父が多少大げさに医者に表現したのだった。

退院して1週間ほどして私が告知した。まず、告知しなければ今後の 治療方針についてなにも相談できない。次に、家族であろうと別人格なのだから自分の 身体のことは自分で決めるべきだと考えた。その医者の紹介で大学病院にいった。開腹 によるマイクロ波手術を提案された。エタノール注入療法を予想していたのでセカンド オピニオンの選択もあると父に言ったが既に手術の予定が組まれており、考える時間の 余裕がなかった。父は悩んだようだが開腹手術を受けた。

退院して検査を受けるうちに癌の多発が疑われて、内科に移され、 入院して血管造影をしたが塞栓術はできない状態だった。この段階でも医者は患者に病 状を説明するのを躊躇して、隠れて家族に説明することがあった。あいまいに言うので 本の知識から患者本人はさらに別の手術などの可能性を期待したりしていた。わたしは医者 に本人に説明するようにと言った。

その後、いろいろあったが、病状は悪化して痛みのコントロールだ けすることになった。わたしは父が家で死ねるかもしれないと思ったが、最後は父の希 望で入院して、16日ほどして死んだ。手術から11ヵ月、癌告知から1年3ヵ月だった。

(癌告知の可否)

C型肝炎の場合、癌になる可能性がかなり高いのであり、それを知っ ている患者に隠すなど困難だし、治療に関する選択だって本人がしなければならないこ とだ。たとえば、父は医療技術に過大な期待をもつ傾向があったが、わたしはそうでもな い。家族だって患者本人とは別人格なのだということを、再度、確認しなければならな い。もちろん他人である医者まかせにすることなどできない。

原則として医者は患者に正確な病状を説明すべきだ。癌であろうと ほかの病気の診断と同じことだ。患者本人が知るべきである。ただし、母の場合のよう に、本人が身動きもできない状態になり、告知しても母に選択できる道はほとんどない ような場合には告知しないことによる母の被害は、あったとしてもあまり多くはないだ ろう。この場合は告知しないのも状況しだいでは、あってもいい方法かもしれない。


(レセプト開示と癌告知)

レセプトは医療機関が健康保険組合などに医療費の請求のために発 行する明細書である。医療事故の裁判をきっかけにして、勝村さんたちの粘り強い運動 の結果、厚生省は態度を変えて開示することになった。しかし、いくつか問題が残った 。その一つが、開示に先だって、保険組合などが主治医に、開示しても診療上支障が生 じないかどうかの確認をしなければならないとしたことである。

厚生省と医療情報の公開・開示を求める市民の会との交渉の過程で 、この確認手続きは癌などの告知をしていない患者を想定していることが明らかにされ ている(勝村、1999)。しかし、レセプトの開示手続きをできるような活動性の残ってい る患者に癌の告知をしないというのは本質的に間違っていると思う。そして、すぐに死 にそうで癌告知しても本人には行動や選択の余地がないような状態なら、そもそもレセ プト開示手続きなど本人には実行できるわけがないのである。だから、元々、医療機関 に開示していいかどうかなんて確認する手続きは不要なのである。

それにもかかわらず厚生省はこの手続きを開示に必要とした。その 結果どんなことが起こるか誰でも想像がつくだろう。こんな規定にすれば、やましいとこ ろがある医療機関は健康保険組合などからレセプト開示の確認を求められたら、何らか の対策を考えるだろうと。それは、実際にわたしの件に関してあったのである。

わたしが歯医者の国民健康保険への医療費請求に疑問をもってレセ プト開示を市役所に請求したら、市役所から問い合わせを受けた歯医者が市役所にレセ プトの修正を求めた。市役所はレセプトを歯医者に戻してしまった。歯医者は全く新し く書き改めたレセプトを再提出した。わたしが開示を受けたのはこの書き改めたレセプ トだったために知りたいことがわからなくなってしまったのである。

市や都と交渉してもラチがあかないので、わたしは医療情報の公開 ・開示を求める市民の会に連絡をとった。この会の厚生省での交渉の影響もあり、わた しは市に保管されていた元のレセプトのコピーを市の公文書公開制度の手続きをあらた めて別にとることで手にいれた。市役所(厚生省)の論理では元のレセプトあるいはその コピーはレセプトでないというのである。

もし開示確認を医療機関にするという規定を今のまま続けるなら、 修正された場合には元のコピーも同時に開示されるべきだというわたしの主張は当然だ ろう。東京都レベルでは、そのようになるという話を市役所の担当者に聞いた。しか し、医療情報の公開・開示を求める市民の会の会報第27号によれば度重なる交渉にもか かわらず厚生省では、そのような考えを受け入れてないという(2000年4月14日時点)。

わたしの数少ない、役人との交渉経験でも、彼らは異様なほどに自 分の責任にならないようにしたいという態度を示す傾向がある。しかし、どうなるか予 測がつかない場合に役人がした決定には重大な責任を問うことはできないと考えるが、 誰が考えても問題が生じることが明白なことや、既に警告されていることや、既に問題 が生じていることについて対策をしないとなれば、その役人の責任は重いのである。わ たしの件と同じようなことがどこかで生じたら、これは明白に厚生省の官僚の責任であ る。責任をとるのが嫌いな官僚として、それにどういう責任をとるつもりなのだろうか 。





参考:レセプトを見れば医療がわかる(勝村久司[編著]、1999) メディアワークス発 行

参考2:書き換えられたレセプトの経緯

他サイトへのリンク:医療情 報の公開・開示を求める市民の会



補足:

レセプト開示制度が始まろうとしたときに、東京都では歯科医師会がレセプト開示 請求を受けつける際の書類に、『何の目的で請求するのか書かせるべきだ』、と都に対 して主張したために歯科の開示が医科より遅れたという経過があった。わたしは、『こ の医療機関の請求が疑わしい』と書いてしまえばいいじゃないかと思っていたのだが、 彼らには違う思惑があったようである。

わたしが書き直されたレセプトの問題について東京都の役人と交渉したときに、こ の役人は、目的外使用はダメだとか言い出したのである。要するにレセプトを根拠に歯 医者を疑ったり、裁判ざたにしてはいけない、ということにしたかったように思える。当 然、こんな論理は通るはずがなかった。目的外云々というセリフは先駆者である勝村さ んもはじめのころに言われたことがあり、レセプトが開示されることになった以上は既 にクリアされてる問題だった。

市役所から年2回だけ送られる医療費通知には『医療費の節減のためにレセプトの 点検や審査は十分行ってる』と書いてあるが、無責任な文章である。患者本人の目を通 していないのだから、原理的に十分な点検などできないのは明白だからだ。その意味で 、疑問を持った患者が元のレセプトの確認をすることはレセプトの本来の目的に合致す るのである。第一、開示手続きで役所が身分証明に免許や保険証を求めるのは目的外使 用ではないのか?



追記(2001.8.16):

医療情報の公開・開示を求める市民の会の会報32号によれば、2001年4月の交渉でも 厚生省は訂正前のレセプトのコピーも開示するように指示するつもりはないと言ってい るようである。官僚の発言によると、医者に対しては性善説を適用しているという。ま た、レセプト開示は法で決まってるわけでなく、サービスでやってるから問題になった ときに責任がとれないからだと言う。

レセプトに関してだけ見てみても、官僚は法律に書いてないことでも恣意的に保険 者などに指示してきた。例えば、厚生省は法的にはレセプトの開示、非開示は保険者の 判断に委ねられるとしながら、勝村さんたちの運動が成功するまで、非開示の指示を出 していたのである。

これらから想像すると市民が厚生省にクレームをつけても責任なんて取る気はない が、医師会からクレームをつけられるのが嫌だという訳だろう。医者に性善説を適用する といいながら、ごく簡単な、筋の通った要求である訂正前のレセプトのコピーを開示 するということを医者が嫌がるだろうと慮っているらしい。どうして、そんなこ とを医者が嫌がると官僚は予想するのか考えると、医者に不正があると思ってるから ではないだろうか。どこが性善説なんだろう。

金銭に係わる書類の訂正をするときは、ケシゴムは使わず、訂正内容を明確にする のは常識だと思っていた。他人の目に触れない状態で、本人の重大な利害がかかわる 問題に性善説など期待するのは、その人間に試練を課すようなものだ。強い人間ばか りではないから、罪を誘発してしまう。この官僚は全く一般の市民のほう を向いていない。水俣病をはじめとする問題でも見られたように、官僚の 行動の基準は国民ではなく企業や業界に向いているとしか思えない。彼らは自分 や家族も患者の立場になる可能性があるとは想像しないのだろうか。



追記(2001.11.30):

朝日新聞(2001.11.28)によれば神奈川県大磯町の審議会で『医師の同意を求めるこ とは、個人情報保護条例に反する』という論議が出ているという。記者が厚労省に見解 を求めると『さまざまな意見がある今、医師への確認はいらないとは言えない』と答え た一方で、『国の通知は助言に過ぎないから、自治体には独自の判断があっていい。医 師への確認をやめても構わない』と説明したという。微妙に変化してるのかと思わせる 。しかし、今までの経過を見ると、法律にないことを通知という手段で、実質的に影響 力を行使して、しかも、追求されると助言に過ぎないと外部に責任を預けて逃げるよう に思える。もし、本当に助言に過ぎないと考えていて、いろいろな見解があって厚労省 で判断できないというなら、通知には、独自に判断して欲しいと書くべきだろう。な ぜ、一つの見解だけ通知するのか。



追記(2002.4.27):

国会で個人情報保護法案の審議が始まった。この法案では、使用目的を明確にする ことを義務づけている。法律がない時でも、この『情報の使用目的』という概念を官 僚がどのように扱って来たか見れば、行く末は明らかだろう。 (2002.11.29に一応、廃案になったようだが…)



追記(2003.5.23):

個人情報保護法案成立。



追記(2007.9.17):

毎日新聞(2007年9月15日)によれば、医療費の内容が分かる領収書の無料発行が 義務化されてから、まもなく1年。しかし、応じていない医療機関も多い。 診察内容が詳しく記載された明細書についても患者から求めがあれば発行に努めな ければならなくなったが、徹底されていない。



追記(2009.6.1):

東京新聞(2009年5月31日)「こちら特報部」によれば、歯科の保険医療が崩壊の危機に 瀕している。医療費抑制の波にもまれ、診療報酬は低迷。しかも、歯科医師の数は過剰で 過当競争。日本の保険の診療報酬は異常に低い。他先進国と比べて4分の1程度とのデータ があるほどだ。しかも、治療の質は問われず、報酬は同じ。



追記(2010.10.11):

2010年4月より病院の窓口で支払をするとき診療明細書が無料で患者全員に渡される ようになった。これが実現されるまでの背景がNHK教育テレビで紹介されていた (2010年10月6日)。医療関係者や行政に対する、医療情報の公開・開示を求める市民の 会の20年にわたる根気強い活動の成果らしい。さらにカルテ開示の一般化も求めている。





著:佐藤信太郎
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